一、上田新兵衛咄にて承候廣島にて此以前安藝守様御家中に縁組に出入有之中々六ヶ敷成申候 何
某とか名は失念候 歴々の嫡子年若く候へとも智勇義兼たる人にて候故無事に取持事済申候 其後
御下國被成候て御家老御用人なと被召出色々御聞被成候時に右の取持被申たる親罷出被申候は
未被聞召と奉存候 今度御留守の内にヶ様/\の儀御座候而六ヶ敷罷成候處私嫡子取持事済申候
此段は是に居候者とも能存申候 尤親の身にて申上候段いかヽ共奉存候へとも是は御家中の侍と
もの平生覚悟可仕事にて後に御召仕候時御用立可申子供の為にて御座候 御褒美を可被下儀と奉
存候と申候由安藝守様御聞被成扨々能申上候とて感申候 此咄は舎人殿にも度々咄申候 新兵衛殿
被申候 上田主水は新兵衛殿母方の祖父天野半之助は主水聟かと覺申候 両人ともに隠なき人に
て半之助は若き時分は松倉豊後殿に居候 大坂夏陣に高名仕安藝守様に三千石にて御召出候
右之通の筋目故新兵衛殿は眞源院様御代に御召出御年頃に御召出候由承申候 嫡子の儀を申上
候人も右の両人の内か慥には覺不申候 扨々明白成心底と感心仕書置候 総して武士は武勇を専
ら用る事と見へ候得とも乱世の時は銘々の志の働にて名も高く候へとも御静謐の時には平生の言
行専一に身を嗜心を明白に夫々の勤真實に命を上ケ置候しるしの外にも願はるヽ程の人はたとへ
は明君成れは遠近となく被見届上の好勇義下々にも多く何事も上の好ことく成ものヽ由聖賢の傳言
各も見可被申候へとも書付置候
貴慎 樂義士
上有好利行則 下有盗賊俗
用謀 佞好徒
如斯乱世の時さへ心にかけ候へは名も高く子孫の面目にも成り申候 御静謐の時節は座敷の上に
ての勤食事おもふ様に給へ衣類居宅も相應にとおこる心さへすくなく候はヽ上中下ともにくらし能時
節殊更江戸表の儀を傳承候へは當世のおこりを御嫌ひ古風を御したひ被遊候様に相聞誠に以各は
結構なる時節に御逢ひ候と存候 からやまと共に昔の善人と申程の人上下共におこる者をきらひ申
さぬはなきと見へ申候 武田信玄の内武勇すくれたる者ともに奉行役其外色々に被召仕候に如願万
事能埒明申候由 されとも乱世の時分にて差當戦場の御用大事に思召古の人々に或は侍頭足軽頭
に城代境目を御預け候由に候 左候へは明白成心にても武道もすくれ夫々の役も明白に埒明申たる
と聞へ申候 しかれは武士たる者は専一に心を清く朝暮我身を主君へ上置たる事忘れ申さぬやうに
嗜み申候はヽ先我身の養生能息災に無之候ては勤も成り申間敷候 兎角我身を我と思ふ故に或は
私欲多く立身を心かけへつらひ可申事も諸人にしかられぬ様にと口をすくみ萬事我とくるしむ事人は
しらぬと思へ共諸人目も耳もかわらぬ物故おのすと見およひ聞及ひ笑ひそしり申事八十に成り候へ
は數十年能覺申候名大将衆は御家来は不及申牢人を被召抱候に十人ともに誉申は御不審にてけ
いはく者かと侫奸者のかろきは人をそかないおもきは國天下乱れと成事古今書物に見へ申候 右二
色は明白心不明にては見へ不申物と聞へ申候 三好・松永・石田其末々にも數田記録候 唯今も可
有之候へ共すくれたるも善悪共に乱世に成候ては少く成候と見へ申候