津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

「旦夕覺書」 花--19

2011-06-09 08:01:52 | 旦夕覺書

一、古侍に四坂鑓之助と云者あり 數度の武功の勇士或時戦場にて能敵を鑓つけ討取らんとする所に
  味方の内に村井玄蕃と云者彼も武功ある者なれ共此陳に未敵を不討鑓之助鑓付たる敵を某未敵を
  不討此敵我にとらせよと所望しけれは鑓之助何とも答へす突捨て不知體にて其場を立退程に玄蕃
  走り寄て首をとる 其後玄蕃も能敵を討首を取首帳に付る時玄蕃か曰此一つの首は四坂鑓之助鑓付
  たる首也某もらひたる也我は不討と云 鑓之助脇にて是を聞て云様は玄蕃は何を云るヽか左様の能
  敵を討取人に取らるヽうつけにてはなしうろんなる事を被申物哉と云てしかりけれは玄蕃か曰鑓之助
  はさすか武道を能知る物そ數度用に立たるか道理也侍たる者は誰もケ様にあり度物也と感心する
  と也

     血走兜     忠興公
  此駒の血筋の血をはとヽめ置て乗てあからん雲の上迄
     右三篇唱
  右之方なれは右之指をまけ
  左之方なれは左之指をまけ

  高麗陳の時敵に手負有之を味方の中より討取へきとする 加藤清正之曰敵之手負は不討取物也
  子細は敵に手負働不成者は其所に其儘置は看病して引懸退とする 依之敵の人數ひけ味方の弱み
  となる物なり

一、同時諸将参會して小早川隆景に一戦之仕様被尋處に曰其家の古老の者と談合仕可申と云て手立
  を云す 其坐を立私宅にかへり自身分別して書付を以曰第一後の山に道を作る第二合戦可有とな
  らは味方の兵粮を引たもつへし左あらは合戦早くあるへしと云第三は密にして不云之三ケ條ともに
  用之後の山に道作るを見て日本より加勢の人數来ると云て敵引取と也
一、大坂御陳の時矢尾の土居に城中より人數出し引入んとす 去れ共藤堂和泉守内渡邊勘兵衛・遠藤傳
  右衛門喰留付入へき様に成故引取事ならす 依之敵差物を土居に立置土居かけより人數引入るヽに
  遠藤傳右衛門敵之差物いこかさるに目を付高き處より見立其處より乗取なり
一、宇土郡小西行長城加藤清正攻給ふ 清正之侍庄林隼人と行長か城代南條玄宅と戦て組けるか双
  方共精兵にて上に成下にころひ廻り互に押て首をかヽんとすれとも脇差の寸長く不抜両人脇差の鞘
  小口さけたり 後に南條と庄林傍輩と成て此事を語り出しけると也 庄林刀は一尺八寸南條刀は一尺
  六寸にて有しか切先二三寸つヽ掛て不抜となり

コメント
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