この二つの文章も、大変過激で興味深い。
一、三齋様御印判北ノ丸様ニ御座候を河内・与左衛門・半兵衛乞出候包候而三人
之判形仕北ノ丸殿へ渡し置申候と申候得ハ昨日九日ニ勘解由所へ河内与
左衛門参申候ハ御印判先月廿一日お三へ渡し申候と申候奥方の儀者お三御
印御付可有之表方之儀ニハ御印御付有間敷与申候と与左衛門ニ河
内申候間勘解由と申談様子可承と申儀ニ御座候兎角河内ハ
三齋様御いきとおりを末捨不申与相見申候此御印之儀ハお三へ渡し
可申儀ニ而者無之と存候/諸御道具不残お三へ被遣候と 三齋様被
仰候上ハし御道具ハお三次第と河内存し候と申儀ニ御座候/第一之河
内越度与申儀ニ御座候/如此申上候得共若又重而様子相違之儀も御
座可有候得共承申候通先致言上候事
一、三齋様御正気ニ而御遺言被仰置たるニ而は無御座候/證拠ハ
三齋様御正気ニ而御座候て三万石之御知行と中務殿御知行
と六万七千石ハ宮松殿へ被進候/諸道具茂宮松殿へ可被遣与
可被仰置儀と御座候/お三へ御知行諸御道具とも被遣候と被為仰置事
御忘気二手被仰置候二紛無御座候と取沙汰仕候事
三齋は遺言で、遺品は全て養女・お三に遣わすように云っている。
亀之允は三齋の遺言の真偽について言及しているのである。すなわち遺言は、三齋が正気の時のものではないと断言しているのである。又、三齋の印判が「お三」の手元にあるというのは、「河内の越度」だといっている。遺言は実行されお三は行孝と結婚し、宇土細川藩主夫人となるのだが、お三が受け継いだ三齋の遺品は宇土細川家にもたらされる事になる。そして河内などは離国を余儀なくされるのである。
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