耇姫の立ち姿は寿像(生前に書かれたもの)であろうと、齊藤研一氏は推測されている。耇姫のことを書いた「梅の薫」という一文が永青文庫にあるそうだが、これによると耇姫はわずか四才ながら狂言が好きであったとされる。この立ち姿の絵は右の手に扇を持ち、あたかも舞い出しそうな風情であるが、実のところ片言に小唄を謡い、真似事の舞いをされたという。「瓢の神」「花折」を特に好まれたらしい。「その可愛らしさはなんとも表現のしようがない」と筆者は記しているという。愛娘を亡くした齊茲の落胆振りは如何ばかりであったろうか。(齊藤研一氏 「子どもの肖像画--細川耇姫像によせて」から引用)
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