津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

母・祖母そして久兵衛殿

2013-09-30 07:30:41 | 徒然

 九月の末は命日が集中している。母方の祖母(30年程起居を共にした)が24日、27日が母、今日30日が上田久兵衛(曾祖父の岳父)の命日である。
遡ると二代太左衛門が享保三年(1718)九月廿四日である。ここ一週間ばかりはいささか身を引き締めざるを得ない。

太左衛門は我が家の姓の名乗りとしては初代である。旧姓磯部氏から母方の姓を名乗って現在の姓となった。亡くなって295年、そのお墓は所在が知れない。

上田久兵衛についてはたびたび書いてきたが、萩の花が咲くこの時期に成ると、故人の無念の思いがふつふつと胸を差す。
私はひそかに久兵衛の忌日を「萩花忌」とよんでいる。
お墓がある禅定寺は計画道路にかかっていたが、どうやら計画変更により若干位置がずらされるらしい。いまだ確定の報告はないが、久兵衛の墓は現状のままでいけそうである。

昭和19年祖父母と父が亡くなり、一家三人父祖の地である熊本に帰郷して、以来の私は熊本地五郎である。
そして母方の祖母との同居生活が始まった。いかにも武家の娘という風情があり、貧乏の中にも凜としていた。此の祖母との毎日の生活から、私の歴史狂いの素地が作られてきたのは間違いない。いまにして思うといろいろ聞いておきたかったことが多々あるのだが・・・・・・

母のことはやめておこう。仮題「擬作百石我が家の歴史」を書いているのだが、母のことに成ると筆が進まないでいる。(合掌) 

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