津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■旅家老・三宅藤兵衛から三卿家老・長岡監物宛の書状

2019-11-13 06:41:59 | オークション

 大石内蔵助ほか赤穂浪士引取り熊本藩責任者 三宅藤兵衛書状 長岡監物宛 というヤフオク、内容は赤穂浪士引き取りに関するものではないのでご注意を・・・
主税(綱利養子、のちの宣紀)の名前が出ていることを考えると、主税が綱利の養子となった宝永五年(1708)から藤兵衛が家老職となり江戸を離れる正徳二年(1712)までの間のものか?
この時期太守・綱利は生母・清高院の看病の為と称して帰国しようとしない。そんな中、世子として認められた主税(宣紀)は綱利に替り、宝永七年六月熊本に向け発駕しており、約半年を熊本で過ごし、八年二月に熊本を出発して三月七日江戸についている。
二月廿八日の日付からすると、文中の「大井川」云々の記述も整合する。さて私の推量は正解であろうか?

ちなみに長岡監物は5代・米田是庸、三宅藤兵衛は3代・重経(元禄十五年~正徳二年一月 旅家老、正徳二年一月~正徳五年八月 家老)である。

          
                                         

 

                      
                                                                   

           

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