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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(6)

2019-05-09 12:08:27 | 家紋

                                                                     

      ■林 三平は「林 半平(南東7-10)(南東5-24)家」の4代目で御番方・嶋田正進組(三百石)である。
   家紋は「子持ち六角に右一つ巴紋」

  ■林 久之丞は「林 七衛 (南東7-7)(南東5-52)家」の7代目、御連枝様御付・御裏方支配頭之支配 就君様御付・京都定詰である。
   就君とは細川治年・女で久我前大臣通明簾中である。
   家紋は「丸に隅立て的角」

  ■林 藤右衛門は「林 一藤(南東6-7)(南東5-12)家」の3代幸八(藤右衛門)一番・尾藤多賀之丞組 益城郡沼山津村在宅 百石であろう。
   父も同名だがこちらは百五十石、知行高から3代と考えた。
   家紋は不知・・・雪紋の一種か?

  ■林 甚右衛門は「林 幸五郎(南東6-17)(南東5-42)家」の 8代洲助(勘左衛門)か。ただし甚右・甚左の違いがある。
   他家に該当する人物ナシ。
   家紋は「井桁」下は「二つはさみ?」

  ■林 清八は「林 孫蔵(南東7-11)(南東5-10)(南東5-25)家」の8代か9代か同名により不明。
   家紋は上は「 * 」下は「子持ち菱」  

  ■林田円次は「細川家家臣略歴」には名前が見つからない。

  ■林 久兵衛は「林 章吾 (南東5-28)(南東6-12)家」の 9代・尚次(久兵衛)か。
   家紋は「子持ち隅立て角」と「 * 」。 清八家と祖を同じくする一族、家紋も類似している。

  ■林 三郎右衛門は「林 清次郎(南東7-20)家」の2代目、 章吾家の分家、故に家紋も同じである。

  ■林 善大夫は「林 一有 (南東7-16)(南東5-4)家」の6代・兵蔵(善大夫)である。 
   家紋は「車紋」か、今一つは「下り藤紋」である。

  ■服部武右衛門は「服部弥門 (南東7-13)(南東6-6)(南東5-2)家」の7代・寿八郎(武右衛門・太門)である。
   初め武右衛門のち太門と称し、致仕して水哉と称す。藩に仕へ食禄六百石、高瀬及び川尻町奉行、鉄炮頭、奉行職等を勤む。
   程朱の学を尊信し其節度厳然たり。
   家紋は「杏葉」これは大友一族の故であろう。今一つ「左三つ巴」

  ■服部永八は「服部弥角(南東6-6)(南東5-27)家」の6代目・永八(左兵衛・武兵衛)である。
   家紋は「左三つ巴」、弥門家と一族か?

  ■橋谷四郎兵衛は「橋谷一象(南東6-11)(南東5-54)家」の9代・亀次(四郎兵衛)である。
   橋谷家は初代市蔵が忠利公に殉死した。31歳。当時妻子がなかったので、弟が家督した。
   家紋は「隅切り角に一つ引両」「三つ目菱」

  ■橋本源吉は「橋本了蔵(南東6-5)(南東5-51)家」の5代・源吉か。
   家紋は「鞠寄せ」

  ■橋本伊学は「橋本次平太 (南東7-2)(南東5-55)家」の6代・伊学(喜左衛門)である。
   家紋は「鞠寄せに酢漿草」「三つ扇」

  ■橋本平兵衛は「橋本次平太 (南東7-2)(南東5-55)家」の5代目である。
   家紋は「六角に本字紋」

  ■早川三左衛門は「早川助作 (南東6-4)(南東5-32)家」の7代・幾之允(三左衛門)である。
   家紋は「隅切り角に酢漿草」

  ■飯銅左内は「飯銅素水 (南東6-10)(南東5-16)家」の 8代目・左内(寿兵衛)である。
   家紋は「 ? 」「丸に上文字」

  ■萩原多七郎は「萩原甚内(南東7-12)(南東5-49)家」の4代目。
   家紋は「隅切り平角に違い鷹の羽」

  ■芳賀五右衛門は「芳賀助十郎 (南東7-1)(南東5-8)家」の8代目。
   家紋は「馬櫛」「右三つ巴」紋である。

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