津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■月刊誌「ひととき」が紹介する、地震後の熊本の今

2019-05-29 10:38:36 | 書籍・読書

旅の月刊誌・ひとときの6月号が発刊された。
時代劇研究家の春日太一氏が熊本を訪れ、各地を訪問して多くの人たちと語り合いながら取材をされた。

とくに熊本城石垣の復旧にかかわる記事が目を引く。ご一読をお勧めする。

   新品本/ひととき  旅の月刊誌・ひととき

 

 

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■元和七年・御印帳(七月廿一日~廿八日)

2019-05-29 10:25:46 | 細川小倉藩

       |  七月廿一日
       | 一、御鉄炮衆御門番ニ引申分抱たし可申旨御意之事 

城下諸口の米 | 一、御門諸口御米留之儀如前々之ニ可仕事 
留      |
郡々人足遣  | 一、御郡々人足遣之儀過分ニ人足入申候ハヽ御印を取遣可申候、少々之儀者御自分之者を
       |   可被遣候、若御自分之者指相候時者駄賃ニ而可申付事 
       |
       |  七月廿二日
       | 一、額賀二郎左衛門御隙被遣事 
       | 一、高野徳右衛門御のほり小頭藤田弥兵衛相衆ニ被仰付候事 
       | 一、末久左介・岸茂介両人御台所御肴幷ニ人足之分被成御預ケ御意之事 
代官の任命  | 一、加藤新兵衛・中嶋茂左衛門・坪井五郎大夫・恵良半右衛門尉御代官被仰付候事 
       |
       |  七月廿三日~廿四日は欠
       
       |  七月廿五日
米払の手伝人 | 一、御米払申手伝拾弐人、内四人ハ抱可申御意、残而八人ハ御小人衆加へ申候へとの御意之事、
       |   かさねて宗立様ゟ御指帰被成時引かへ可申御意之事 
       |    (ママ)
       |  七月廿五日
       | 一、大崎五郎左衛門家屋敷河井権丞ニ被遣候、同所之そはに明屋敷御座候を御宿守へやのため
       |   ニ河井権丞ニ被遣候事 
       | 一、東ため池矢倉之御番仕樽井左衛門尉、小篠次大夫組へ被成御入候事 
郡中懸物   | 一、御郡中へ之御かゝり物毎年員数定候而、かゝり申分者此方よりふれ不申候共時々ニ納候様
       |   ニ可仕候、員数不定物者其時之積次第ニ可申付旨野田小左衛門尉・田中猪兵衛両人へ申渡
       |   候事 
       | 一、下村己安家三上宗於ニ被遣候事 
       |
       |  七月廿六日~廿七日は欠
       |
       |  七月廿八日
       | 一、本庄長五良ニ谷三丞家屋敷可相渡御意ニ候事 
       | 一、煩人のり物ニのり候事先年宗立様仰付ことくニ可仕事
姫様借銀   | 一、小篠次太夫・西郡長次良両人ニ御姫様御借銀取立候へととの御意ニ候事 
       |                             
 御姫様とは忠利の正室・徳川秀忠養女千代姫(小笠原秀政娘)の事だと思われる。
                                                                                                            結婚に際し細川家からお化粧料として五千石が贈られた。                                                                                                                                      これらの内の一部が家臣たちに貸付されている。詳細はなかなか伺い知れない。

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■御恵贈御礼「秀林院の謎」

2019-05-29 06:15:20 | 書籍・読書

                                                                                

 御著「秀林院の謎」を御恵贈いただき深く御礼申し上げる。
著者「小倉葡萄酒研究会」の小川研次氏は、今回多くのキリシタン関係の資料を精読され、ガラシャを中心に夫・忠興や忠利、関係する宣教師、切支丹信者である家臣などを取り上げて見事な検証の成果をこの御著にまとめられた。
豊前の「葡萄酒」は、ガラシャの御霊に捧げるために作られたとの深い想いが一貫している。「葡萄酒LOVE・ガラシャLOVE」に覆われている。
小川研次氏とのお付き合いは「葡萄酒」を通じてだが以前、氏の御著「小倉藩葡萄酒事情」を御恵贈いただて以来お付き合いが続いている。
忠利公が上田太郎右衛門に葡萄酒を作らせ、これが記録に残る日本で一番古い葡萄酒の醸造の始まりとされており、地元では「がらみ」の栽培が始まり、葡萄酒の再現が試みられ成果を出し始めている。

 上田太郎右衛門は曾祖母の実家に連なる先祖である。
私は諸資料から太郎右衛門に関することを調べ、ある程度の成果を得たが限界があった。
その後、熊本大学・永青文庫センターの後藤典子氏の「小倉藩細川家の葡萄酒造りとその背景」が発表され、また北九州市立自然史・歴史博物館の永尾正剛氏の論文「細川小倉藩の『葡萄酒』製造」が発表されるなどして大きな成果となって表れた。■回想・細川家のぶどう酒製造
忠利の葡萄酒」を味わうことが出来る日を待ち望んでいる。

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