今日のyahooニュースは(丹波新聞を引用)織田信長の弟・織田信包を取り上げている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190504-00010000-tanba-l28
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190505-00010001-tanba-l28
信長幕下の有能な人物として支えている。丹波国柏原藩の初代だが、嫡男重信は後継争いに敗れている。
その正室が斯波義銀女であり、その息・津田十三郎長相は細川家家臣(300石)となった。義銀の息・辰珍も細川家家臣(2,000石)となったが、その後自分の知行の内700石を甥にあたる津田十三郎に与え、十三郎は1,000石取となった。
義銀に対してはその後700石が加増されたらしく元の2,000石に復している。
信雄流織田家とも大変かかわりが深い。信雄の五男高長は一時期細川家に仕え細川主膳と名乗り龍王寺を預かった。
細川家の有力家臣・薮政一(10,000石)の女を迎えて居る。
5代にわたり宇陀松山藩を領国としたが、信武が自殺し信休は信包系織田家が3代にわたり納めた丹波柏原藩へ移封となった。
信旧(信朝弟)に細川宜紀女・岑姫が入輿している。細川宗孝が江戸城中で人違いにより切り付けられ死亡した事件では、事件直後の措置について義理の兄弟にあたる信休の的確な働きがあったとされる。
弘化四年正月、宇土藩主・細川立則の次弟奏三郎は柏原藩主・織田出雲守信貞の養子となり、織田家を相続している。
嘉永二年に出雲守となったが同七年、19歳で死去した。室に子がなく細川家の血は入っていない。
織田家とのかかわりも深い細川家である。
細川宣紀--+--宗孝
| 宇土細川家10代 11代
+-- 重賢 細川行芬---+---細川立則
| |
+--岑姫 +-----泰三郎
●・・・・・・・・・・・・・・・ 宇陀松山藩・・・・・・・・・・・・・・● ‖ ↓
+----信長-----信雄-----高長----長頼-----信武-----信休----信朝==信旧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・==信敬
| ‖ ●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 丹波柏原藩・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・●
| 薮政一 ---女 (細川家家臣薮家)
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| 斯波義銀---+---津川辰珍 (細川家家臣津川家)
| |
| +----女
| 丹波国柏原藩初代 ‖-----津田十三郎・長相 (細川家家臣津田家)
+----信包-----+---信重
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|柏原藩・2代 3代
+---信則----信勝(絶家)
(織田氏と細川氏に関する相関略系図は何度かUPしているが、今度はどうやら満足いくものとなった。密かに入れ替えようかと思っている。)