過日私はヤフオクで競りに競って一通の書状を落札した。
細川左京が長岡左近に宛てたというもので大変珍しいものであり、内容は松井与兵衛の病状を憂うものであった。
左京は光尚の弟・尚房、左近はその弟元知である。松井与兵衛は松井寄之の二男正之、左京にとっては妻・万の兄(弟?)という関係である。
松井与兵衛は江戸證人として江戸で過ごした事もある。それが故か長岡姓を与えられた。寛文六年(1666)三月22歳で死去した。
ご多分に漏れずこの書状には年記がない。病状を憂う書状であることから、死の直前ではないかと考えられる。
左京は寛文5年新知20,000石を受領する。一方元知は家老職にあった寛文9年藩主綱利の陽明学徒追放の処分に諫言して永蟄居の処分を受ける。
綱利は寛永20年の生まれ、同世代を生きた細川一族の人たちのそれぞれの人生の悲喜こもごもが垣間見える。
細川忠興---+---忠隆 南条元信
| ‖----------吟
+-----興秋(与五郎)----鍋 ‖
| 元知---米田元庸
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+--忠利--------+---光尚---綱利 寛永20年(1643)生れ
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| +---尚房(左京) 寛永14年(1637)生れ
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| +---元知(左近) 寛永18年(1641)生れ
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+--松井寄之----+---直之
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+---正之(与兵衛) 正保2年(1645)生れ
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+--- 万 (尚房室)