津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■杉浦仁一郎奉行となる

2016-12-22 10:22:40 | 熊本地震

 文政10年12月21日、この日杉浦仁一郎が奉行になっている。当時の藩主は齊護であるが、齊護が藩主になるについてはこの杉浦が尽力している。
前藩主・齊樹が病となり江戸に於いては一ツ橋家(正室実家)からの養子を迎えることが画策されていた。
文政9年1月15日江戸留守居・中川唯之允が江戸から急使として国元へ馳せ帰りこのことが報告された。細川の血脈が途絶えることを憂いた藩重役は、幸い在国していた先の藩主(齊樹の父)浜町様(齊茲)を説き宇土支藩藩主・立政を次の藩主に迎えんと決した。
そのことを江戸へ伝えるための難役を務めたのがこの杉浦仁一郎(当時奉行副役)である。1月18日杉浦は熊本は熊本を発ち、一日前に再び江戸へ向かった中川を箱根で追い抜き熊本ー江戸間を八日間で馳せ抜けて大役を果たした。
2月12日齊樹が死去、29日には宇土支藩藩主・立政を次の藩主とするべく幕府に届け出、3月28日是が認められ本家相続となった。

今もって語り伝えられる杉浦仁一郎の名をたからしめた事件である。 

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