津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--風・26(3)

2015-02-15 08:22:57 | 史料

                  奥田古権左衛門は百五拾石十三にて家来切候とて被下後に三千百五十石に成被申候 八右衛
                  門と別にて櫻馬場同道にて被参候節と見申候 権左衛門家来八右衛門家来と見へ申様に男もけ高く見
                  へ申候 内入・三盛とは毎度批判仕候 不仕合にて貮百石にて果被申候得ども兄弟三人の内にて嫡子程有
                  之と神以存る事有之候 各のごとく角入・文左衛門段々立身被仕候に付ても存出し申候 半助もとふら
                  くは従弟の内にてすくれ候へども武士のさわりに成候事神一ツも見不申候 實儀なる事は惣領程有之
                  と存候事筆には書れ不申候へとも弾蔵・二観本より平九郎三人ゟ實は神以拙者は上に見申候 親に不似
                  仕合にて當時の御役さへ無念に存ると見へ申候 各半助咄惣體とうらく故多分何れも同前の事多き故若き時
                  分のとうらく少も御咎なく却って被誉たること多くそなたの同名の五郎兵衛かつらは物頭つらと
                  被申たる儀覺申候 舎人殿はとうらく嫌ひにて候 山名殿・大木殿両人の内にも實の上下有之と存候 同名
                  の内餘り大はつれ仕ましく候 尤すい参者従弟の分としてと思ふも可有之候 其親は拙者の伯父此内さ
                  へ實の上下心に吟味仕申候 前にも書たるか拙者兄弟三人に他人はしれぬもの三人の伯父内證迄通り
                  能可能候 能きと悪き是は爰か善き爰か悪きと申事吟味仕候へと幼少の時被申候 去とは々々々尤に存
                  候 近年在宅仕熊本にも久々不罷出候へとも大形唯今の事合點仕候 他人の役代の事も十か七八は當り
                  申候 神以十左衛門殿は折々拙者に被仰出承不申内に申て見候へと御申候事有之候 舎人殿は終に覺不
                  申候 うかへる雲とは世間不存役儀生れ付たると存候はゝ天罰蒙可申候 各能心得可被申候 下々も人に
                  て候神以尋可申様なく候へ共十左衛門様に御供に参候へはケ様々々の様子拙者の御一門様にても誰
                  様はケ様誰様はケ様々々御食も被下ぬなとゝ男は女に申女は妻に申事世の常に候 夫を知間敷と思ふ
                  は先世間に申あほふにて候 随分勘略神以拙者も如形好申候 鼻紙一枚如此調候にも随分紙墨費へぬ
                  様にと存候 紙の事は 忠利公の御筆弾蔵に借置候心有て借し申候 今時の若き者むかしの事存間敷候
                  弾蔵所には歴々の男参候 忠利公の此御筆紙に眼を付ぬ男はうかへる雲の大将と存又少にても心付申
                  男御座候へは忠にも成申と借置候 傳右工門熊本にて座敷持候時返し被申候へと約束仕借置候 唐にも
                  韓信か老母に一飯抔と有て朝夕定りたる食にてもおのれ々々々は腹一はいくらゐ下々とてくはせぬ
                  は勘略と可存候へ共天罰蒙り可申候 能々心を付らるへく候 藪三左エ門殿へ先年参り咄候時夕飯給候
                  へと御申候故申候 拙者宿にて給申同前の料理にて神以少給にくゝ候程有之候 給申候に宮仕の者に拙
                  者に飯給らて参候へと御申付可給と申候へは三左エ門殿いやおれか云付た是より其所にも可参と思
                  ふてと御申候時忝と申給仕廻十左エ門殿へ参候得は扨も々々高咄三左所へ参候哉と御申候故合點不
                  参候 堀をへたて是ゟ遠くいな事と申候へはいや三左か奥へ居申座頭参候ゆゑ三左は宿にかと尋候へ
                  はいや堀内殿御咄にて扨々高咄と申たる由御申候 拙者申候は箇様々々の料理にて少給にくゝ存候處
                  に私家来に直に食給候様にと被仰付候由神以扨々忝私結構成料理被下候よりは御志の段兎角被申ぬ
                  事と申へは誠に三左は此比も仲間と咄出候事有之二丸之助盛少も忘れす實儀者と皆々申と御誉被
                  成其後舎人殿へも咄申候へ共大木殿は十左エ門やうには感不被申候 各能く心得可被申候 十左エ門殿
                  も末子にて千石被下候 三左エ門殿も嫡子にて被召遣候時貮百五十石大組にて初江戸十左衛門殿着座
                  にて初江戸拙者は歩の使番にて二度目の江戸詰毎日毎夜小屋近く語り申候 拙者式の家来に心付給候
                  一事にて扨も實成と存候 舎人殿如形同前にて候へ共兄弟衆皆々同前にて家来の事は扨置在宅より出
                  候に終に料理給不申候 十左エ門殿は或時参候へは重て出候時方々仕ひたるく成申候はゝ何時も参候
                  て食給申候へ誰も喰せ申間敷と御申候 扨は近日勘略の被仰出と存候 出来合も給不申様に成申候 熊本
                  に居申者は其通在宅者は出候て不自由との譯にて十左衛門殿にはいつにても相伴にて給申候 三左
                  衛門殿へ咄候へはいかにも其通組にも在宅有之候 其心得可仕候惣體仲間にもしはきと存候も有之幸
                  の御觸と皆々喰せぬ多く候 熊本衆参かゝり候はゝ是は在宅故と申候へは御觸背たるにてなく候 名も
                  被仰聞候へ共拙者心安く御申候ゆゑと存名は書不申候 小身にても銘々心得に可成事と存候 我奥にて
                  は分に過たるおこり美食大酒のみ外向にてはおこらぬ様に仕候事上中同然心底の程察し不及是非仕
                  合天罰蒙る事此後も多く可有候 銘々吟味可被候事
                  
                   

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