津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--月・3

2015-02-27 16:43:56 | 史料

                一、或時角入拙者に被申候は其方は大勢咄衆多く候 我等はいか様に申候やと尋被申候 拙者申候御相組衆
                  用事は不破五郎右衛門は能く請合申候 おまへは物六ヶ敷御請付不被成様に承候と申候へはいかにも
                  左様に可申候 此間も高瀬善兵衛か三百日の願申候 いかにしても善兵衛が身分の才覺にても調可申候
                  公儀に申上候ては善兵衛為にならぬ事と思ふて請合不申候 併大勢願候故要人迄は咄置候 御駕の御用
                  にて源兵衛其方は折々宿にても出合被申候様に承候 拙者なと宿の時参候へは頓て御次に罷出候間其
                  刻可承と五郎右衛門にも被申候由いか様各両人は外様にては口きくと申由要人もしかられぬ様にと
                  思ふと見へ候とて笑被申候 神以笑被申候

                一、或時文左衛門に申候は大鹽彌五左衛門と御別ていな事と他人も申私も其通に存候 御存知可被成候 大
                  鹽は度々うそつき勇も薄く申候由申候へはいかにも/\能く存候 此方ゟ扣候へとも近所にて節々参
                  り前かと御側筒預りたる故咄なと聞たかりついつい参候ゆゑおれに慕うてくる故に外よりは別てと
                  申も尤に候由高橋彌次兵衛も縁者に成申候

                一、横井左平太に御鐡炮十挺御預ヶ被成候節大木織部殿へ被 仰聞候は左平太にケ様と御意の時早々私
                  所にも参申殊の外難有がり申由被申候へは左平次(ママ)に申聞せ候得十五六年以前に戸越屋敷にて鷹をは
                  はさみたる犬をひさの下にしき犬引の迷惑せぬよふにと存おれかそはにて寄て見たる事おれ共おし返し
                  /\三度迄申候 爰を以慥成者と思召由左平太拙者へ申聞涙を流申候 御一言にて命捨ると申はケ様成
                  る久敷事迄被為思召出候事承候程の者銘々身に引くらへ難有可存事と書置候

                一、拙者未御奉公に不罷出候前かと杉生次太夫と申御鷹匠御意に叶御家老中も鷹數寄の時分何もかわゆ
                  かり被申候由高瀬へ御供に参候砌 殿の御休息のため御茶屋へ御入御膳被召上候内御湯御あかり被
                  成候時御門前に鴨のすわり御座候由達御耳御湯を捨られ御出被なり次太夫/\と呼候へとも居不申候
                  御手鷹部屋の錠ねし切御すへ被成御あわせ被成候へは取不申候 御機嫌も彌不宣候處に二三丁向より
                  頭巾着ぬき入れ手にてそろ/\参候を御目に懸りあれからくるは次太夫かと御意被成御ゆかけ御ぬ
                  き御腰物を御さし是へつれて参候へと御意の時織部殿其儘立被申候次太夫右方へ近く居被申候 御成
                  敗可被成候間留めさし可申との心得と承候 織部きけ扨々にくきやつめ成敗と思へ共久敷事を思ひ出
                  したるは先年戸越にて巣鷹を頂たる時夜白百日程夜も寝す精を出したる事今思ひ出したるは連て行
                  けと御意被成織部殿偖々難有仕合とて引立被参候由原田小右衛門御駕奉行にて其時具に承申候 何も
                  御供中是は御成敗と心得見申候處に右之御意承何も涙を流したると咄申候 拙者見申さぬ事成れ共誠に
                  誠に久敷事被思召出候事有難き事と今も落涙仕候

                一、拙者共新知拝領は九月十二日にて候 十六日に舎人殿村井・林・大矢野・拙者四人に銘々手紙にて御用有之
                  間参候得と申來候 折節角入へ祝振舞に一家参居申所に申來直に参候へは三人は参り拙者を待居被申
                  候 揃候て罷出候へは各の儀心安何事も用の儀承遣候へと御懇比の御意傳右は前々ゟ心安事に候 傳右
                  同前に存候由御申吸物にて酒出申候 角入へ参咄候へは悦被申候 老母も参居申候 弾蔵十八九多分覺可
                  申候 其後江戸用意にて米三石餘にて手つかへ新知被下如斯願申は偖々迷惑併才覺難成候本ゟ拙者は
                  前前より心安く候間一人参候て具に咄申せと三人申候 尤に存参候て咄申候は今度新知被為拝領四人
                  共に借銀の儀申上候事別て致迷惑候 先身の上の事に付申上候 私儀は具足持不申候尤馬具は尚以に
                  て御座候 尤残る三人の内所持仕候も可有御座候 親小身すり切申候て調呉申儀難成亦譲り申と申儀も
                  無御座尤私たしなみにて持居候哉と伯父共初存ましく候 持たる振仕御供に参り候事私の心に叶不申
                  候 御知行被下候ては又其通の用意仕候儀本意と奉存候 就夫思召の外に銀高多く可有御座候間御内意
                  申上候様にと三人共に申上候由申候へはいかにも/\尤に存候 不及申古具足古馬具にても先今度は
                  申合随分願すくなき様に尤頭々へも拙者へ被申聞候様に具に咄被申様に三人へも可申聞由御申候
                  偖其年ゟ四つ六分にて御借銀元は御すへ被下候故拙者願ゟは五百目多く渡申候由高坂検校銀子借申
                  候故拂候得は村井少不足仕候程に拙者五百目村井方へ遣候へ一つに仕暮に遣可申と所望に任せ村井
                  方へ遣申候 如斯實に願候得は却てあまる程渡り申候 天明らか成る故に候 
                   

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■松寿庵先生 第132講

2015-02-27 13:48:20 | 史料

                             明智憲三郎氏の二冊の著書は読み物としては大変面白かったですね~。
                             「敵は本能寺にあり」なんていう言葉も後世の作り話だと私は思いますけど如何。 

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■「旦夕覺書」--月・2

2015-02-27 07:26:45 | 史料

                一、門司源兵衛日奈久入湯の刻被召連御鑓御打太刀仕舞罷立候刻来春も江戸御供に可被召連旨被仰聞
                  其後又唯今御直に被 仰付候得共熊本へ御歸被成候て組頭共より觸れ申候間唯今御直に被 仰付候
                  事沙汰仕ましき由被 仰聞候 熊本にて奥田藤次郎組頭にて拙者も相組にて御供の御請に参候へは源
                  兵衛事ケ様/\と咄被申日奈久にても熊本にても此間右の御意を背方々にてよせいに咄被申候由承
                  候 偖々いつきよふ成事と藤次郎拙者へ咄被申候江戸にて節々出合申にもよせい咄多候つる 其後御國
                  にて前川與三兵衛殿・谷與三左衛門・田中次太夫・門司源兵衛・續三四郎・同五左衛門・坂井十兵衛此分御隙被
                  遣候 八月末と覺申候 皆共新知被為拝領候は九月十二日少前にて覺申候 其後門司御國を出江戸へ参候
                  由承候刻十左衛門殿へ参色々咄申内に門司なとは江戸へ参候由承候 定て鎗を申立ての望と存候 私存
                  候は鎗を聞及可被召抱と他所ゟ申來候共私は先祖以来代々取立被申候渡しにて剰鎗の相手に越中守前
                  に節々罷出候別儀にて被召出候はゝ罷出可申候 鎗を申立候ては少心に悪候儀も御座候と可申事に候
                  太守様御鎗殊之外御數奇被成御鎗の位も可存候 しかれは右之通に申候はゝ御心にも叶武士の道にも
                  叶可申候 御覧被成候得江戸へ参候ても中々今の當世はやり不申候 いか程も牢人多く亦御國へ戻候は
                  ゝ諸人笑可申候 昔長尾伊織と申千五百石に三拾挺御預被成病死仕候 伊織は出田作左衛門伯父子は安
                  右衛門と申候千石被下候故御暇申いか様銀子澤山に持申候と承申候 夫故かと申たるも覺申候 其刻長
                  谷川久兵衛老父へ被申候は今度安右衛門御暇申事合點不参候 如何に存候やと尋被申候 老父申候は尤
                  に候親跡へり堪忍ならぬ筈と申候へは久兵衛被申候は日本國をあるき候ても千五百石にて抱可申時
                  節にてはなく候 おれは明日にも御暇被下候はゝ三十日は牢人仕ましきと被申候へは偖々うは気成る事
                  大坂京江戸に参候とても三十日はかゝり申と老父申候得はいやわけか有る拙者は嶋原御褒美にて貮
                  百石被下候 親は武功にて千石被下候 親の知行無相違被下候は御家他家に少く候 筑後へ立退貮百石望
                  候て熊本程近く御座候聞に可被遣候千石被下鐡炮も預け申候 拙者さのみうつけもいたさぬは肥後に
                  て千石にて鐡炮頭勤候拙者を貮百石にては三十日の内に有馬殿か立花殿家からも能望候はゝ有付可
                  申候 安右衛門はおれ程もなき者の定て銀子澤山に持たる程に男を止町人に可成と思ふへし銀子は子
                  孫迄續かぬ物子孫に成たらは後悔して御家に御扶持にても被下候様に無面目参へくと被申候 其刻此
                  比の長尾安右衛門は未た御家に不参候 數年過候て此方に参り廿人扶持比下候 其後熊本へ参後に堀飛
                  騨守殿若狭守様を御頼被成五百石被下候事宮川團四郎咄承候 右の通色々咄候へはいかにも尤成る拙者
                  申分成れとも昔は知らす若き門司か又た江戸へ参るもにくからぬ事と十左衛門殿御申候 門司其後江
                  戸より歸り申候 いか様誰か出家衆頼候て御國へ戻申候と覺申候 志方玄求なとも縁者にて右の咄江戸
                  にて仕笑申候 是皆古人の咄承付申候 右の通に御意を背たる天罰と存候 前川谷田中は拙者別て咄申候
                  御暇被下候程の事に候得は常々の儀も悪敷達 御耳候哉其時分の沙汰打寄物なと給申たる由輕き事
                  の様に聞候へとも皆々不實より起申候 兎角實と申物なくては人柄能候ても役に立不申候 

 この文章に登場する前川與三兵衛(300石)・谷與三左衛門(300石)・田中次太夫(200石)・門司源兵衛(150石)・續三四郎(350石)・同五左衛門(200石)・坂井十兵衛(200石)などに、「知行被召上や御暇」の処分がなされたのは貞享二年(1685)八月十九日のことである。そのほかに「里杢之介(200石)」も含まれている。

前川・谷・田中・門司等は元禄三年(1690)・妙解院様五十回忌にあたり御勘気御免となった。その他の人の其後については判らない。
又前川與三兵衛は「旦夕覺書」によく登場する十左衛門(三渕重澄)の従弟である。 

 

                     大木兼近
                一、右の刻舎人殿へ参候得は側へ御呼次の者とも退御申候は今度の御暇被遣候衆何れも心安き事に候處
                  に拙者のかれ申事偖も/\大慶に候 偖江戸逗留中物なと給へ御法度背たる覺はなきかと尋被申候故
                  江戸詰の内急に御供觸仕候故其儘出申候へは間有之故心安き者の所へ参申立なから茶漬給申候儀存
                  出申候 夫は背たるにてはなく御供の事不苦候いや熊本より八代蜜柑に付参候牧團之允歩の御使番落付
                  三日と御座候に差合御法度の日數延申候私事如御存御使番勤申故なしみと存なから茶振舞申候 夫も
                  落付の心にて振舞候へは日數違候ても背たると申儀にてなく偖々安堵とてもの事に誓言立申せ少子
                  細あるそなたの為にも能きと被申候 神以暫らく案し申候は唯今右の外に覺不申候へとも數月の儀に
                  御座候へは此外に御座候事も思ひ出可申候 左候へは只今誓言は御免被下候へと日本大小の神立不申
                  候 是老父被申候儀存出申候 其後承候へは頭々に誓紙組脇なとの咄承申候 皆々古人の咄聞ぬ者は越度
                  とも存ましく候 昔の能侍は一言にて名を上ケ一言にて心顕れ申候 拙者にさへ誓紙を以別儀にて候得
                  共舎人殿へ申譯頼申候故いやケ様の事はせぬ物能可申とて差返し申候 其後御鐡炮三十挺御預候 名は
                  書不申候 色々役も被 仰付候折々存出おかしと存候 右の誓言御所望は舎人殿には似合不申候と存候
                  十左衛門殿ならは誓言御所望は有ましくと存候

前回書いた一件が「御暇」につながるのではないかと舎人(大木近兼)が痛く心配している。 「拙者(傳右衛門)のかれ申事偖も/\大慶」と安どしている。こういった一見些細に思えることが藩主の不興を買うと「知行召上げ・御暇」となるのである。まずは目出度し・・・・

                                     

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