津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

松濱軒の菖蒲

2011-05-28 11:08:46 | 徒然

 八代松井家の松濱軒(ショウヒンケン)の菖蒲はいまどんな具合だろうとぐぐってみたら、思いがけないサイトに出くわした。まったく気づかないでいた。内田百間の「阿房列車」に松濱軒が度々登場している。よくぞこれだけまとめられたと感心している。

        http://www.geocities.co.jp/wakame_01/memo_data/shohinken.htm

昭和24年天皇陛下の御巡行の折、松井家に宿をお取りになった。細川護貞様は松井明之(ハルユキ)の女婿として八代でお出迎えを為さった。陛下は翌朝松濱軒のお庭に出られ菖蒲を愛でられたが、「これは菖蒲である。あれは杜若である」と誰に仰るわけではなくつぶやかれたそうだ。

上記サイトによると御巡幸後旅館になったらしい。内田百間が都合九回も松濱軒を訪れているということを始めて知ったが、よほどお気に入りのことであったのだろう。昭和26年から33年までの時代の有様が垣間見えて大変面白い。「ご當地さん」などという言葉もいまは死語となった良い言葉である。

        http://www.yado.co.jp/hana/kumamoto/syohinken/syohinken.htm
熊本はまだ梅雨入りに至っていないが、ここ数日ぐづついた雨模様で台風も心配されるが、通過後梅雨入りの発表があるのだろう。お向かいの「未来の森ミュージアム」では、「九州焼物紀行・田中丸コレクション」の展示が行われている。あわせて菖蒲のお庭を拝見にお訪ねしたいと思っている。
        http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/index.jsp

 

        (ちなみに内田百間の「けん」は門構えに月が本当らしい)

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「旦夕覺書」 花--9

2011-05-28 08:59:12 | 旦夕覺書

   眞源院様(光尚)は六丸様と申御十七御元服の刻従江戸熊本へ妙解院様(忠利)より御一門中江被仰遣候寫也
家光公御代
  態飛脚を下候
一、七月廿三日に六元服被仰付肥後守に成申候 先六と我等先へ御前へ罷出候處に越中事御取立被成
  肥後の守に被為置候肥後守事も不相替御心安可被召仕候間其心得仕御奉公可致由御直に被仰
  聞其上にて御名乗之御字光之字を被下光忠之御腰物拝領扨官も侍従に可被任由被仰出候 扨御
  盃献々之御酒被下候上我等へ名物之政宗之御脇差拝領申候 扨三齋様被召出御年被寄候へ共能
  時分御下被成ケ様之祝儀に御逢候事御満足可被成とて又御酒を被出左文字之御脇差御拝領御
  座敷之様子外聞實儀無残所候可被心安候 就夫家中之者共祝儀可申候御成橋普請前に候間人な
  とも何も下候儀無用候 佐渡・頼母・監物より歩之者一人宛可被下候 扨高より五千石迄馬太刀其外
  は此方にて一度に祝儀調せ可申候間歩之者三人迄可被げ候 樽銭銀子迄爰元に候間人迄可下候
一、一門之女房方目出度とて文迄下し可申候 是又右同前に此方にて樽代も取替させ可申候 立允所より
  も歩之者一人下候様三齋様より被仰遣候様にと申候
一、熊本町中より祝儀可申候是又いかにもかろく右三人之者に言傳候様に飛脚同前に町人を一人下候様
  に可申付候以上

右之通先年於江戸與一郎様御十四之年御官位之御沙汰御座候砌會而知不申候由小笠原素心被申候 其後拙者罷下休息之内前田素閑所へ参候へは拙者は古き事數寄候とて此書付見せ被申候 素閑親其時分歩之御小姓を承及候就夫此口上書之様に當所茂無御座候つる右之時分熊本へ御使に参候かと存候 十左衛門殿へ見せ候へは扨も/\と御申物書に寫させ具に控書留候へと御申付候 舎人殿へ右之趣物語見せ候へは如此之書付は皆共役之扣に有之候 若無之は寫置可申と其儘御寫させ候 如此御両人之替り有之候 此政宗名物と御座候は鎌倉へ参候て打候時より正の字近江國生國にて政宗と打たる由承候 何事も本を致賞玩候故わかき時打たる故かと存候

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