津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

来年2月19日--熊本でフルマラソン

2011-05-11 10:56:18 | 熊本

 今年の九州新幹線全線開通、そして来年は熊本市が政令指定都市として発足することとなり、この期をとらえ熊本市では42.195キロのシティマラソン、幾多の名ランナーを輩出した古い歴史を持つ「金栗記念熊日30キロロードレース」、熊本城周辺を走る5キロコースなどをセットにして、新たに「第一回熊本城マラソン」と銘うってスタートすることになりました。報道によるとフルマラソンと5キロコースは熊本城二の丸広場がゴールに成るようですが、急勾配の坂がありこれはなかなかの難コースですねー。30キロコースも従来のコースではなく、新たなコースのセッティングが検討されているようですが、発表が待たれます。高校駅伝などでは男女ともレベルの高い熊本ですが、大学・社会人と成るとそんな優秀な人たちが熊本を離れて淋しい限りです。このような大会を足がかりにして、素晴らしいランナーが誕生して欲しいと思いますし、ますます熊本を知っていただけることになれば有り難いですね。

 出ておみまっせんか!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肥後孝子傳から「楯岡小七郎」

2011-05-11 08:31:12 | 歴史

中村正尊の著「肥後孝子傳」は、百名の人名を挙げてその孝行ぶりを称えている。ほとんどの人が市井の名もなき人たちであるが、その中にはかっての大名の血を引く者も含まれている。
タイトルの楯岡小七郎はその祖をたどると、出羽最上氏の末裔である。
さて小七郎の孝子たる所以は次のように記されている。

  子七郎は先鋒の士楯岡四郎兵衛が長子也、四郎兵衛罪ありて囚と成て獄の内に苦める事
  久し、小七郎年月日時を悲み歎きけるが其思ひに絶ず。終に書をもて官府に願ひ出ける
  は、己も倶に獄に下りて、父に獄の内に事へんと、其詞ひとへに孝行の誠に出ければ君是
  を見給ひて深く感し給ひ、小七郎が父を思ふ孝心の切なるに對せられ、父四郎兵衛が罪一
  等を宥られて獄を出し、其宗家楯岡某が家に圍をつくりて入置べし、又小七郎は禄なけれ
  ば父を養ふたよりあるまじとて、三人扶持を賜りて父を養はしめ給ふ時に宝暦四年十二月
  十七日の事なり、かくて後小七郎は其身の材力をもて挙用ひられてあまたの職を經位は父
  を越、禄は殆舊に復る、誰か其孝を大ならずといはんや、小七郎今恙なし

        
【最上は家久敷代々出羽の領主ニ而山形ニ在城、元和三年家親卒去、嫡子源五郎義俊幼年之処、家臣不和にして論争いたし、幼主を可守立志ニ不至領地被召上、家中の歴々ハ西国の大名衆に御預、楯岡も今度小倉ニ被差下候・・】と綿孝輯録は紹介する。

 これはいわゆる最上騒動と呼ばれる事件である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%8A%E9%A8%92%E5%8B%95

 元和八年十一月二日、最上義俊の一門家老楯岡甲斐守光直、忠利君御預之事ニ付而御国江之御書民部(小笠原民部)者急差下候、最上浪人楯岡甲斐と申仁我等ニ被成御預候間、跡より可差下候、甲斐守下着次第、百人扶持相渡可申候、宿ハ何レニても寺を可申付候、下国之上家ハ可申付候、当分之兵粮塩噌以下見計可申付候、謹言。
直々、甲斐守大阪よりも船中廿日分為賄百人扶持相渡候へと申付候、又甲斐守人数上下百弐三十人も有之由ニ候、可有其心得候、以上。

    十一月二日                   内 忠利   (綿考輯録・巻二十九)

楯岡光直(哲斎)は罪を得たまま小倉で死去、孫一郎が赦されたのは承応二年だとされる。
しかしながら慶安の頃には1,000石を賜り左着座とする資料も見受けられる。

  11代      12代(57万石)
  最上義守---+--義光---+--義康
          |        | 13代   14代
          |        +--家親---義俊
          |        |
          |        +--義親
          |        |
          |        +--(山野辺)義忠
          |
          +--光直---+--孫一郎・定直----------→(楯岡小文吾家1000石)
                  |               100石
                  +--蔵之助--●--●--●--小七郎---→(楯岡三郎兵衛家)
                                 父・四郎兵衛は宗家からの養子300石

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 現在熊本史談会の会員でもあられるT様が、「肥後孝子傳」を現代風に読み直しをされて出版のご予定である。御歳卆寿になられたとお聞きしたが、大変ご壮健にて翻訳(?)も九割方終えられたとお聞きしている。ここ数ヶ月史談会において、T様の朗々たるお声で読み聞かせていただいている。昨今の親子間の悲しい事件などを見聞きするにつけ、ぜひとも皆さんにお読みいただきたいと考えている。
原本は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で御覧いただける。
               http://kindai.ndl.go.jp/
「肥後文献叢書」と打ち込んでいただくと、「第四巻」で見ることが出来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする