細川藩には「着座」という独特の家格がある。ウイキペディアに「着座家」という項があるが、細川家における「着座」を説明するには至っていない。赤穂浪士が細川家にお預けになったとき、或人物がこの「着座」について尋ねたらしい。世話役を務めた堀内傳右衛門は、「他家にて申さば番頭の類」と答えている。(堀内傳右衛門覚書)
■士席
・一門
・知行取 上卿 一二三家老・家老・中老
下卿 備頭・備大頭・留守居大頭・大奉行・大目附・組外
上大夫 上着座
中大夫 中着座・佐敷番頭・番頭・用人・小姓頭・留守居番頭
下大夫 比着座・八代番頭・中小姓頭・奉行・御次着座
嗣蔭令(http://www.shinshindoh.com/shiinrei.htm)は一門、一ニ三家老、家老、中老、備頭・側大頭・留守居大頭并同列、組外并同列に続く座班として「着座」を置く。着座は夫々「家」を特定して定めている。すなわち、松野主馬(大友家)、木下平馬(豊臣家)、津川平左衛門(管領・斯波家)、三渕志津馬(幽齋実家)、楯岡源太左衛門(最上家)、下津久馬(下津棒庵子孫)、氏家甚左衛門(細川興秋姑家)、沼田熊五郎(幽齋室麝香実家)、小笠原備前(ガラシャ夫人に殉じた少斎家)家は「上席着座之上席」として「世々上席」と定めている。「上・中・比着座」などこまやかな決まりが定められているが、上記九家のほかに個人名が挙げられているのは、三宅平太郎(明智氏)の定席之次席、西山大衛(足利将軍家)、槙嶋半之允(三齋の朋友槙島云庵家)は世々比着座同列末席と定められている。
小笠原多宮家(忠利夫人実家)、清水家(綱利夫人実家)などがはずされているのも興味深い。
又、兵備から見ると第一線の御備組に配されることは見られず、御側組もしくは御留守居組に配されている。
時代が下ると随分と基準が緩められたのか、「御国中御侍以呂波寄」から「中着座・比着座」(イロハ順)を見ると、随分範囲が広がっているのが伺える。
中着座
・片山多門 (2000石)
・柏原九八郎 (4400石)
・蒲池喜左衛門 (100石・足800石)
・谷権右衛門 (1500石)
・益田弥一右衛門 (1500石)御用人
・佐藤仙右衛門(3000石)
・木村男史 (3000石)
・三宅藤助 (2000石)
・平野新兵衛 (2000石)御用人
比着座(ひちゃくざ)
・飯田長助 (450石)
・西山大衛 (1279石余)
・堀寿三郎 (1000石)
・竹原勘十郎 (215石・足450石)
・竹原清大夫 (500石)
・中瀬助之進 (1200石)
・藪弥次右衛門(3000石)
・槙嶋半之丞 (1000石)
・松野左膳 (2000石)
・松崎宇平太 (500石)
・藤崎作右衛門 (1300石)
・郡織衛 (1800石)
・沢村八之進 (2000石)
・尾藤助次郎 (3000石)
まさに有名人のオンパレードである。よくもまあこれだけの人が集まったものだ。