津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「一輪の花の力念じて」

2011-05-16 09:40:52 | 新聞

 今日の熊本日々新聞に、在熊の作家・石牟礼道子氏が東北大震災に関してささげられた、「花を奉る」という詩経が掲載されている。能の世界を思わせるような格調高い文章に引き込まれてしまった。東北の地で津波で折れて倒れた桜の一木に、一輪の花が咲いた。再生をそして未来を思わせるほっとする風景があった。記者は「多くの人たちの言葉にならない思いや悲しみを『花』に託す」と書いている。言葉の持つ力の大きさを感じさせる一文を、皆様にもぜひお読みいただきたいと思う。全文ご紹介したい衝動に駆られているが、それはなるまい。「くまにちコム」から本日付け紙面で御覧いただきたい(無料の登録が必要)

 氏は天草に在って長く水俣病や苦しむ患者、そして海に対峙して色々な作品を残されてきた。
生きていく辛さや悲しみのなかに、一筋の光明の如くに咲いた一輪の花は、まさしく希望につながるように思える。地元の皆様にもぜひともお読みいただける機会は無いものかと考えている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%89%9F%E7%A4%BC%E9%81%93%E5%AD%90

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大改革のスタート

2011-05-16 08:34:05 | 歴史

 井田衍義の中の「郡中法令-343」に次のような文書がある。

今度思召之旨有之、非常之赦を被仰付候ニ付、前々御知行取・御中小姓御暇被下、御勘気之者共儀、被成御免候様、右之通之者支配致置候分ハ、右之趣其者へ申渡有之候様及沙汰候間、寺社之内、右躰之者共支配ニ有之候ハヽ、御免之段早々申渡名付可被指出候
                          (略)
     寶暦六年六月十一日                     御奉行所


この時期は、藩主重賢が帰国している。年譜によると四月廿八日江戸発駕、六月朔日熊本着駕とある。「六月七日非常の赦あり勘気追放は赦、徒死の二罪は二等減」と記されている。これが十一日の奉行所「達」となった訳である。この年は宝暦の改革の真っ只中である。その手始めがこの恩赦であった。そして次々と指示が為されていく。

    ・奉行所蔵司の改革
    ・世禄世減の法を立て舊知新知の差別定まる
    ・国中男女人別帳調方
    ・八月選挙法を定めらる
    ・家士の座班を定めらる
    ・再春館を建て薬園を設けらる
    ・堀勝名(平太左衛門)を中老とし、大奉行を兼任せしめらる
    ・御家老脇の職を止め、御側大頭鷺之間詰と改名
    ・御留守仲の御城代を家老に命ぜらる

約八ヶ月の在国をへて、宝暦七年三月再び参勤の途に付くことに成る。
満を持しての大改革のスタートとなった。

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