一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

君も雛罌栗(こくりこ)、われも……

2012-05-04 21:54:30 | 雑記

 

     
        5日は端午の節句。新聞を読んで気づいたのだ
        が、与謝野晶子がパリにいって100年になる。
       
       1912年(大正元)5月5日、新橋を列車で発ち
       福井県の敦賀から海路、ウラジオストクに渡った。
       そこからシベリア鉄道で、途中、モスクワに立ち寄っ
       て、パリの北駅に着いたのが19日午後4時。
       2週間の長旅だった。
       
       半年前に渡仏していた夫鉄幹を追っての旅である。
       生活の苦しさと忙しさからもめごとの絶えない2人
       だったが、いざ夫がいなくなると、淋しくてたま
       らないのであった。
       晶子はようやく鉄幹なしでは歌がつくれないことを
       実感したのである。

       迎えに出た夫と恋人同士のように抱き合った。
       フラランスの街は明るかった。
       そして、こう詠んだ。

        ああ皐月(さつき)
         仏蘭西(ふらんす)の野は火の色す
          君も雛罌栗(こくりこ)われも雛罌栗

       だが、晶子は間もなく体調をくずし、日本において
       きた7人の子どもたち恋しさに狂ったようになる。
       晶子は8人目の子を妊娠していたのだった。

       晶子は一足先に帰国し、渡欧のために前借した朝
       日新聞に連載小説を書きはじめる。
       (『明るみへ』)
       その何ヵ月も後、鉄幹は晶子の働いたお金でのう
       のうのうと優雅に帰国する。

       しかし、パリ留学を果たしたはずの鉄幹は仕事が
       なく、またしても晶子の力を得て「明星」復刊を
       するが失敗、すでに時代は浪漫派からリアリズム
       文学の世界へと移行していた。

       それからも晶子の奮闘はつづくのだが、
       雛罌栗とはひなげし、虞美人草のこと。
       だが、
         君もひなげし、われもひなげし
       ではサマにならない。

       
         

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