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日本の自然宗教 3

2017-05-17 04:23:26 | 

天皇の存在が日本の自然宗教を考える上で重要である。また、日本人の個の独立のない、お上に従う意識には、天皇の在り方が影響されているのも確かなようだ。私にはそのその意味でも修学院離宮を考えてみる必要があると考えている。修学院離宮は天皇家がもっともその意味を確認させられた、消滅の危機にさえさらされた時代に作られたものだ。日本の水土の理想郷を作ることで、その在り方を形として確認しようとしているのではなかろうか。それは、日本の3000年の循環農業の行き着く姿でもある。アジア学院というものが栃木にある。鶴川農村伝導神学校東南アジア科を母体とする。ここにおられた方で、アジア学院の成立にかかわった方がいる。小田原のキリスト教会の牧師さんであった。この方が農業を小田原でもやりたいというので、協力させてもらったことがある。その過程でアジア学院が作られたころの話を詳しくお聞きすることができた。やはり宗教的想いを根底に持つ一つの理想郷作りである。那須にあるアジア学院を訊ねて、その感想をより強く持った。

農業では考え方が具体的な農場の形に表れる。斜面を利用している。上部に宿舎を作り、そこで出るすべての排せつ物が、下の方の田んぼに流れ出てゆき、その施設から出るものは水以外はない形であった。修学院離宮も規模はさらに大きいが同じである。修学院離宮の形に江戸時代の天皇家の考えていたことを知ることができる。「17世紀中頃、後水尾上皇によって造営されたもので、上・中・下の3つの離宮からなり、借景の手法を採り入れた庭園として、我が国を代表するものです。」と宮内庁の説明にはある。しかし重要なことは田畑と離宮の関係である。上部の池からの水は下の田畑を潤すことになる。美しい日本庭園ではあるが、溜池でもある。借景には水田も取り入れられている。稲作における文化の側面。何処を天皇家が、日本人が目指すのかの、一つのかたちとして示そうとしたと考えられる。

後水尾天皇は戦国時代から徳川幕府が形成される時代を生きた天皇である。徳川家康という永遠の統治思想をもった権力者の前に、天皇家をどのような存在として維持するかを模索し、示したものが、修学院離宮ではないかと考える。徳川幕府は皇室に対して、尊重し利用してゆくという姿勢になる。家康は仏教を檀家制度という形で利用する。檀家制度が村という組織を強力なものに、日本人を固定する役割となる。深い政治感覚を有した家康は、日本人とは何かをよく理解していた。天皇や仏教を否定するよりも政治に介入させない位置に、止める方針を持ったのであろう。後水尾天皇は上皇になり85歳で死ぬまで天皇家の意味を修学院離宮という形でしめそうしたのではないか。日本を農的な文化によって治める中心となる存在であることを示そうとしたのではないかと考えている。日本人の精神史を考える上では、天皇と東洋3000年の稲作農業の存在がある。稲作は運命共同体を作る。

村という単位の水で繋がる単位を形成する。田んぼの中で生きるという事は、協力しなけば生きて行けないという事である。個人で独立して生きるという事は村八分を意味する。葬式と火事以外にはかかわらないという閉鎖社会。化けて出られると困る葬儀。火事で延焼したら困るときの消火。後はかかわりを断つ。稲作で生きる社会において、村八分になるという事は生存できないという事を意味する。いじめのようだが、暮らしの上で必要であるから行われた処罰制度である。これはムラ全員の賛成があるとき行われる。こうした生活形態から、逃げ場のない村という社会において、日本人が形成されてゆく。この逃げ場のない形は西欧的な封建社会を当てはめて考えると、違うと思う。どう違うのかも書きたいのだが、まだ本を読み終わらないまま、感想を書き続けている。

 

 

 

 

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日本の自然宗教 2

2017-05-16 04:48:04 | 

日本精神史を読みながらの感想文の続きである。壁画であれ、仏像であれ、建築であれ、芸術、学問、宗教、法律までもが中国の最先端思想と技術によって、国の形が作られてきた国が日本である。その中心に存在し、中国文化に巻き込まれないような精神的安定を図った存在が天皇ではなかったのかという私の考え。天皇制は稲作文化に基づいた制度といえる。天皇家は水土の渡来技術を先進的に保持していた。稲作は水土技術がなければできない。しかも一定の権力の形成がなければ大きな土木工事は出来ない。水土を管理する技術は最先端技術であり、天皇家を中心とした集団が、管理運営をしていた。それ故に遣隋使遣唐使を含め、中国朝鮮からの渡来人が朝廷を技術者として支えていた。天皇という自然宗教神のような存在が、日本を維持するよすがであったのではなかろうか。最先端の技術を天皇を介して受け入れる様式の形成。

稲作を行う村々の鎮守に神社が作られはするが、あくまで、土俗的なアミニズム的な信仰が維持され、神道を宗教としてではなく、巨木信仰のように受け入れる。分かりやすく言えば、村の鎮守の大木への意識のようなものが、天皇という存在になる。身近な存在でもあり、永遠を思う遠い神が混同されていく。神社の巨木に戦争責任は問えない訳だ。ここにすり替えが起こり精神の安定が図られる。明治政府がこの天皇を、帝国主義の皇帝と位置付けたことで、天皇の意味が変質する。この天皇に対する見方は、堀田氏とも、阿満氏とも違う。正直私の考えている天皇像が正しい見方なのかどうかも自信がない。しかし、自分が田んぼをやってきた経験から、どうも技術というものはそういう事になるのではないかと考えるようになった。先端技術と宗教の関係を考えてみる必要がある。初期の宇宙飛行士が宗教家になるというようなことも、考える材料になるかもしれない。

日本人が豊かに心安寧に暮らすためには、最先端技術としての稲作を行う事が必要であった。その稲作技術が天皇家を介してもたらされることで、宗教にかかわり深い稲作が形成されていったのではないだろうか。現代でもMOAのように農業から宗教が生まれることがある。福岡氏や川口氏も極めて宗教的と言える。自然と一体化している農業が、日本人の生き方を支配していた時代があるのではないか。農業の中でも稲作は継続性という事が特に重要になる。3000年同じ場所で、自然耕作的に継続できる農業である。子孫に美田を残すために生きるという事になる。自分の田んぼを耕作してゆくという事は土を作っていることである。土は自分一代で結論が出ないようなものである。ご先祖様が土を作ってくれたから、今の自分が良い稲作ができるという実感の中で暮らすことができる。この舟原地区においても、1700年ごろに新田開発が行われ、人口が増加したとおもわれる。300年前の名前は知らないご先祖様が驚くべき程の努力の結果、作り出した田んぼを守り続けてきて今の自分の家族や暮らしがあるという意識が、日本人の村意識の根底にある。

それは近代日本国という国の成り立ちにも大きくかかわっている。問題になるのは明治期の日本が遅れた帝国主義国家として、必死近代国家を形成しようとしたときに、その日本人を天皇を中心とした、不思議な宗教国家ともいえるような不思議な形を作らされてしまったことになるのではなかろうか。日本の今の政治状況を考える上で、重要になる点はここにある。それまでの稲作神の様な天皇さんという村の鎮守の総まとめ的存在とは、隔絶する支配者としての帝王としての天皇の創出。これが現代の日本の保守思想を支配している。三島由紀夫氏、石原慎太郎氏ともに明治帝国主義の妄想家にしか見えない。安倍慎太郎氏は遅れてきた存在として、やはり同じに見える。こうした人たちに天皇家はゆがんだ明治期の天皇を期待されているのだ。日本人の精神史に大きな影響を与えてきた天皇の存在は、むしろ江戸時代の天皇家にあると考えるべきである。少なくとも、この2つの時代の天皇家を峻別して考えなければ、日本人の宗教は見えてこないように思う。(何かわけがわからないのだが、大切なことのようなので続ける。)

 

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日本の自然宗教 1

2017-05-16 04:23:15 | 

今、阿満利麿著の日本精神史を読んでいる。やっと半分くらいまで読んだ。途中で感想を書きたくなった。天皇と日本人問題が深く思考されている。私も何度も読んだ、堀田善衛の「方丈記私記」から話を展開している。なぜ日本人は天皇に戦争責任を求めなかったのかという事である。ドイツではヒットラーが戦争責任の中心にいる。日本では東条英機であり、天皇は埒外にいる普通ではない存在である。戦争責任とは、論理的ではなく距離を置いている存在。軍の独走にむしろ歯止めをかけようとしていたのが天皇であるという、珍解釈まで流布されている。現実はそんなことではなく、間違いなく日本は天皇を中心、天皇の命令に従い戦争を行った。それにもかかわらず、日本人は何故天皇に対して、ヒットラーに対する責任者批判ではなく、戦争に負けてしまい申し訳なかったという気持ちを持たされてしまったかである。天皇に責任をとれという世論は起きなかった。むしろ、天皇が戦犯から外されて、ホッとしたのではないか。責任を全面的に受けてくれた軍人の態度に安堵したのではなかろうか。

日本人は無宗教の人が多いいと言われている。一方で日本人は日本教の信者であるとも言われる。日本人にとって宗教とはいったい何を意味するのか。私は曹洞宗の僧侶であるのだから、間違いなく仏教徒である。同時、日本教の信者にも含まれている自覚がある。日本人は柳田国男氏が民俗学で示したように、近代化された明治時代においても、民族学や人類学の対象になるような、島国ゆえの原始から継続された原住民的な民族性を維持していた。それが柳田民俗学の誕生したゆえんだと思う。ヨーロッパではすでにそうした原住民的要素は薄まっていた。柳田国男は戦後、日本人がどのような精神構造で戦争に至ったのかを研究しなければならないという事を考えた。それをこれからの民俗学の主題にしなければならないという事を主張している。しかし、その学問の結果が示されたとまでは言えない。そこにある問題は天皇と日本人の関係に表れている。

天皇家にたいして何か自分のご先祖様に繋がるような存在、他人事ではない何かがあるのだろう。日本の神は普段は普通に暮らしている。神が降りて来て乗り移り神事を行うのが一般的である。神が降りてくるのは、一緒に暮らす人の場合と、外部からくる異人のこともある。常人がわざわざ、狐憑きやお犬様になろうという場合さえある。こうした感覚の中に日本の自然宗教がある。巨木信仰と近いものが、天皇信仰の一面にはある。山とか海とかに対する自然宗教的信仰が、根強く日本人の中に近年まで維持されてきた。そこに天皇という神ともいえない存在が3000年影響を与え続けたのではなかろうか。例えば、舟原には秋葉神社の小さな祠が、山の中にある。毎年自治会でひっそりとお祭りする。火伏の神様であるから、もし火事が出た時お参りしていなかったでは済まないという気持ちがある。災いを避けるために神社に村の鎮守にお参りする思いは、刻々薄れはしているが、完全に無くなったわけではない。その秋葉神社のお参りと、天皇の存在はまったく関係がないともいえない感覚がある。

漁師であれば、村の海を司る神社に豊漁と、漁の安全を祈ることは今も真剣に行われている。こうした日本人の習俗ともいえるものは、いわゆる宗派宗教とは別物である。村を守る神社と言っても教義がある訳ではない。自治会が行ったとしても、憲法で示す宗教とも言い切れない側面がある。村の鎮守は日本教の一面としか言いようのない、日本語を話すという事と同じような、民族特有の文化と考えられる。私は大半が農民である日本人は、こうした気持ちの根に東洋3000年の循環農業があるとかんがえている。未来永劫続く、続けなければ有利性のない農業の形態が、天皇家という耕作の技術を司る神官という立場で関係をしているのではないか。種まきをいつするかを、伊勢暦でおじいさんは決めていた。つい50年前の話である。伊勢神宮は農業者にとっては農業神なのだ。伊勢神宮の神主が天皇である。実際には少し複雑だがそう考えても間違いがない。MOAでは今でも種をお祭りするそうだ。こうした豊作を祈る気持ちと天皇家は繋がっている。(続ける) 

 

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沖縄復帰45年

2017-05-15 04:52:54 | Peace Cafe

あの日から45年経ったのだ。金沢にいた頃のことだ。あの日のことは強く思い出す。美術研究室でこのことをみんなで話した記憶がある。高校の時の饒平名先生に言われたことを考えていた。あの時研究室にいた共産党員は沖縄返還に反対をしていた。沖縄が返還されると日本本土が沖縄化するという主張であった。心底共産党が嫌いになった。共産党の考え方に一致することが多いいのだが、どうして支持政党として共産党にはなれないのは、沖縄差別を沖縄差別とも思わない人たちの主張に、許しがたい記憶があるからだ。それではまるで今のアベ政権と同じではないか。沖縄が米軍の統治下のままであるという、最も取り除かなければならない日本人の責務の前に、日本本土が米軍基地化されるなどという脅し文句を主張する姿に、唖然とし嫌悪感を覚えた。あの嫌悪感を今も忘れられない。たぶんそう主張したあの人は、今も共産党員であろう。そういう人であった。しかし、自分が沖縄差別したことは今も気づいてもいないであろう。そしてくだらない理屈を言うはずだ。どんな面を下げて辺野古米軍基地反対などと言っているのだろうか。

まずは沖縄の返還である。その上でどれだけ沖縄から、そして日本本土からアメリカの基地を減らすかを運動してゆくのが、沖縄返還の日に、日本人の役目だと主張した。その後の私の努力も足りなかった。本土から米軍基地は減少し、沖縄の米軍基地は広がっていった。いまや日本の米軍基地の70%が集中する結果になった。沖縄返還は日本本土の米軍基地減らしが現実であった。何処まで行っても沖縄差別が続く。今の日本の極右勢力は沖縄を中国の防人になれと叫んでいる。まさに沖縄差別だ。あの時の共産党も、今の極右勢力も、利己的人間だ。中国が攻めてくるから、沖縄の基地を強化する。そんなことは絶対にないと確信しているが、もし、たとえそうであるとしても、沖縄が防人になって犠牲になるような発想は、みじんもあってはならない。ともに、日本国全体が亡びればいい。誰かの犠牲の上に、自分の安寧な暮らしなどあり得ないのだ。ともに苦しみを分かち合う事だ。

今台湾に続く琉球弧に自衛隊基地の建設を進めている。与那国島にはすでに自衛隊基地が出来た。住民が増加したという喜びもあるようだ。しかし、20%に増加した自衛隊住民によって、選挙によって自衛官が町長になる可能性も出てきた。どんな島になってゆくか大いに不安がある。宮古、石垣に基地ができるまでは、与那国では自衛隊は良い印象の形成に集中するはずだ。宮古島は基地受け入れを決めた。果たしてどんな基地ができるのだろうか。ミサイル基地という事になっている。自衛隊基地ができるという事は米軍もいつの間にか軍事機密の下で共用するという事になる。これが沖縄の米軍基地縮小の見返りである。トランプ政権の主張する米軍経費の日本負担である。

石垣も中山市長は曖昧ながら、基地受け入れを進めている。こうして、世界自然遺産になろうという美しい島々を、日本本土の犠牲に成れというのが、アベ政権の中国敵視政策である。尖閣諸島をわざわざ問題化した、極右石原慎太郎の謀略である。中国が覇権主義で問題があるから、仕方がないというのが主張であるが、日本は憲法によって平和主義だ。軍事力でない外交力によって問題の平和的解決を計るべきだ。内閣には相手が問題をあげつらい、問題をより深刻化させる前に、平和憲法のものとに平和的解決の努力をする義務がある。中国に対してどれだけ平和的な努力をしているか。少しもしているようには見えない。明かな憲法違反であろう。国民の大半がこんな汚い政治手法にまんまと乗せられている。まして、沖縄が防人になって犠牲になればいいと言う神経が許してはならない。「沖縄を返せ、沖縄に返せ。」このように大工さんは唄った。沖縄は沖縄のものだ。日本本土の犠牲に成れなど、人間の発言ではない。辺野古の基地を警察力で強行するなど、日本人のやることではない。何という苦しい沖縄の45年ではないか。

 

 

 

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神奈川県の里地里山条例の見直し

2017-05-14 04:43:05 | 地域

神奈川県では昨年里地里山条例の見直しを行った。私はその条例に関する事業にかかわっていながら、迂闊にもそのことを知らなかった。先日の県の里地里山相談の集まりにおいて、そのことを教えられた。その条例の見直しのための委員会があり、里地里山に関して、5回の協議を行い報告書を作っている。その報告書では生業としての里山の農業は不可能になっているという事が報告されている。地域の農業があって里地里山は作られたものである。では生業の農業がないまま、どのようにしたら里地里山が保全されるかについては、明確な提言はされていない。しかし、条例では県行政はどうすればいいかを示すことが義務付けられた。そこで県の出した条例とそれに付随する文章を読んでみた。抽象的な方向性は示されているが、具体的な提案は当然のごとくない。先日の県との相談会では、溜池は農地ではないので、対象にならないという事を県担当者が何度も繰り返して発言した。しかし、条例を読んでみると溜池や水路は明確に対象にしている。

検討委員会の報告書から抜粋してみる。

1) 全般的な課題
条例が目指すものを整理する必要がある。里地里山の保全等により何を目指していた
のか、里地里山は生業的にもならないし、ボランティアのみでの活動では将来性も非常に厳しい。
里地里山の保全再生を通して地域が活性化することが条例の狙いであるはずであり、
その地域活性化の指標を考え、施策の優先順位を付けていくことが必要である。

現実には、里地里山で農林業を生業とすることは難しい。では、活動の全てをボランティアで行うということになると、資金面から活動を継続することは非常に難しく、どちらでも上手く行かないと考えられる。

また地域をしょって立つという人材を育成しないと次世代に継承することはできない。

里地里山の保全型の農業の維持により、景観が保全され、生物多様性が確保され、自
分達の散策場所となるということは、里地里山の多面的機能が、多くの県民に恵みを与える存在であり税金を投入して守るべきものとなる

以下の8つの観点から、里山の評価をすべき。となっている。

① 生物多様性(生き物の個体数の増減等)
② 健康と里地里山について(長寿との関係、予防福祉の効果、子どもの健康、体力、認知症、自閉症、障害者)
③ 景観の保全
④ 農文化の継承
⑤ 参加者の多様性(女性や子どもの参加)→元気のある地域か否かを評価できる。
⑥ 里山の食生活
⑦ 自然体験の有無による子どもの生活の度合い(非行との関係など)
⑧ 活動によりどれだけの資金が得られたか


報告書には生業としての農林業の継続は難しいがそれに代わる、里山を保全する形の提案を読み取ることは出来ない。県がこの報告書に基づき、作った里地里山の指針を読んでも具体的な方策は読み取ることができない。

あしがら農の会は荒廃地の保全を25年行ってきて、それなりの成果を上げていると思うがどうなのだろうか。例えば、美しい久野里地里山協議会の活動地域だけでも、農の会が農地の保全を行っている面積は4ヘクタールほどある。その場所は耕作放棄農地の回復と言って良い。そして現在も農地利用の希望者は存在する。私を含め生業として新規就農者が実際に農地保全を行っているのである。そのやり方はこの地域で農業をやりたいと考えるものや、自給的に農業をやりたいというものが、新規に就農しているだけのことだ。それはあしがら地域全体では、30ヘクタールを超えている。あしがら農の会ではその新しい人たちを呼び込む役割を25年行ってきた。このやり方を神奈川県各地で展開すれば、里地里山が保全されるはずである。

農の会は神奈川県のNPO団体である。県に登録をしている。活動の報告も行っている。それでも多分県の担当者は農の会の活動を知らないのだろう。知らないという事は仕方がないことではあるが、知らないまま里地里山の農業は出来ないと考えているような気がする。今行われている何故里地里山地域の保全については、何回も報告をしているにもかかわらずである。理由が私にはよく分からない。神奈川県西部における里地里山農業の可能性を、あらゆる側面から考えてみる必要がある。法律の整備屋法の施行の為の努力を行えば、充分に神奈川西部の自給農業は可能である。自給農業が広がれば、里地里山の保全はかなり広がるはずだ。従来の農業の発想を転換しなければ、神奈川の里山は荒れてゆくことになる。

 

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種子法の廃止

2017-05-13 04:14:20 | 自給

種子法が廃止された。廃止された方がいい法律だったと思う。法の継続希望する動きもあるようだが、種子法を理解してのことなのだろうか。私はサトジマンの種子を使い稲作をしている。農研機構が作出の素晴らしい品種だ。これは、種子法の恩恵である。しかし、このお米を販売するときにサトジマンと正式には名乗ることは出来ない。何故だろうか。もちろん私が種子として種もみを販売することは違法行為である。

「種子法によって稲・麦・大豆の種子を対象として、都道府県が自ら普及すべき優良品種(奨励品種)を指定し、原種と原原種の生産、種子生産ほ場の指定、種子の審査制度などが規定される」「日本古来の原種や原原種の優良品種を都道府県が管理し、農家に提供せよ」「種」について、単純に「ビジネス」と化すことはせず、「農家に安価で優良な種を提供する。」

以上が種子法の目的だとすれば、全く現在においては不用な法律である。廃止して自由な種子作出にした方が良い。品種が農家のものになる。今まで種子法の恩恵は受けたことがないし、むしろ種子法によって制限を受けてきたように思える。自由に種子の売買が行われていないからである。日本の食糧安全保障、食糧自給、そして食の安全を考えたとき、種子法での制限は無意味である。種子法が無くなれば、モンサントの遺伝子組み換え作物のなだれ込みになるという意見を見かけたが、全く関係がない。モンサントは種子法があろうがあるまいが、政府が遺伝子組み換え作物を作りたいと思うかどうかにかかっている。政府は農産物の競争という意味で、遺伝子組み換え作物がやりたくてしょうがないのだ。種子法とはなんの関係もない。下手をすれば、遺伝子組み換え作物が種子法によって各県の奨励品種になりかねない訳だ。遺伝子組み換えの大豆を制限することを、非関税障壁だというのが、アメリカの主張だ。

原種の維持と種子法は全く関係がない。稲の原種の維持と言っても、そんなものはまだ見つかっていない。今ある稲のすべてが人間が作り出した品種だけだ。麦も同じであろう。大豆も同じであろう。それが作物というものだ。優良品種を作り出す努力を、今までは国の関連機関が補助金を使い作出してきた。素晴らしい品種が山ほどある。山ほどありすぎて何が良いのかわからないほどだ。たとえば、沖縄県の奨励品種が「ひとめぼれ」というのはどうなんだろう。1981年宮城古川農業試験場において、良食味と耐冷性を併せ持つ品種の育成されたものだ。なぜか亜熱帯の沖縄の奨励品種になっている。これが沖縄の普及すべき優良品種なのだろうか。その結果沖縄の稲作の収量は極めて低い結果になっているのではないか。確かに沖縄の稲作面積に対して、民間の種苗会社が新品種を作出すれば、相当高価な種子になるだろう。もしかしたらその種子は品種特許となるかもしれない。しかし、それを違う形で取り組むことができる。酒造会社と農家が共同して、インディカ米の泡盛品種を栽培して、販売展開もできる。そういうところに創意工夫が起こることにもなる。

沖縄では泡盛用品種が農業研究センターで栽培実験をされた。やはり農研機構で作られた楽風舞という品種だ。今までインディカ米の輸入原料で作られていた泡盛を、沖縄でジャポニカ米で生産しようというのだ。この作出の趣旨がよく分からない。インディカ米を泡盛用に沖縄で栽培すべきではないか。もちろん様々な考えがあっていいのだが、そういう自由な研究や販売を出来なくしているのが、種子法なのだ。品種を作ることはとても困難である。と同時に簡単なことでもある。簡単という事は人に品種として販売するのではなく、自分の田んぼに適合した作りやすい品種を維持するという事は、誰にでもできることだ。自家採取するということは自分の品種を作出しているという事である。困難という意味は県単位で変わらない品種を作るという事は極めて難しいという事だ。お米が統制されていた時代の名残で、県単位で奨励品種を作り、その購入種子で栽培し、農協出荷しなければ、品種名を名のれないよう制限がしているのが種子法である。

 

 

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リアルのゆくえ展

2017-05-12 04:02:08 | 水彩画

平塚市美術館で6月11日まで開かれている展覧会である。田んぼの仲間の恩田さんがしきりに良かったと言われていたので、急いで見に行ってみた。私の場合リアルの行方が知りたかったかというより、高橋由一の鮭や岸田劉生の麗子像の確認をしたかった。そしてどうも日本の洋画の世界のわびしさを確認することになってしまった。何処の国も、歴史的なその民族の絵画というものがある。そこに海外の絵画がぶつかり、その衝撃でゆすぶられて生まれる反応がある。その反応は案外のその民族を垣間見せる。昔北欧の印象派という展覧会をストックフォルムの美術館で見た。北欧3国の画家で、パリの印象派の影響を受けて、そんな風に描いた絵描きたちの展覧会であった。あれを見た時と類似の衝撃を受けた。真似は面白くないという単純な事だ。ロシアのイコンの世界とレーピンのリアル絵画と較べた時に、イコンの世界に魂が魅かれるという事に近い。その民族が長い歴史を経て、育ててきた文化は簡単なことでは越えられないという事になる。

明治期の高橋由一の鮭の絵を見るのは5,6回目かと思う。この作品は芸術としての絵画だとは思わない。油彩絵の具の試験というようなものだろう。材質感を日本画よりも表現しやすいというような驚きがある。新巻鮭の干された魚肉の質感や皮や鱗ぬめりのようなものに、何処までも迫ろうとしている。その結果新巻きじゃけの匂いまで漂う絵画になった。しかし、これは芸術としての絵画ではない。むしろ、生物標本のリアルさに真剣に迫ろうとする姿勢のあまり、その迫る人間の気骨のようなものがたまたま現れ出てしまったという事に過ぎない。それはそれですごいことではあるのだが、絵画する姿勢というものから考えた時に、高橋由一という人間の表現はどこにも感じられない。以前科学博物館で行われたボタニカルアート展で蘚苔類の標本画を描いた苔学者の図録を見たことがある。そのリアルさへの病的な熱意に驚きを感じた。それは独特の絵画だとは思ったが、それは芸術とは言えない。そういうものと自分の考える絵画とは別物と考えている。

芸術表現とはそこに作者の人間が感じられなければ、私には見るべきものがない。その点岸田劉生の絵画は劉生の人間の表現である。リアルであるというのはたまたまのことで、この人は人間の魂のようなものを描こうとしている。それは壺の魂であり、風景にある生命感である。この人の眼には、肉眼で見えるという事の先にある、心の目に映る何者かが見えていたのだ。麗子の命の姿が見えていた。その命というものの不思議にはじまり、存在するという事の不思議を思想として画面化しようとしている。リアル表現は見えているのだからそう迫る以外に方法がないという、その時の技法に過ぎない。リアルに迫ることだけがその見えている不思議に近づくこととも考えていない。それだけではない何ものか、肉眼で見えてしまうものの奥底にある何かは、肉眼的にどこまで迫ろうとしても、迫り切れない何かがある。このやり尽くせない、見えたように描けないという絵画の限界のようなものに直面し、自覚しているすごさなのだ。絵は出来ないという事が明確にできれば、その作者が現れることもある。

総じて日本のリアル絵画のみすぼらしさ、底の浅さを見せてもらった。ベラスケスに迫れるような人はわずかにもいない。リアルの先にある絵画芸術にあるべき豊かさというものがまるでない。草土社の絵に至って、リカルのゆくえは絵画的になるが、その後現代にいたるまで、絵と言えるようなものはない。フィギアスケートでも、体操競技でも芸術点というものがある。ただトリプルアクセルが飛べただけではなく、その飛び方が芸術言えるほどの美しさを表現していることが評価される。リアルのゆくえは、4回転が出来れば、4回転半という世界である。それはそれですごいことではあるが、もうすぐ、6回転でも軽々とこなす、ロボットが登場するのだ。リアルだけ考えれば、機械を超えることは出来ないものだ。その時に、人間は何をするかである。コンピューターソフト囲碁に対して置き碁でも勝てなくなった人間が、コンピュター同士の戦いの、芸術的評価をして鑑賞している姿は奇妙だ。もうしばらくである。人間が自分の脳の力を高めるため、深めるために囲碁をすることが良いのだ。自分という人間の奥底を探るために絵画はある。あくまで自分の為の芸術である。

 

 

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自衛隊の日報隠しはどうなったのか。

2017-05-11 04:09:38 | Peace Cafe

自衛隊が南スーダンジュバでの戦闘状態を書き込んでいた日報を廃棄処分にしたと、虚偽報告をしていた。NHKがこの事実を自衛隊幹部から聞き取る調査報道をした。アベ内閣はその報道がある寸前に、南スーダンからの自衛隊部隊の引き上げを発表した。関連した対応なのだろう。今回の事件にはいかにも軍隊という組織が陥入りがちな問題点を感ずる。特別監査を早急に行うと稲田防衛大臣は答弁したが、結果はどうなったのか、2か月経過しても公表されていいない。南スーダンの実情の把握がおかしかった。国連も、世界のあらゆる報道も、南スーダンは内戦状態だと報告していた。にも拘わずアベ政権は隊員の安全は確保されていて、南スーダンは内戦状態であろうとも、首都のジュバ付近には戦闘状態はないと説明を続けていた。幸運にも自衛隊の安全は守られた。このことが何よりよかったと思う。戦死者の出た国連部隊もあったのだ。アベ政権の説明を覆す、現地の派遣部隊の日報が出てきた。これはまずいというので、破棄処分を命じたという、軍隊特有の情報隠しが起きた。

国会の稲田防衛大臣のしどろもどろの答弁によると、ジュバでは銃撃戦はあったが、騒動の範囲であり、国同士の戦争状態とは違うという。この説明は、あくまでPKO部隊の派遣の条件に、戦争状態には派遣できないという取り決めがあるからだ。法律的な言い逃れの説明をしたという事であろう。しかし、国連軍が派遣される状態は、いつ戦争状態に変わるかわからない、不安定な地域であろう。小競り合いが、大規模な衝突に変わり、戦争に陥るという事が普通なのであろう。今回のような、言い逃れをしながら、自衛隊を危険地域に送り続けるという事は、許されるものではない。日本国憲法には国際紛争を武力によって解決しないという事が明記されている。こうしたことが起こらないように憲法を変えようというのが、安倍総裁の考えなのだろう。そうなれば、軍隊は日報の廃棄どころか、大本営発表だけを行うようになるだろう。

確かに自民党憲法が制定されれば、自衛隊は戦闘地域に派遣されるようになるだろう。しかし、現在の日本国憲法では政府に対して軍の海外派兵はやってはいけないと、規定している。にもかかわらず、アベ政権は憲法解釈の拡大を続け、戦闘状態の地域への軍の派兵まで行っていたのだ。そのことの証拠が出てきたものだから、廃棄処分を命じる判断を自衛隊中枢が行った。これは軍の統制という意味で大問題のはずだ。自衛隊員は政府を告訴すべきだ。戦闘があると現地から報告しても握りつぶされ、戦闘地帯に置き止まされてしまったのだ。これは国同士の戦闘ではないから、と詭弁を弄して言い逃れを行っている。派兵せざる得ないという大前提があり、つじつまを合わせようとしている。この思考の回路が実に危険だ。シリアへの空爆も、北朝鮮への先制攻撃も、アベ政権は支持するとトランプに強調している。これを日本政府が主張することは日本国憲法違反である。国際紛争は平和的手段に解決すると明記してある。

PKOで派遣された自衛隊が、危険で過酷な任務を行っている。この現実を隠しておかなければならないと考えたことは、民主主義に反することである。それは現地の隊員に対しては屈辱的やり方である。自衛隊はブラック公務員なのか。出来る限り現実の実情を国民に知らせることが、災害救助隊であるとしても、必要不可欠なことだ。実態をごまかしてしまおうという行為は、軍隊の独走を生みかねない。戦争はそういう現地派遣部隊のねつ造行為が基になり、大本営発の情報操作に繋がっていった。今回NHKが調査報道を行い、事実をあぶりだしたわけだ。さらに報道に期待することは、ジュバのPKO部隊の置かれた危険を映像として日本に伝えるべきであったのではないか。自衛隊部隊が戦闘行為があると報告した現実を日本の報道機関には報道してゆく義務があったのではないか。少なくとも自衛隊が行けるところなら、報道も行けるはずであ。PKO部隊の派遣には中立公正な報道が同行することを義務付ける必要があるのではないか。

 

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アベ自民党総裁の憲法改定論

2017-05-10 04:16:10 | Peace Cafe

アベ自民党総裁が、自民党の党内の手続きを経ないで、個人的な考えの憲法改定論を展開した。自民党は自民党憲法草案を党内で決定し、それを党是としている。たとえ総裁であろうとも、個人的な思惑で自民党草案を変更した案を主張してよいものなのだろうか。これほどの勝手な振る舞いが許されるような立場とは、つまり独裁になった自民党総裁という事なのだろう。アベデクノボウ人形はどうも自民党総裁という意味と総理大臣という意味を巧みに演じさせている。誰が操っているのだろうか。自らなのだろうか。自民党議員等どうとでもなるという判断。これではすでに政党ではなく、北朝鮮と似たようなものではなかろうか。アベ政権で党員が緩んでいるというが、最も緩んでいるのはデクノボウの頭だ。

反発したら、出世の道を絶たれるとなれば、社員のような自民党議員は言いなりになるだけのようだ。自民党には民主主義は存在していない。それだけは確かなようだ。ルール無視の総裁の政党が政権をとっていることには本当に不安だ。自民党憲法を取りまとめた船田氏はさすがに、安倍氏のやり方を腰引きに批判している。アベ政権としては今回の発言はあくまで自民党総裁としての発言だとしている。だから、予算委員会では答えないという。これにはまた驚いた。どういう二枚舌人形だ。自民党内の手続きなしに勝手なことを総裁として発言し、今度は国会に来たら、あれは自民党総裁人形の発言で、内閣総理大臣人形の方は関知しませんということ。そういえば国会人形の方は野党議員の質問を下品だとおちょくっていたが、あの時の表情は総理大臣の人相ではなかった。

九条に自衛隊の存在を明記するという主張は、まさに公明党に嫌と言わせないためだ。公明党の主張である、加憲という不思議な考え方に乗ったわけだ。現行憲法では自衛隊も違憲であるという考え方が普通である。解釈の拡大で誤魔化している。現行憲法の何処を読んでも、自衛のための軍隊を持って良いとは書いてない。しかし、自衛権は憲法以前の国際法上認められた権利だから、持てるのだというのが今の憲法解釈である。ここに無理があるから、自衛隊を加えたらどうかというのが加憲である。妥協案のように見えるが、今の憲法の拡大解釈の集団的自衛権問題を考えてみる必要がある。今の憲法でも自衛隊は無理無理合憲であるし、集団的自衛権でアメリカ軍と一緒に戦争に行くのは認められているというところまで拡大解釈をした。今の憲法ですら、この拡大解釈をするのだから、自衛隊が憲法に明記されれば、もう普通に自衛のための戦争ができるという解釈になる。戦争は自衛のためという理由で始まるのだ。

北朝鮮のミサイル攻撃があるから、発射の兆候があれば、先制攻撃する権利があるというのが、今の日本国政府の考え方である。発射の兆候を拡大解釈をして行けば、あらゆる戦争が始められることになる。憲法は現実に適合させるものではない。国家の目標として掲げるものだ。その国家の理想に従って、国の運営を行うのが内閣である。憲法を行動を妨げるものと考える理由は、憲法の理想を邪魔なものと考えているからだ。国際紛争を解決するために、あらゆる平和的手段を行使する義務が、内閣には憲法から命じられているのだ。しかし、アベ政権は平和的手段など初めから摸索する気持ちがない。中国を仮想敵国として、国民をいきり立たせ、憲法改定に躍起になってだけだ。確かに世界の情勢は厳しいものがある。世界大戦が勃発して日本が巻き込まれる可能性も、現実味を帯びてきている。そうした情勢だからこそ、日本国憲法だけが世界の希望なのだ。日本が憲法に従い、ピエロのようでもいいではないか。必死に平和主義を求める国でありたい。

 

 

 

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ともに生きる かながわ憲章

2017-05-09 04:14:50 | 暮らし

 

ともに生きる 翔子

一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします

一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します

一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します

一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます

神奈川県の憲章である。この字の力に目を奪われた。すごい字だと思う。いい字である。こんな絵が描きたいと思い、この憲章のことを読んでみた。津久井のやまゆり園の恐ろしい事件のあと、二度とこういう事件を起こしてはならないという事で作られたものだそうだ。この憲章に心がこもり、ともに生きる社会になってほしい。この文章には、私たちは、と4回繰り返している。問題は私たちにあるという自己確認であろう。私たちには当然すべての人間が入っている。私も入っている。私から偏見や差別をとり除くことができているだろうか。誰もがその人らしく暮らすことの地域社会づくりに取り組んでいるだろうか。全ての人の命を大切にしているだろうか。考えさせられた。ともに生きることが大切であって、人に勝つことではないという確認。

ともに生きるとは競争社会をこえるということだろう。競争以上に助け合う思いで生きるという事だろう。生きることに競争を必要とするというのは否定できない。勝ちたいという気持ちも大切である。機械と将棋をしても勝ちたいと頭をひねる。負ければ釈然としないような気持になる。勝つために努力もする。この勝ちたいという気持ちは人間が向上する上で大切なものである。その気持ちは、他人に勝つという事ではなく、自分の向上に向けることが大切なのだと思う。経済的な意味では、他人に勝たなければ自分の利益が出ないという事がある。物を売るとすれば他社の製品に勝たなければならない。しかし、私が最高だと思う卵を作ることが大切で、最高の卵が出来れば生きて行けるという社会にしなければならない。田んぼをやっている。最高のお米を作っても生きて行けないという現実がある。そこで出し抜く生き方になりかねない。ともに生きる社会を作らなければ解決はない。

人間として大切にしなければならないことを、まっすぐと守ることで生きて行ける社会にしなければならない。田んぼをやっているときに、畔で昼寝をしている人も居る。働かないで雑談をしている人も居る。泣き叫んで邪魔をする子供もいる。これが現実である。そのなかでも一生懸命働くことのできる人も居る。その人なりである。働ける人は自分を磨いているのだと思う。そうした誇りの中で輝いて生きている。すべてはそれぞれの人の輝きである。人間は田んぼをやるという事で磨かれ光を増す。やれる人は一人でやることを好む。それはまだひとりでしかできない人なのだ。助け合うという事は、実は厳しいことだ。十の力の人と、一の力の人が助け合うという事は11を5,5づつに分かち合うという事だ。10働いて5,5しか得られないという事を、ばかばかしいことと思うか、役立ててそれでよかったと思えるかである。

キレごとで済まないという感覚を悪い社会が作り出している。瑞穂の国は共同の社会だった。田んぼというつながりの中で、競争だけでない協働社会が、思いやりの国を作り出していた。資本主義経済の考え方がしみこんだ頭を、乗り越えない限り、ともに生きることは出来ない。自分という人間を磨き直さない限り、誰もがその人らしく生きることは出来ない。この素晴らしい憲章の基礎にはそいう厳しい生き方が求められている。戦争が起こりそうである。もう起こっているともいえる。戦争はまさに偏見と、差別である。憎しみによって相手を理解できないために起きる。憎しみが消えない限り戦争は無くならない。偏見や差別は能力主義から来ている。能力があるから利用価値が高いという、経済から乗り越えられるかである。

 

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ヤフーコメントの分析

2017-05-08 04:05:56 | 身辺雑記

ヤフーコメントの分析というものが朝日新聞に出ていた。おおよそ実感と近いものである。違うのはヤフーにコメントすれば、出所が分析されるだろうという事がある。コメント全体の20%が、大量投稿する人で占められているそうだ。この20%が悪貨になってコメントの世界をダメなものにしている。私に来るコメントの90%ぐらいは嫌がらせコメントである。個人に対するコメントは自分がバレないという前提で行われるから、はるかに汚いものになる。右翼的コメントは組織的に行われている一群が存在する。もしかしたら、仕事でそういう事をしている人がいるのではと推測している。もちろんそれを憂さ晴らしにしている人も居るだろう。ウエッブ上に出てくる、特定の言葉の出てくる記事を自動的に拾い出しているようだ。そして、次々にコピペしたようなつまらない文章を張り付けてコメントする。商品の営業やストーカー体質で大量投稿をしている人達もいる。暗めの不思議な日々を暮らしているのだろう。

ネットのほうが、その人の日常よりはましな世界なのだろうか。社会の分析をするときに、ネットの状態を分析する手法があるようだ。共謀罪と関係してくるのだろう。最近差しさわりのない範囲で取り上げたコメントは嫌がらせコメントである。その他明確に犯罪コメントと思われるものも毎日のごとくある。嫌がるところが楽しくてやめられないという人は、コメントの世界には結構いるようだ。ブログを続けて来て、コメントの議論が良いものになったという経験は一度もない。人の意見を聞こうというような普通の態度がある人は、まずいない。友人のブログで絵のことでいろいろ書いたこともある。政治的なことは議論ができないのがブログのようだ。基本、自分の意見を言いたい場合、自分のブログに書く。自分の考えは、自分の名前があって成り立つものだからだ。名前のない意見というものは、空しくないだろうか。

以前は、書かれたものはすべて表示されるようにしていたら、ひどいコメントが多すぎて、消すのが大変だった。全てのコメントに返事を書くことにしていたから、どうにもならない感じになった。今は公開しないで消す。それでもコメントが来るのは何故だろう。世の中には多様な意見があるのは当たり前のことで、私がブログに書くのもその一つである。コメントをするくらいなら、自分のブログで意見を書けばいいのにと思うが、それでは嫌がらせにはならないし、もしやれば犯罪として捕まるだろう。こういう事でコメントの領域が以前より狭くなってきていると思う。コメントに何か意味が有るのかどうかは分からない。しばらくあえて並べた、無意味なコメントを見ると、ずいぶん日本が気持ちの悪い世の中になってきているような気になる。必要なコメント以外は載せないことにする。メールで頂いたご意見には返信しているのでご意見のある方はそちらにお願いします。sasamura.ailand@nifty.comである。

こうして悪貨が良貨を駆逐する。議論をするというブログの窓を閉じることになる。その意味では、悪質誹謗コメントを組織的に展開している人たちの思うつぼにはまる。残念だとは思うが致し方ない。好かれたいなど少しも思わないし、嫌われて結構と生きている。自給生活を選んだのも一切自分の好き勝手に生きたいからだった。人の世話になっていて、勝手にやることができないのが嫌だったからだ。出来る限り人の世話にはならない。病院にも行かなければ、水も食糧もエネルギーも自給する。それが好き勝手に生きる人間の態度ではないかと思ったからだ。人に嫌われても何も困らないように生きているつもりだ。どこの誰からも評価されないとしても、何でもないように生きている。絵をもう少し描ければありがたいと思う。

 

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舟原のクリムソンクローバー

2017-05-07 08:20:51 | 里地里山

舟原は今花が見頃です。ぜひいらしてください。バス停舟原のすぐ傍です。小田原駅から30分ごとにバスがあります。写真はストロベリーキャンドルTrifolium incarnatumです。クリムソンクローバーとも呼ばれます。花や葉はハーブとして食べることもできるそうです。水揚げを上手くできれば花は長持ちします。

 

舟原の田んぼの緑肥のクリムソンクローバーが花盛りで見事です。これが野生種だとは思えない、あでやかさです。赤クローバーよりも赤の色が強くて、花が長くなります。一面に咲き乱れる姿は圧巻です。少し見えている下の段は白クローバー、その下がレンゲです。田んぼの緑肥として何が一番良いか、比較調査をしています。また、緑肥が作物にどんな良い影響をもたらすのか。どのような時期に播種して、どのようなは手法が良いのか。様々比較検討をしています。舟原田んぼの緑肥はすべて、稲刈り後耕さず、そのまま蒔かれたものです。それでこんなに見事に成長すれば、素晴らしいです。田んぼも年々収量が上がっています。また、この素晴らしい農の景色を楽しみにして来てくれる人も居ます。美しい農地を作ることは、これからの里地里山の農業の大切な要素だと思っています。と自慢げに書いても、この田んぼは仲間の田んぼで、私の田んぼではありません。

こちらは少し前に花盛りだった。お隣の黄からし菜です。田んぼ一面に咲いて何とも見事です。こうした田んぼの冬の緑肥が、舟原の春を告げます。奥の方では、冬野菜や麦が栽培されています。こういう冬の耕作というものは、ほとんど見られなくなってきました。冬に田んぼに作物が作られていれば、相当に熱心なかたとみていいと思います。緑肥は田んぼの肥料になります。もちろん緑肥の王様のレンゲもありますが、レンゲの満開はもう少し後になります。

こちらは溜池のの藤の花です。水面にの花影が良い。絵になる。園芸品種とは違う野趣があり、なかなか良いものです。溜池の周りには数か所咲いています。写真では水面が少し見えていますが、このあたりが一番深いとこで30センチくらいの水深です。蓮やヒツジ草など植えたいと考えています。この溜池に季節季節花が咲くようになればと計画しています。いつかみんなの庭のようになればと思っています。

こちらが上側を見たところで、3段の棚田のようになっています。ここに水を溜めて田んぼ状態にして、植物を植えたいと思っています。中央に自然水路を作ります。全体が水辺の花の公園になれば、最高です。一緒に水辺公園作りに参加する人を募集します。自分たちの庭を作りたいと思います。蓮やスイレンなどもいいかと思っています。

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無くなる仕事

2017-05-06 04:06:33 | 自然養鶏

世の中が変化して、無くなる仕事があると言われると、不安になる人もあるかもしれない。世間的に言えば無くなってゆくはずの、昔の養鶏を仕事としてやった。自然養鶏というものは、失われている仕事を復活したようなもので、他にやる人は居なかったので、競争がないという点で成立できたのだろう。日本からなくなった仕事であったからこそ、生計を立てるという意味では案外に楽な仕事だったようだ。私が自然養鶏というものを始めた時には、似たものに平飼い養鶏というものがあった。オートメーション工場のような大資本の養鶏業に対抗して、せいぜい何千羽単位で地面に平飼いを農家的な規模で行うものである。工場養鶏はケージ飼いと言って、何段にも重なった狭いところに詰め込まれているので、地面で暮らしているというだけで、イメージが良いという事になった。ところが、餌はどちらも似たものを与える。私は子供の頃から鶏を趣味で飼ってきたので、どんな飼い方で良い雛が取れるかはそれなりに知っていた。良い雛が取れる卵が良い卵に決まっている。ここに私の養鶏業の道が見えた。

鶏の飼い方が知りたくてさまざな鶏飼いを尋ね歩いてみた。見せてくれないところが多かった。いかに平飼い養鶏に嘘が多いいのかを痛感した。本当の良い養鶏がやれることを身をもって示そうとした。発酵利用の自然養鶏を始めた。こうなると、子供の頃からの趣味で培った技術がものを言って、日本で唯一の自然養鶏をやれるようになった。放し飼い。発酵飼料。自家鶏種の孵化。その結果無くなったはずの伝統農業であるからこそ食べて行けるという結果になった訳だ。つまり人間が生きてゆくという事は、世の中の動きをどのように見るかである。自然養鶏は大変だからできない。やれたとしても効率が悪くてできない。たぶん大抵の賢明な人はそこまで考えたところで止める。始めたとしてもなかなか続かない。私は誰よりも鶏が好きだったので、楽しい自然養鶏が可能になった。

無くなる仕事とはどういものか、ロボットや人工頭脳に置き換えられるだろう仕事のことだろう。危険で汚い仕事が無くなるのは悪くない。無くなるという事は少数派になるという事で、危険でも好きなら存在は可能という事になる。まあ、電話のオペレーターが好きという人は少ないだろうが。私は鶏が好きで、飼えればいいと思っただけだ。商売になろうがなるまいが、飼っていたいというのが本当の所だ。だから養鶏業は止めたが今も鶏は飼っている。生きるという事を出来る限り味わいたいという事だけだ。おざなりに鶏を飼うのではなく、とことん鶏というものを極めてみる仕事が面白いことだ。人間が生きる為に仕事がある訳だが、人間がその人らしく生きるという事が全ての大前提にある。自分らしくあるために仕事を作り出す。問題は自分らしいもの、自分の好きなものに生きる目標が見つかるかどうかにかかっているのではなかろうか。このことはそれぞれのことなので他人のことは分からない。

絵を描くことが好きだ。これだけは生きている限りやり続けたい。そのくらい面白い。有難いことに100歳でも体が動く間は可能な仕事だ。65歳まで自然養鶏をやれた。70歳までは自給農業をやるつもりだ。この2つのお陰で絵が描き続けられた。それはお金のことではない。生きるという事をそのことを通して知ったという事だ。鶏を飼い農業を突き詰めている内に、描くべきものが見えてきた気がする。有難いことだ。絵を描き、自分を探るという最も難しい仕事を、好きなことをやり尽くすことで、近づくことが出来たのかもしれない。そう気づいたときが養鶏を止めた65歳である。最後の絵を描く仕事に向かった時である。あと何年残されているのかは、運命に従うしかないが。30年ぐらいはほしい感じだ。そんなに元気で生きていられる人はめったになかろう。それなら20年だが、これなら焦らないでもいいかも。あと10年しかないとすれば、相当にせわしい感じになる。先の事は考えてもしょうがないが、ここまでこれたのだから、自分なりの10年をまずやり尽くしたい。

 

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忖度の国日本

2017-05-05 04:47:45 | Peace Cafe

日本の文化が忖度に基づいているのは、瑞穂の国ゆえのことだ。水田の文化は忖度を育む。安倍晋三記念小学校、安倍昭恵名誉校長は忖度利用小学校なのだ。籠池氏にはこのように書けば寄付金が集まるだろうという、醜い欲がある。ただ籠池氏は美しい日本を作るためには、この程度の悪だくみは、大目に見てくれるだろう。少なくとも断られるまでの期間は使えるだろうの思惑はあった。そんな調子だから、断られてからも相当期間使っていたことも確かなようだ。しかし、この汚い右翼人間に何故、昭恵夫人が引っ掛かったかである。安倍晋三氏も一時は騙されていた。それは、二人が純粋な右翼人間だからである。世間知らずの二人は様々に利用され、操られてきた木偶人形なのだ。昭恵夫人が良い人だからなどという事は、悪意の前では扱いやすいどうにでもなる名前に過ぎない。たぶん、籠池氏が活動していた日本会議の内うちの世界は、こういう魑魅魍魎がうごめいていることだろう。田母神氏のような、理解しにくい退職自衛官もいる。保守政治家が200人以上加入しているというようなことだ。

日本会議を分かりやすく映像的に書けば、靖国神社に日章旗を掲げ参拝して、天皇陛下万歳三唱し、明治の御代の再現を願う人たちである。明治帝国憲法を金科玉条とする。また、日本会議は新興宗教界や、経済界にも深いかかわりを持っているようだ。それは、アベ政権が軍国主義より、大企業の利益を重視する政策をとることでもわかる。アメリカに占領され、日本国憲法を押し付けられたと怒る割には、アメリカの経済力を利用して利益を得ようという拝金主義が目立つ。その点籠池氏の汚さと同じだ。一見、精神主義に見えるが、金権主義そのものである。安倍氏はこの日本会議を忖度して、籠池の接近を許し、付け込まれた。権力というものは実は忖度されるものであると同時に、忖度するものでもある。昭恵夫人の行動も純粋に見えて、何かを忖度して動いている。その忖度にどこかからの示唆が加わっていると思われる。

総理婦人であるからまといつこうという人たちだ。籠池氏もいれば、日本会議の面々もいる。財界関係の人も居れば、報道関係の人も居るだろう。きっとその中に信頼している人がいる。そういう人の示唆が名誉校長を引き受ける結果になってしまった。もちろん、安倍晋三氏もそれを承認したわけだ。当時は森友学園を評価し、講演まで引き受けている。それには政治家としての忖度が働いている。こういう行動をとれば、自分の評価が上がるだろうという思惑である。生身の安倍氏は自信のあまりない人だと思う。大家育ちからくる、人に任せられる特徴がある。この人の判断に任せて、その演出に従い動けるという、特性である。アベノミクスなどと見えを切れと言われれば、平然と自分の言葉のように力説できる人なのだ。まさか、あの経済政策に安倍氏がかかわっているとは私には思えない。

総理大臣がこういう人だと、その周辺の人たちも忖度で動く。論理ではなく、契約でなく、法律でなく、忖度が重視されるようになる。あの人の再就職を世話しておけば、今度あの補助金は忖度されるのではないか。これが文科省の大学天下り再就職である。これは氷山の一角が違法性で浮上しただけである。自民党の議員たちの行動を見ればよく分かる。反主流派がいない。自らの意見を主張できる人は少数派の河野太郎氏ぐらいだ。小泉新次郎も何故農協解体に躍起になるのかと言えば、自民党の農業政策の本音を忖度しているからだ。日本が稲作農業を止めることが、日本の経済に一番だと考えているのだ。農産物の国際競争力とはそういう事なのだ。リンゴが生き残ることの方が、農業として効率がいいという判断。政治の世界が忖度で動いている。言葉化され、議論されることがない。国会ではガス抜き、息抜き程度の議論。どうせ自民の言いなり。それなら、アベ政権にぶら下がろうというのは、自民党員だけではない。公明だけではない。ありとあらゆる権力志向者がぶら下がり始めているとみなければならない。

 

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絵を描く生活

2017-05-04 04:43:40 | 水彩画

お隣の田んぼの菜の花

絵は実際に画面に描いてみなければわからないことが多いい。また描くときにその描いている場所を見ないと、何を描いているのか見えないことがある。家のアトリエでは何も進まないことが、現場に行くとなんでもなく進むときがある。同時に現場にいてはわからないでいたことが、家に帰って初めてわかることも結構ある。絵を描く時は里地里山にある、永遠の空気のようなものを画面に表そうと考えている。その表わすべき空気を探して、あちこちへ行く。あそこならと目星をつけている場所がある。石垣島にもあるし、下田にもある。山梨の生まれたあたりにもある。私のやっている田んぼにも少し見えることがある。篠窪や沼代にもそうらしい感じがあるので、繰り返し描いている。その空気のある場に入り込み、その空気に向い描いてみる。無心と言えるような状態でただ描く。今のところ、そのやり方が一番そこにあるの空気に迫れるような気がしている。何故、永遠を感じるような空気が特定の所にだけあるのか。これは妄想なのかと思う事もある。幻覚を描こうとしているので描けないのかもしれない。

同じ場所を繰り返し描いているので、書道のように書くべき字が分かっていることに近い。書を行う時に、字は分かっているけれど、間違った字になる事がある。自分の名前を間違う時すらある。必ず、鉛筆でどういう字を書くかを書いてそばに置いておく。そうでないと、書こうとしている字が分からなくなる。「薔薇」とかいう字ならともかく。「花」と書こうとして字が分からなくなる。風景を描くときもそんな感じがある。みて描いている訳ではないようなのだが、目の前にないと間違う。何も花という字を知らない訳ではないが、字を書くという頭の中の回路と、書を描く回路では働く脳の場所が違う。絵を描く脳の回路は、筋道が立たない回路なのだ。理解していることを再現するのではなく、未知の映像を創造しようとする脳の回路を働かせる。絵を創造しようとする回路では記憶のようなものは消えるようだ。だから、いつも描く場所なのに、分かっている場所なのに、初めて描く場所のようだ。

生きるという事は、日々やってみなければわからない、未知の世界へ踏み込むことだ。それは若い時だけではない。70までの3年最後の新たな気持ちで農的な生活に挑戦しようと考えている。これは未知のことだ。やってみたことのない世界だ。67歳からの自給生活の世界は、どんな驚きと充実があるのか、今の今もわくわく感がある。当たり前だが初めてで最後のことだ。この後の3年は私の自給生活の総括になる。まだ体はある程度は動く、自給農をやる程度ならば十分である。蓄積した知識や観察力はそれなりにある。田んぼでも畑でも、自分なりの技術になってきているつもりだ。呼吸を整えて3年を過ごしてみたいと思っている。運よくこのままの暮らしが続けば、その過程は少しづつ記録はしたいと思う。人に伝えるほど価値があるのかどうかは分からないが、伝統農業は間違いなく急速に失われるだろう。また伝統農業の実践家は記録をほとんど残していない。その意味では多少価値はあるかもしれない。

永遠の空気感を描くという事は、農地のある風景に豊穣感を感じるからだ。生きるための食べものが自然と融合する場所で成長している姿。ここに人間が生きるというものを感ずる。実に具体的にこうやって人間が生きているという事をこの空気感が示している。それは大自然でもなく、工場でもない。自然と人間が手入れを通して作り出した里地里山の環境である。それを自分自身が自給生活を30年やってきて、初めて実感したものだ。当たり前の普通の人間である自分がたまたま、自給自足生活をしたおかげで見えてきた世界だ。その上に自分は絵を子供の頃から好きで描いて居た。自分以外には興味も持てないだろうし、見えることもないだろう。この豊穣の農地を私なりに描きとめることを役割にしたいと考えている。あと何年描けるか先のことは分からないが、10年以上はかかるだろう。もし10年やれたら幸せなことだ。

 

 

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