地場・旬・自給

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机を作る

2015-06-15 04:05:30 | 自給

机を良く作る。別段机が好きという訳でなく。木が好きなのだ。木を耕作していればうれしくなる。絵を描くのとはまた違った楽しさだ。特にケヤキが好きだ。削ったり加工していたりすれば満足なのだ。たぶんマザートリーというものではないか。一度始めるとしばらくは止まらなくなる。今回の一連の机は、以前のセキタ建設さんの庭に放置されていたものだ。大きなケヤキを根の所から輪切りにしたものだった。相当古いものだったようだ。切ってから少なくとも30年は経過してると言っていた。それからもう10年はたった。倉庫を改造するので、外に出したようだった。そこで売ってくれないかとお願いして、確か8枚ほどあって、それをまとめて確か1万5000円とかで安いので買ったものだ。

自給生活では、家も家具も当然自分で作りたい。と言って今住んでいる家は、残念ながら、自分で作ったものではない。食事をしている机は、山北で開墾生活を始めた30年前に切り倒した、ケヤキの木を山北に会った野地材木店さんで板にしてもらった。やはり何年かして自分で作った。それほど太い木ではなかったので、何枚も板をはってある。今も充分に使える。必要なものは何とか作るのが自給生活である。上手とかヘタとかは関係が無い。自分にとって気分の良い物を目指して作る。今回4つの机を作った。

 この板の厚さは、15センチはある。一番根本の輪切りだ。私は気のモク目とかが好きな訳ではない。むしろ木目を強調したものはいやらしさがあり嫌いだ。それでも、できタラ油を塗って保護をする。しばらくすると落ち着くのだが、最初は黒ずんで木目が強調される。机に乗っているのは、野焼きで焼いた陶芸の作品である。向かって左が縄文のストロベリーポット。中央が頭山。右は鼎の器。どれも花卉だ。この作品を載せる台になった。

 こちらは机にはケヤキの切れ端を載せ、その上にケヤキの器を載せてある。ケヤキの3段活用だ。それくらいケヤキが好きなのだ。中段のケヤキの板は、目的があるものではない。ただの切れ端と言えば切れ端なのだが。面白くて拾ってきたものだ。

 下の足は仮の物である。もう少し良いものを今計画している。しかし脚は少し難しい加工になるので、今はやる時間が無い。この足がよいのは、高さが高め低めに変えられるつくりだ。これはタモ材だ。これは本田大工さんがやはり倉庫を片づけるときにくれたものだ。

この机が3点目でのものある。この足は組んであって凝ったものだ。上に乗っているのは、ケヤキの家と、奥にケヤキノウッドドラムである。木魚と言うほうが近い。そして立っているのが1メートルくらいのケヤキの塔。

 

 ケヤキの塔はなかなか面白い。ケヤキの皮の部分の切れ端は、段々ひねれて曲がって来る。この曲がって来る所いいのだ。曲がりを見ている時が自然である事が見えるのだ。そして、この大きなケヤキの梢に吹いた風まで、かかった月まで想いを馳せる。事になる。

4つ目は、外のテラスに置いてある机。予定では足の上下が逆なのだが、まあ一応こうしてある。武骨な感じが面白いかと偶然に従った。この机で麦などを干している。大抵は猫がこの上で寝ている。

どの机も、90センチの80センチほどのものだ。残念ながら、実用性はあまりない。絵と同じである。ただただ作りたくなるので作る。本当は椅子が作りたい。しかし、そこまでの技術はないので、残った木を眺めて考えているところだ。

 

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年金受給者名簿の流出

2015-06-14 04:32:04 | Peace Cafe

日本年金機構のまたかという大失態である。過去には、紙記録からデジタル化する過程で、多くの記録を失ってしてしまい、最後の一人まで調べると言う話の割には、結局のところ曖昧に調査も終わろうとしている所であった。あの大反省発言は何処へ行ったやら。今情報の基本となる、「マイナンバー制度」が行われようとしている矢先である。年金や税金の事を考えれば、必要悪の様なものだと考えていた。益々、マイナンバー制度に不安が増す。今回の年金番号の流出は、どうも偽装メールによる、サイバー攻撃が原因のようだ。関係省庁からの連絡に装い、添付書類を開くとウイルス汚染させられるようだ。職員個人が、自分のパソコンに、個人情報をいれておくという、信じられないようなずさんが流出の原因である。相変わらず年金機構の職員の意識の低さに驚く。このやり方が便利なので、機構としても認めていたというのだから、全く情報管理等できない組織である。

と言って別段驚かない。そのくらいのダメださ加減が、人間というものだ。私などもっともっとダメを繰り返している。だから職員の失敗を攻めると言う事より、問題はシステム構築をきちんとできないものが、国民の大切な情報を扱っている国家的なセキュリティーの問題である。情報というものは、流出するものだという大前提で考えておきたい。こうしてブログを書いている一つの要素は、むしろ防御するという意味がある。勿論私の様な者の情報など価値はないと思うが、それでも警察に監視、盗聴されていた経験がある。不審人物という事である。良く警官が家に来た。家の中を必死に覗き込む。そんなに中が見たいなら、どうぞ中を見て下さい。と言ったら、かけずり回るように中を見て歩いた。権力者は分からないという事が不安になるものなのだ。自給自足している人間など、理解しにくかったのだろう。自分と価値観の違う人間を理解することが出来ない。そういう事なら、すべてを公開することで、権力者に安心してもらった方がいいと考えている。

監視カメラ社会という事がある。あるいは様々なカード情報の筒抜けというものがある。携帯電話の位置情報がある。通話記録から、メール情報など、ありとあらゆる情報の中に生きている。普通に暮らしていれば、マイナンバー以前にすべての情報は流出していると考えた方がいい。マイナンバーはそれらを整理をするための様なものである。人間はすべからく弱点がある。情報としては探りだそうとすれば、このブログに書いていることなど、把握されているだろう。マイナンバー制度も、個人が少々失敗をしたとしても、流失不能なシステム構築が大前提である。しかし、必ず抜け穴がある。抜け穴のない仕組みなど考えられない。年金機構だって好き好んで、流出したかった訳ではない。しかし扱っているのが人間である以上、何処かに穴が出来るのだ。事故が起きてから想定外という事になる。日本の安全保障は、エネルギー、食料、情報はどうでもいいようだ。

結局の所、情報化社会に生きて行くと言う事は、さらされて生きて行くと言う事になる。透明の箱の中に生きている人間。それがそこに住む人間の、精神をむしばんでゆく事になるのだろう。人間には隠れて生きていたい部分があるとだと思う。完全に把握されてしまう、疎外。権力からは見えすぎていて、一人ひとりの生きている人間からは、マジックミラーの向こうの権力は見えない。問題はこの個人の把握のされ方にある。私が社会派の大者であるとすれば、権力に反発しようとするすべてが、事前に察知されて、弱点を攻められる事になる。弱みの無い人間など無いから、簡単に社会改革に取りかかれなくなる。情報を把握されると言う事は、牙を抜かれると言う事に繋がりかねない。権力者にとっての安全、安心社会。しかし、そう思いながらも後戻りできない。情報という物の独り歩きは、既に止める事は出来なくなっている。

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憲法解釈の変更の不思議

2015-06-13 04:19:15 | Peace Cafe

安倍政権は積極的平和法なのか、戦争法なのか、いずれにしてもホルムズ海峡まで自衛隊が出動できる法律を、提出している。この法律が違憲であるのか、憲法解釈の範囲内なのかは、学問的には違憲と言えるのだろうが。政治的には微妙な所にある。だから、保守派からは、先ず憲法を改定してから法律を作るべきだという意見が主流だ。中谷元・防衛相は10日の衆院平和安全法制特別委員会で、集団的自衛権の行使を容認した政府の憲法解釈について、将来的に安全保障環境が変われば解釈が再変更される可能性もあるとの認識を示した。会見では、安保法制に合わせて、憲法を適応させて行かなければならないという説明をした。こうした考え方は、明らかに立憲主義を否定している。憲法に従い、国政を行うのが、立憲国家である。現実の国際情勢や、それへの対応という政治的判断に、憲法を適合して考えると言うのでは、立憲国家ではないという事になる。

野党は安倍氏よりも中谷防衛大臣に質問を集中させる作戦に出た。中谷氏が本来安保法制の違憲論を主張してきた、憲法改定前提論の人だからだ。所が、安倍氏はしゃしゃり出て、議長に発言を求める。総理大臣のこんな姿は始めて見た。普通は総理大臣はなかなか答弁に出ないものだ。安倍氏には、与党の数に頼んだ妙な確信があるのだろう。これは野党のチャンスではないか。安倍氏のしゃべっているのはあくまでせりふである。本人の言葉を引き出せば、とんでもない言動が出てくるはずだ。憲法について国会でもっと正面から議論してもらいたい。どうせ水掛け論になるのだとは思うが。ホルムズ海峡が戦闘状態にある時に、対立国の機雷除去が、いかに憲法の拡大解釈なのかを、国民に知ってもらう必要がある。もしそこまでやらなければ、日本国の防衛が成り立たないというのであれば、憲法改定が必要である。

日本国憲法では国民の不断の努力を求めている。まことに不思議な憲法である。「憲法に定められた、自由と権利は、不断の努力なしには守ることが出来ない」とされている。自由の権利は努力なしには、守る事が出来ない、と言うことを理解した人が造ったものだ。それを国民の義務に入れているのだ。この12条の文章はすごい。武力を放棄して、世界平和を希求するとして、日本人はそれに向けて不断の努力をしなければならない。そういう精神を根底に持つ素晴ら過ぎる位いの憲法なのだと思う。余りに素晴らしい物なので、汚れた現実世界では、使いこなせないのだろう。そこでつい憲法が建前として置いておかれることになる。世界遺産と言えるような憲法である。このブログを書いているのは、平和のための努力のつもりである。しかし、これだって不断の努力と言われたら、そこまでは言えない。他所の国の憲法にもこうしたことは書かれているのだろうか。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。平和への努力は前文に示されている。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。すごい憲法である。日本人としてあるという事は、この世界平和という崇高な理想を、武力を用いず、諸国民の公正と信義を信頼して進と断言している。積極的平和主義などという、誤解を招く言い回しはどこにもない。平和にまっすぐに、名誉をかけて進もう。という見事に率直な憲法なのだ。憲法解釈の変更が現実主義というが、その限界が来ている。現状ではいかにもご都合主義の泥縄である。正しいと考えているなら、憲法改定を正面からやるべきだ。解釈変更などというやり方では、日本国の立派な憲法を精神が衰退するばかりである。

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田植え11日目の田んぼ

2015-06-12 04:22:53 | 稲作

田植え11日目の苗に勢いが出てきた。田んぼの全体の様子です。転がしを始めている。手前の田んぼは、ソバカスを蒔いた後である。ソバカスは米ぬかと違って、水面に浮遊している。これが日を遮り、コナギの発芽を抑制する。この時期から8センチ以上水位を保つ。ヒエは発芽出来ない。

11番のもち米の田んぼから、一番の入水口の田んぼまで見えている。すべての田んぼが水で繋がっている。観察をしている内に稲と流水栽培の関係が見えてきた。9番と11番の2つの田んぼが全く排水なしになっている。排水なしでも稲はできるし、流水でも稲はできる。どちらもあると言う事になるが、排水なしの方が収量は多いいようだ。但し管理は難しくなる。

3番の苗床だった田んぼ。初期肥料が多いいはずである。しかし、稲の生育がその下の4番と比べていいのかと言えば、ほとんど変わらない。もう少し観察を続ける。

奥の田んぼが川沿いの2番。いくらか日照が少ない。土砂災害で一度崩れて、田んぼを作りなおしたために、調子がおかしい。今年はヘヤリーベッチと大麦を蒔いて、腐植を増やした。どんな変化がみられるか期待している。4番と5番と6番の田んぼが手前に見えている。

4番の田んぼ。ころがしが入り。活性化した感じがする。葉色が上がってきている。

7番の田んぼ。毎年畦が崩れる田んぼなのだが、今のところ何とか持っている。置くのアラオコシした田んぼは、お隣の田んぼで今年はやるのだろうか。

5番、6番の田んぼ。5番は代かきをしないで田植えをした。案外それが良いようで、生育がいい。6番は水の湧く田んぼでいつも冷たい。そこで、今年は今のところ、地下水だけのヒタヒタ水で栽培している。

9番の田んぼ。ここは一番水が廻りにくい田んぼで、気おつけないとすぐ浅水になる。

10番の田んぼ。手前に新しく11番に抜ける排水口を作った。水のよどみが無くなった。とても改善された感じがする。

11番の田んぼ。右上の白いものは、道路から降りる土嚢袋。これで道路との段差は1メートルはある。昨年収量が一番悪かった田んぼなのだが、今年はとても管理に力を入れている。

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憲法解釈変更と自民党憲法

2015-06-11 04:23:42 | Peace Cafe

自民党は本来であれば、自民党憲法を革命的に成立させて、その上で、普通に軍備の持つ国としたいと考えている。それは自民党党員の誰もが否定しない事だろう。中谷防衛大臣によれば、安保法制に適応させるよう憲法を考えると、逆の事を言っている。憲法を改定するのは、当面難しいと考えているので、先ず憲法解釈を変更して、そんなことが出来るのかどうかも怪しいのだが、ともかくアメリカとの対等の軍事同盟が結べるようにしたいと言う事だろう。具体的事例は、ホルムズ海峡の機雷の除去が行えるようにすると言う事らしい。これが日本の生命線だからという理由らしい。戦争の理由は経済封鎖が多いものだ。機雷を設置すると言う事は、外国船がそこを通れなくするための行為である。当然当事者は取り除こうとする者に攻撃を仕掛けることになるのだろう。という事は、機雷を設置した国と日本は戦闘状態になると想定しなければならない。果たして、石油の為に戦争をする国を目指すという事で、いいのかである。

安倍政権はともかく経済競争をすべての大前提としている政権なのだろう。多分大抵の国がそうなのだろう。石油が来なくなって経済が悪くなるとすれば、戦争も辞さないという事を主張している。お金の為なら戦争をするという国を目指すという事だ。確かに多くの人の本音がそこにあるから、自民党が多数派なのだろう。しかし、政治がそうであるとしても、果たして日本国が経済だけの国なるのは、私は嫌だ。経済は確かに国の基本である。しかし、石油の為には戦争も辞さない国というのでは、世界中で尊敬はされないだろう。単なる姑息な、経済の競争相手としか見えないだろう。日本が平和憲法で主張しているのは、国際紛争を平和的手段で解決するという目標である。つまり、紛争国から、信頼され、日本の主張を聞き入れてもらえる国に、日本が成長する事であろう。どう憲法解釈を変えたとしても、この憲法の精神を外れてはならない。

日本の主張が偏らず、独善的でなく、世界の為であるという事が、平和主義の大前提のとなる。その目標の為には、アメリカとの軍事同盟は、大きな偏りではないか。日本の主張を聞き入れる国は無くなるだろう。日本を中立的な公平な国で、テロの対象ではない。そのようには見てくれなくなるだろう。これでは日本の行う平和的努力は、今以上に効果を上げにくくなる。安倍政権はきれいごとより、お金だと決めつけているので、日本の国家としての尊厳を損なうという意味を理解していない。もし、安倍政権が憲法を拡大解釈のし過ぎの安保法制を作りたいとするなら、堂々と憲法改定を行うべきだろう。その上で行うのであれば、日本という国の有り方が憲法に表われているのだから、何処の国からも文句は言われない。今の状態は、平和憲法を掲げて、きれい事を主張しながら、裏ではアメリカとの軍事同盟という、卑怯な国に見える事だろう。それが戦争のリスクを増すという事になる。

安倍氏はわざわざ、アメリカ議会で隷属的態度を表明し、軍事同盟の出来る法律を作ると約束をした。今度はドイツで、この法律が憲法違反ではないと、理由を示さず語っている。これは結果的に、日本のアメリカとの信頼関係を崩す行為である。国会では丁寧な説明をすると言いながら、実例はホルムズ海峡に限定しされている。どういうときに、自衛隊が軍事行動を行うのか。厳格な3要件に縛られると言いながら、具体的には何も示さない。以前表明した機雷除去だけである。具体的な説明をしない理由は、アメリカの言い成りになるためである。どんな戦争にも理由を付けて制限なく参加するためである。今回の法律は、法の善悪は別にして、日本が軍事国家になって行く大きな曲がり角である事だけは確かだ。静かに、つまり、憲法の改定などしないで、いつの間にか軍事国家になろうと言う実に姑息なやり方である。

 

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韓国のコロナウィルスの流行

2015-06-10 04:22:53 | Peace Cafe

韓国保健福祉省は6日、中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスの感染者が9人増え、50人になったと発表した。7日、感染者が新たに14人確認され、男性(75)が5日に死亡したと発表。感染者は死者5人を含む計64人となった。8日、コロナウイルスに感染が確認された人が23人増え、合計87人になったと発表した。死者数は7人。9日までに死者は7人、感染者は前日より8人増えて95人になった。隔離対象者は384人増の2892人。10日、感染していた2人が死亡し、新たに13人の感染が確認されたと明らかにした。感染者は108人、うち死者は9人となった。12日、死者が計13人になった。感染者は計126人になった。

 

 

韓国で起こったコロナウイルスの状況は、日本の先行事例となる。中東からの帰国者がコロナウィルスに感染していた。そして、病院に入院した所から感染の拡大が始まった。この患者が中東からの帰国者とは病院側は気付かず。病院内でまず2次感染が広がった。さらに最初の病院に入院していた患者が、他の大病院に移動して、そこで感染を広げたという事である。感染は病院で起きているが、その外にはまだ広がっていないから、そう心配しないでもいいはずだ。コロナウィルスは感染力の強いウイルスではないと言われている。人人感染はする事はするが、患者と濃厚な接触が無い限り、感染はしないと言われている。ウイルスの変異は起きて炒る恐れが言われたが、今の所それはないと報告されている。だから、今回の感染の拡大は、病院での感染の対策に問題点があったという事である。この所を詳細に調べて、どこが病院での対策に落ち度があったのかを、日本での対策に生かさなくてはならない。

まず、1、最初に中東で感染した患者が何故、空港で申告しなかったのか。多分社会的な注意喚起の不足であろう。2、感染者が何故、保健所に連絡せず、一般の病院に行ってしまったかである。これは患者の認識不足。3、次に、病院で何故中東からの帰国者である事を把握できなかったのか。病院には、そうした事の確認の仕組みが無かったのか。一般病棟に居たのである。4、病院で何故、2次感染が広がったのか。相部屋に居たという事が信じがたい。5、医師の感染があった所を見ると、医療機関のコロナウィルスに対する認識が無かった恐れがある。6、その後他の病院で3次感染の広がりを見ると、関係者全体の認識の甘さが感じられる。7、対策が後手後手に回っていて、経過観察に指定された人が、大きく移動をしてゴルフをしていたりする。8、医療機関での感染の広がりであったが、病院名を公表しなかったことが、社会的不安の拡大になった。

鳥インフルについては、日本政府は情報の出し方の失敗をして、恐怖心だけを煽った。その結果、鶏を飼うと言う古くからの日本の伝統が、途絶えることになった。恐怖心をあおる行為の背景にあるのが、製薬会社の思惑である。現在もインフルエンザ薬の備蓄に莫大な経費が掛かっている。病気全体で考えて見れば、強毒性の鳥インフルエンザにかかって死ぬ人の数は、全世界でも2003年からの累計で患者数840人で死者447人である。普通の感染ではなく、きわめて特殊な感染をする病気である。コロナウィルスもそうだが、冷静に状況を把握して、日本での対策に充てなければならない。病院での厳重な感染阻止の体制を見直しておくことだ。海外から帰国して、熱が出た時には、病院に行く前に電話をして、どうしたらいいかを確認する。病院では少なくとも診察前に、渡航歴を把握する体制を作る。

海外からの帰国者の徹底した検疫体制であろう。飛行場や港で食い止めることが大前提である。国民全般に、感染危険地域への渡航に対する、事前の注意喚起のさらなる徹底である。また危険地域からの旅行者の入国時の感染の調査機器の整備である。水際での防疫体制の構築をもう一度見直してもらいたい。国内にウイルス入れないことである。国内に入った時には、初期対応に漏れが無いか、特に病院内の感染阻止体制には、徹底して取り組まなくてはならない。これは別のことかもしれないが、これからのテロは、こうしたウイルスの蔓延という事がありうる。もし、自ら感染者になり、敵対国に入国し、人ごみでウイルスをばらまいて歩くと言うような、ウイルス自爆テロ行為をどう防ぐのかが、今後のテロ対策の課題になる気がする。

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川村良紀個展

2015-06-09 04:26:02 | 水彩画

川村良紀さんの水彩画展を初日に見た。銀座のサムホールで6月13日(土)までやっている。水彩画を志す人は、見た方が良い展覧会である。水彩人を作った仲間の一人だったのだが、今は水彩人は辞めた人だ。若い時代にとても高い評価をされた人なのだが、しばらく絵を中断していた。若いころから工務店をされていた。今も工務店をされている。そしてまた絵を再開した頃、もう30年も前の事になるのだろうか。一緒に研究会を始めた。その後水彩連盟の代表になった。大きな公募展の代表になるような人だから、そういう人である。そういう人がどういう人かはえも言われぬ所だが。それぞれの考える所であるが、ともかくそういう人であるとしか言いようがない。水彩人の創立の仲間は、皆水彩連盟を離れて、水彩人として独立したのだが、川村さんだけは水彩連盟に残った。これについては、とても残念であった。良い仲間を失ったという事になった。川村さんの絵を理解できるような人は、水彩時連盟には少ないと思うがどうなのだろう。

独特の世界観をもって制作されている。人間というものはそう簡単なものではないという事を、川村さんの絵を見るたびに思う。川村さんの事は、川村さんの絵でしか知らないと思うように、川村さんの絵は川村さんの人格の複雑さを表している。功名心は強いようであり、それを全くカマトトぶっている様な、平然とした、つきぬけた純粋さがある。つまりあまりに露骨に人間的な絵なのだ。きれい事ではない、野心とか、偉そうな所、評価されたいという心。そういうものが、透明な幽玄的世界に、透けて存在する。この裏腹のすごさが人間なのだろう。そういう人間が絵に立ち上る所が、他の人の到達できない所なのだ。それがあまりに正直で、露骨であるから、けた外れの人と思うしかない。これほどにどん欲な人だから、絵の方も成長を続けるのだろう。何処まで行けるのだろうか。このあたりが川村さんの結論かもしれないと、今回は思った。それ程すご絵だった。

勿論良い時もあれば、悪いとこもあったのだが。今回の個展は相当にすさまじいものであった。勝手な言い分だが、自分がまだまだだということを思い知らされるものであった。川村さんの絵は、自分勝手さが強まった。自己否定が出来た。簡単に言えば自由になった。受けそうな絵も描いているし、全く受けないだろうと言う絵も描いている。水彩画の怖さと、可能性を、はっきりと示していた。随分と冷めた人なのだ。川村さんは70になるのだろう。その歳になって、一歩前進すると言う所がすごい。しかも、全く絵が途上なのだ。結論で描いていない。あくまで自問している過程なのだ。その人自身の日常の目の生長が、絵の研究過程を示している。それが、あらゆるいい加減差と、手慣れと、何もかもが混然となっていながら、ある自由を確保している。それが人間の有り方の深淵を、覗ってしまった人の精神が画面に立ち上っている。

久々に絵にやられた。こうはまでは描けない。まだなのか、最後まで描けないのか。絵はやはり才能なのか等などどうでもいい事をふつふつと思う。ついつい比較して自分を考える。まだまだ、私絵画に専念できない自分がいる。私が描いているのは絵であって、画面であって、人間ではないという事を、つきつけられた。水彩画というものの、行ける先はまったくに深い。人間の底から立ち上る画面を表現するような事が出来るのだ。実はその前に、現代みずえの会という、大原さんの教室展を見た。なかなか良い絵が並んでいた。良い絵がある事はあったのだが、まだ良い絵であって、絵が人間でない。ここが私の勝手な見方かもしれない。この会の良質な所は上手な絵を描くために、描いていないと言う所だろう。上手になりたい願望が無いだけ、気持ちの良い展覧会という事か。

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麦の収穫

2015-06-08 04:12:09 | 自給

今年麦の栽培を3種類+1やってみた。一つが2条大麦。麦茶用である。麦茶にするとおいしかったので、今年も2畝だけ作ってみた。昨年より実入りが悪かった。悪いようだが10キロはあった。現在14%まで乾いている。5月中に倒れてきたので、20日ごろ刈り取り家の中に干してある。もう一つが田んぼにばらまきした、緑肥用の大麦。記憶では品種は春雷だったと思う。これは緑肥の試験栽培であった。結果次第で来年も使いたいと思っている。ヘヤリーベッチと併せて蒔いてみた。秋、田んぼが終わってから、何もせずただばらまいただけである。それでどの程度発芽し、成長するのかを試験したかった。ヘヤリーベッチも大麦もあふれる様に茂った。田んぼの荒起こしをした日に、5月23日に良い実になっているし、種にするくらい取っておくことになった。種子を購入するのではもったいない。穂だけ集めた。それを干してあった。田んぼは参加者が多いいのでこういう事をやってみる気になる。大麦は家の中に干しておいた。1キロ蒔いたと思うが、13キロ位になった。5キロほど来年の種に残して、あとは麦茶にしてしまおうと思う。

そして家の畑のニシノカオリ小麦。これは今までで栽培した麦の中で一番良く出来たと思う。100㎡ぐらいに小麦の会で、余った種を蒔いたのだが、下の畑は土が良くなっている。一面の麦という美しい情景になった。実り過ぎで倒れた所が一部あった。全体が倒れるギリギリの所だった。バインダーで刈って、ハザがけをして干した。雨の前にハ―ベスターで脱粒をした。粒張りはとても良い。これが40キロあった。予想ではもう少しありそうだったが意外に少なかった。最後になったのが、小麦の会のニシノカオリ。7日が麦刈をおこなった。いよいよ梅雨入りなので、タイミング良くコンバインを入れる事が出来た。水分量は23,5%だった。家のニシノカオリとほぼ同じ水分量だ。刈り取りは1週づれた訳で、山の畑と家の畑では、1週違うと言う事になる。

小麦の会の畑は、出来にばらつきがある。昨年悪かったあたりには、大目に堆肥を入れたら、今年は良く出来ている。全体に上の方の出来が悪い。表土が雨で流れたという意見があるが、感じとして、畑が下の方に少しずつなだらかになってきた。その分上の方が作土が真土になってきたという事ではないかとみている。コンバインで刈ってそのまま、乾燥機に入れた。送風だけで循環している。今日取りだす予定である。コンバインも、乾燥機も頂いたので初めて使った。私には上手く使えなかったのだが、若い参加者の人が、機械の取り扱いに詳しく、どんどんやってくれた。コンバインが紐が上手く結べなかったので、裁断して蒔いてしまった。そこに鶏糞堆肥を50袋入れて、直ぐにトラックタ―で耕した。すべてが終わったのが、4時だった。

2条大麦はビール小麦である。ビール好きとしては、何とかビールまでやりたいと考えているのだが、そうなるとホップの栽培である。ホップの苗は育てているのだが、今年花が咲くまで行くのかどうか。花がもし咲けば、麦芽を作り何とかビール作りに挑戦したい。春雷大麦は麦茶にしたいと考えている。みんなで、大きなかまどで一気に炒りたいと思う。自分の家で少しづつやっていると、飽きてしまう。小麦はなかなか良さそうな出来である。今年こそ良いパンになるのではないか。是非とも試してもらいたいと思う。私はヌードルメーカーで大いにうどんにして食べるつもりだ。麦をあれこれやっていると、つい製粉機が欲しくなる。家庭用の良いものがあればと思うのだが、なかなか手が出ない。

麦の会の収量のまとめ。面積は7畝。品種はニシノカオリ。種籾分7,5キロ。乾燥機投入分220キロ内笹村分が20キロ。乾燥機の最低投入量に合わせたため。乾燥後の重量が181,5に減少。内、笹村分は乾いていたので10%減と考えて、18キロ。麦の会の小麦は163,5キロ。その後、機械を清掃した結果。5,5キロ出てきた。これは汚れもあったので、種籾に合わせる。その結果種分が13キロになった。収穫としては、176,5キロとなった。反収で252キロとなる。全国平均が383キロ。小麦はまだまだ栽培のレベルが低い。分げつが取れないことは当初の肥料不足。追肥をしていないためもある。

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サッカー汚職問題

2015-06-07 04:47:07 | Peace Cafe

世界サッカー連盟では、幹部が賄賂容疑で逮捕された。選ばれたばかりの会長が辞任である。汚職の疑いが言われている。逮捕された14人の中には実行委員会のジャック・ワーナー元副会長、ジェフリー・ウェッブ氏ら現職副会長2人、スポーツマーケティング部門の幹部4人も含まれている。今後再選された、ブラッター会長への疑いも言われている。どの道この汚職の闇は解明される事はないと見なければならない。何故、これほどひどい事態になるかと言えば、世界が金権体質だからだろう。お金をすべての価値に優先して、倫理というものが薄れて行く社会。特にプロスポーツは賭博と関係しているし、公営ギャンブルの一つにサッカーくじというものさえある。最近サッカーを取り巻く様々な事件には目に余るものがある。原因はアマチィアリズムが失われた所にある。金にならないものは価値が無い。と考える風潮である。金にならないものこそ価値があると言うのが、武道ではなかったのか。何か好きな事を行うなら、お金とは関係の無い所で、自分を磨いたほうがよい。

高校3年生のサッカー部員が、韓国に親善試合に出掛けて、何と集団万引きを大々的に行った。韓国釜山のアジア大会でカメラを盗んだ日本選手の衝撃事件に続いての恥辱の事件である。日本人という誇りの問題である。本来健全であるはずの、スポーツに専心する若者が何故こんな馬鹿げた事件を起こすのかである。まさかという事件が連続する所に、今の日本の問題が表れている気がする。つまり、競争に勝てばそれで良いという風潮である。スポーツに強ければ後の人間の方は、大目に見る。例の大学で教えていた金メダリストが飲酒した女子学生を暴行した事件すらあった。今回の高校生たちは、日本と韓国の現在の関係を全く理解していないに違いない。関係がなかなか難しい所に乗り上げている。親善試合に行く高校生が何を期待されているのか、試合に勝つこと以上に、日韓の友好であるという事を少しでも理解していたら、こんな事件が起こるはずがない。この高校はどんな教育をしていたのか、根本から考え直してもらいたいものだ。

高校生の行うスポーツはあくまで教育の範囲である。学校の経営の為に、生徒を競わせる傾向に問題がある。その為に優秀な選手は、甘やかされ社会常識が育たない。やって良い事と、間違ってもやってはいけない事の判別がつかなくなっている。多分韓国で万引きで捕まっても、自分の起こした事件の重大な意味を、いまだ充分には理解できていない事だろう。能力主義の悪い一面がこんな形で現れた事件だ。アジア諸国との交流事業を行う学校には、文部省から注意を喚起する必要があるのではないか。この事件で気になる不安は、サッカーという種目である。サッカーは世界一のプロスポーツの世界である。そうしたプロスポーツを目指す人達に対する学校教育の対応が出来ていないのではないかという事だ。

パリの地下鉄で、サッカーサポーターが人種差別行為をした。ローマでは、スペイン広場のベルニーニの噴水が荒らされ壊された。相次いで起こった、ヨーロッパでの暴挙は、サッカーのサポーターが海外に徒党を組んで出かけ、野蛮な行為を行う姿だ。日本でもJAPANESE ONLYの垂れ幕事件があった。何か嫌な事が起こる前兆現象が、サッカー界に表われでないといいのだが。この一連事件の根底にあるのは、プロスポーツチームの応援が徐々に強者の正義になっていやしないかと言う事だ。確かに日本選手が出れば、特別に力が入る。日本人である以上日本人を応援したくなる。そうした気持ちは自然なことだと思う。それでも相手を思いやれば、排除をすること等思いも及ばないことだ。日本人である誇りは、同時にどの人種もその尊厳を守ると言う事だ。スポーツは素晴らしいものだ。武道というものが、人間形成が目的であったという江戸時代の考え方を思い出すべきだ。一部のエリートスポーツ選手を生み出して、学校経営を考えると言うような、あさましい考えが、学校教育、人間教育を台無しにしている事に向かい合うべきだ。

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国会の議論形式

2015-06-06 04:23:26 | Peace Cafe

国会では議論がまともに行われない。それは既に多数決で与党が圧倒的という背景があるからだ。どうせ議論がした所で、結局のところ審議が進めば、与党が強行採決をして、後は自然成立を待つという事が見えている。憲法違反の疑いの有る法案が、国会では審議されている。にもかかわらず、良い議論が少しもできないでいる。結論ありきの筋書きがある以上、野党としては何か答弁にひどいミスが出てこないか、それを引き出そうという議論方式に終始している。また政府の答弁の方は、ただただ、自分の自説を展開して、時間稼ぎをすることになる。時間さえ経過すれば後は強行採決すればいいと考えているのだろう。結論ありき、の議論は誠にまだロッコシい。この法律が憲法違反であると私は考えるし、憲法学者の多数は憲法違反と言われている。主張を正しいと考えるなら、姑息な解釈拡大議論を拒否するなら、憲法改定を目指すべきだろう。

共産党の志位委員長の質問はなかなかのものだった。戦争が始まるときの姿を、具体的にベトナム戦争、イラク戦争と明示して、政府に対して戦争における、事実のでっちあげに関して見解を質した。所が政府は国連がどうだこうだ抽象的な話しを延々と答えた。まともに戦争開始のでっちあげには意見を述べなかった。まともに議論すれば、戦争の大義などある訳が無いのだ。イラクに大量破壊兵器はなかったし、トンキン湾事件がでっち上げであった事は、歴史的にはっきりしている。日本が盧溝橋事件と呼ぶものも、結局のところ戦争を開始するきっかけを作る、からくりの中にある。戦争をやりたいと考えれば、無理やり都合の良い何かをでっちあげるものだ。ウクライナでいま起きている戦争も同じだ。真珠湾攻撃にも、様々ねつ造があるようだ。

そうした戦争開始をどこで判断するかが、今回の法律の焦点になる。機雷除去を行うと言う事を相手国の領海内で行おうとすれば、機雷を設置したという戦闘状態の中でやるとすれば、相手国に対して宣戦を布告した事になる。ホルムズ海峡の封鎖されたために、日本に石油がこないという理由は経済の事だ。経済の問題で、戦争などやられたらたまらない。石油が来ないでも我慢した方がはるかにましだ。すると、何か理由付けが必要という事になる。大量破壊兵器を所持しているというデマを流すかもしれない。日本人がテロに合うのかもしれない。戦争の開始等、いかに政府がでっち上げるのかにかかっている。経済の為なら何でもやりかねないのだ。その為に、政府は戦争開始の判断を曖昧にしておきたい。いついかなる場合にも戦争が出来るフリーハンドを確保しておきたいと考えているのだ。

こんな状態で、戦争法案が通過するとすれば、明らかに憲法を逸脱した法律という事になる。ここが議論が出来ない一番の原因である。議論を堂々として行けば、この法律がいかに憲法の精神から逸脱したものかは、明白になる。言いかえれば、現実の問題と、純粋学問の論理性との違いであろう。そこで、この鷺は黒ですかと質問すると、このハトは、そもそもアメリカから来た外来のもので、学術上どうだこうだ、関係の無いことを延々と答える。ハトの事ではなく、鷺の事だと再質問すると、鷺という鳥は足が長くて、渡りはしない。等など結局のところ鷺が白いか黒いかには答えない。それで十分時間をかけて、丁寧に答えたというのが政府の主張である。国会の議論を通して、政府の考えを明確にするどころか、益々、この法律が見えなくなるばかりである。

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石油がこないくらいで、戦争をするのか。

2015-06-05 04:00:06 | Peace Cafe

今国会では憲法9条を明らかに逸脱した、安全保障法制度が審議されている。こんなおかしな憲法違反の法律が、国会で審議しなければならないというのでは、もう日本は相当に危うい所に来ている。政府与党は、自民党と公明党という、最悪コンビがわがもの顔をしてやりたい放題である。日本の軍隊が外国に出動するには3要件があるとか主張している。国際紛争を軍事的でなく、解決するという努力は忘れたのか。何故、ホルムズ海峡が日本の国防の問題なのか。国会審議では、明確に実際の事例を述べない。共産党の質問はこの法律のひどさを明快にしていた。ベトナム戦争のトンキン湾事件。そして、イラク戦争の大量破壊兵器。両方とも誤報というか、でっちあげで戦争になったという事実である。大体に戦争の始まりなど、どうにでもでっちあげられる。アメリカはそうしてきたのだ。ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、アメリカは日本の参戦を望んだ。また次の戦争にも、参加が要請されることは間違いない。そのときに、安倍氏の主張する3要件などどうにでもなる。

今までの戦争もそうであったし、これからの戦争もそうである。日本政府はアメリカに騙されたとして、戦争に参加することになる。今、安保法制を変えれば、間違いなくアメリカに引っ張り出される。安倍氏は、アメリカでの議会演説で、隷属を表明したのだ。この演説はアメリカでは絶賛されていて、日本政府の評価に繋がっているらしい。隷属を表明すればアメリカが喜ぶのは当たり前である。何故アメリカにそこまで、こびへつらうのか、理由は私には全く不明なことである。木偶人形の、人形遣いには何か腹黒い意図があるのだろうか。中国中国と、うわごとの様に脅威が強調されるが、中国に覇権主義があるのは確かであるが、日本を占領しようなどとは考えてもいない。そんなことが利益にならないからだ。結局は経済なのだ。日本がホルムズ海峡までのシーレーンを確保したいのも経済である。

中国は国益に沿って動いている。何も日本を占領すれば国益になるなど、考えてもいないはずだ。それは韓国も、北朝鮮も、ロシアも同じである。日本が日本としてしっかりとした国の運営を行うと言う事が、日本の安全保障の大前提である。軍事的にアメリカと同盟を強化して、近隣諸国に圧力をかけようという発想自体が、軍事的な緊張を高めるだけである。沖縄の辺野古新規基地建設は、対中国への圧力であると防衛大臣は発言している。アメリカ海兵隊の任務の目的は違うだろう。むしろ紛争地への緊急的攻撃の為の海兵隊だ。中国本土へ侵攻作戦をやるなら、海兵隊が行くのだろう。海兵隊は常に最前線への攻撃的な侵攻作戦の先兵である。だから、前線帰りの兵が多く、沖縄でトラブルを起こしやすいのだ。日本の国防の為なら、海兵隊の基地ではないはずだ。

日本政府は平和的な努力を無駄だとか、平和的な努力等得るものはない。と決めつける前に最大限の努力をするべきだ。ネパール地震に際しても、行かれた方には感謝するが、もっともっと力を注ぐ必要がある。軍事予算の半分は災害救助に使うぐらいでちょうど良い。努力もしない前から、平和的な努力を抜きにした、積極的平和主義とやらで、軍事的な圧力だけを強めている。それがアジアの緊張を高めている。石油が来なくなる前に、自立したエネルギーへの転換も政府が目指すべきことだ。日本は自然エネルギーに関しては、恵まれた国である。風力は、太陽光や、潮力、地熱、水素、ありとあらゆる自立エネルギーを開発することが、脱石油に繋がる平和への道になる。何故、そうした日本の第3の矢になるはずの、新技術に総力を結集しようとしないのか。それが日本の最大の安全保障のはずだ。そしてその技術が、日本の経済を支えるはずだ。今その転換が出来ないでいる所に、日本人という物の限界があるような気がする。

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田植え4日目の田んぼ

2015-06-04 05:59:36 | 稲作

6月4日の早朝の10番、11番、少し9番の田んぼである。上の道路から撮影している。全体で言うと下の方の田んぼである。今年は1番から11番まですべての田んぼが水で繋がった。田んぼのすぐ向こうは柿の木の畑である。根元には里芋が作られている。その奥が栗林だ。さらにその奥の林の下が久野川が流れている。あの辺りから、猪が侵入してくる。

田植えを31日に終わったので、今日が4日であれば、4日目の田んぼである。今年は分かりやすい。6日が転がし始めである。既に根付いて立ち上がっているので、転がせるだろう。31日にソバカスを全体に蒔いた。撒いた量は軽トラ一1杯である。暖かい日照が続いたので、一気に発酵に進んでいる。ミジンコ既に発生してきている。夜、蛍を見に行ったがまだであった。もうそろそろ出てくるのであろう。

10番、9番、8番と見えている。手前の青い屋根がハザがけの棹が仕舞ってある場所だ。9番の田んぼが一番水が溜まりにくい。今年も少し苦労したが、昨日の雨で、満杯になった。水がいつも足りない状態なのだが、この田んぼが一番収量が上がる田んぼで、14俵とかいう記録だったと思う。水は少ない方が取れる様な気はするが、それでは草が多くなって手に負えない。だから、入水口の田んぼは水を少なめでもいいのではないかと思って少し調整をしている。8番の田んぼは田んぼ自体に高低差が大きい。上の方をギリギリ水を張ると下の方が、かなりの水深になる。

 

11番のもち米の田んぼである。喜寿糯。右端に作った塩ビ管が10番から水の来る管である。水に映っているのは雲である。この田んぼは従来大きな穴があり、田んぼにはできないと言われていた場所である。穴に大きな石をかなり落とし込み泥を入れてやっと田んぼに戻した。冬の間いつも沼地状態になっていた。それが土壌を悪くする原因で問題が出て、昨年は収量的にかなり悪かった。手前に水路を作りだいぶ改善したつもりなのだが、土のにおいはまだ悪い。今年は水温を上げるために、10番から水を持ってきたのだ。これで少し改善を期待している。

1番から、8番まで見えている。今年は、3番で苗代をやった。4番で苗代を続けていたら、倒れるようになったからである。3番は入水口の田んぼなので、倒れないのではないかと想像している。当然のことだけれど、この田んぼが一番ミジンコが湧くのが早い。毎年苗代の田んぼから生き物が始まる。これが朝田んぼに行く楽しみになる。6番の田んぼは湧水だけで栽培している。水はヒタヒタ水で行く。ここもいつも水が湧いていて、状態が良くない。良い点では草があまりないので、浅水で思い切って行ってみるつもりだ。

田んぼ全体では、排水はない。入水分は下の田んぼ、下の田んぼに流れて、11番と9番で収まるように管理している。水が流れ出てはもったいないという気持ちだ。田んぼで暖まった水は、貴重な水で、すべてを含んだ良い水になって次の田んぼに行く。この良い水を外に流し出して無駄にはできない。

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日本と中国の食糧自給

2015-06-03 04:07:37 | 自給

日本の食料自給率は40%を切っている。政策として増加を目指したが、本気ではなかったのだろう。今後TPPが妥結して、食料自給はさらに下がると言う事になる。世界人口は増加している。世界の環境は農地の拡大で悪化している。気候変動などが加わるので、食糧生産は困難さを増してゆくとみられている。食糧自給率をなんとか高く維持しながら、国の経営を行う事は可能なのかという事である。中国は世界最大の人口の国であり、食料自給率は85%を保っているらしい。当然農業負担は年々増加している。この事がいよいよ日本の食糧自給に影響を与える段階に来たと考えなければならない。先進工業国では食糧生産に補助金を投入しない限り、自給率を高く保つことは不可能である。そこに各国の考え方が反映する。日本は食糧は輸入する方が効率が良いという考え方で、国内農業を交代させている。その先を行くのが韓国である。当面の経済を考えての政策いう事であろう。

中国は数年前に世界最大の食糧輸入国になった。その最大の原因は生産コストの上昇である。中国の農家の耕作面積は小さい。畑は日本以上に細分化されている。村ごとの企業的農業が奨励されているようだが、共産国の建前のなかで、農家の資産である農地という土地所有制度の矛盾に対して、手だてが無い。さすがに政府が勝手に動かす事は出来ないようだ。実際には日本の農村の状況と変わらない様子である。その大型化出来ない状況で、労賃の上昇が極端である。近隣諸国から不法就労の労働者が中国に入る状態である。それに加えて現在の都市部への人口集中が限界に達している以上、何らかの手立てで農村に農民をとどまらせなければならない。そこで、農業補助金の増大が始まっている。そうして何とか、85%の食料自給率の目標を維持している。これは経済だけで見れば明らかに負担の増加である。日本がたどった様な40%自給の食糧輸入国への転落をするのだろうか。

世界の食糧事情の先行き考えると、世界経済の競争の先鋭化に伴い、食糧生産は補助金なしには国際競争が出来なくなるという事が見えてくる。つまり、人口増加は相変わらず未開発国で続き、低賃金の労働力が生まれるが、自らの国家の食糧生産さえ賄えない途上国が増加している。加えて工業化した国では、工業の賃金に見合う農業の賃金の維持が出来ない。農業者が老齢化し、減少する。そこで、農業の工業化が目指される。機械が、大型化。農業人口の減少。資本主義経済の競争の中で日本農業が生き残るには、確かに一つの方法である。しかし、それを可能とする地域と、大半の不可能な地域との格差が広がり、さらなる農地の減少になっている。自然環境や、経済地理的な条件が地域には必然としてある。世界競争に対抗できるつまり、農業競争に勝ち抜ける気候条件や、地理的条件が備わっているという事である。日本でサトウキビを作って世界競争に勝てる訳が無い。

そのもう一つの道として、日中両国にある伝統的自給的農業がある。中国でも家庭菜園はとても盛んである。自分が食べる食料を自給することで経済性だけでない要素を農業に取り入れることだ。これは国際競争の為に、補助金を入れざる得ない補助金を考えれば、はるかに安価にできることだ。つまり、農地を大型化企業的農業の地域と、自給的な農業地域とに明確に区分けすることだ。その上で、自給的農業地域の整備に国は力を入れなければならない。自給的な暮らしを可能とする法律の改正が必要である。土地制度や住宅の許可制度を地域性に合わせて行う必要がある。基本的な地域機能の整備。地方の自給的インフラの整備。教育でも中央集権型ではなく、各地域の教育というものを育てなければならない。いずれ中国の食糧不足は明確になって来る。そのときに日本に食糧生産能力が無ければ、国の安定が崩れる。

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6月の自給作業

2015-06-02 04:21:13 | 自給

6月は畑も田んぼも何かと忙しい。田んぼは田植えが5月中に終わった。6月7日が麦刈の予定。すぐに堆肥を蒔いて、大豆の畑の準備に入る。今年は麦の進み具合が早く、2条大麦の刈り取りは5月22日に終わった。田んぼの田植えが終わるまで、干しておくしかなかったので、すぐにも麦の脱穀である。乾燥は進んでいる。家の方の小麦は、その前に刈ってしまわなければならないから、今週中であろう。先ず周囲の延びた草刈りからだ。家の方のハルユタカ小麦は大豊作である。今まででは最高の出来である。面積的には3畝程、家で食べるには多すぎる。少し倒れてきている。麦の倒れ方は稲とは違って、黄色くなれば硬くなって倒れないようだ。緑の内に倒れる所は倒れるようだ。しかし、軸もがっちりと太い。まさにストローという感じだ。梅雨はまだ来ない様だから、晴天が続く間に刈ってしまいたい。そうなると今日明日という事になる。

今一番食べている緑のものは、そばの若い芽である。湯がいたり、炒めたり、結構使える。こ蕎麦はいつ蒔いてもさっと芽が出て成長が早い。耕して表土が日に曝されるようなときに、蕎麦を蒔いておいて耕してやる。時々は実がつくまで、置いておくが面倒なので収穫まではしない。種をまけば2,3日もすると芽が出て覆ってくれる。土壌の表土を守る事になる。簡単にできて、結構食べれる。もっとそばの利用法を研究するといいのかもしれない。必要な所だけ、例えば種を蒔く所とか、苗を植える所だけ、蕎麦葉簡単に手で抜けるので、取り除くのは簡単である。取り除いた蕎麦を食べればいい。植え付けた苗の風除けにもなる。蕎麦の種が簡単に手に入るのでそう考えるのかもしれない。種を買うのでは大変だ。

さやえんどうを食べている。ソラマメも食べる事が出来る。ドンブリ一杯昨夜はソラマメを食べた。何でも一度でいいので充分に食べたい。今は種を蒔いたものが伸びている。トマト、なす、きゅうり、ピーマン、トオモロコシ、カボチャ、ニガウリ、オクラ、いんげん、山芋、里芋、スイカは何故か、虫にやられた。なすとピーマンにはどうもカメムシがたかって汁を吸って弱らせてしまう。毎年のことである。ジャガイモはそこそこのできのようだ。毎年課題のタマネギはそれなりの出来である。私としては今までで一番なのかもしれない。それでも満作という感じではない。玉がいくらか小さいが恥ずかしいほどでもない。近所の畑には実に大きなものが出来ている所がある。その方は化学肥料をかなり使う。タマネギを大きく作るには、まだまだ堆肥が足りないのか。追肥も必要という事なのか。もっと土壌を良くしなければ出来ないという事か。まあそれでも食べる分はあるから良しとするしかない。

田んぼはソバカスを適切に蒔きたい。ともかく抑草である。草を出さないという事が、やはり最も大切なことだ。田んぼの叢生栽培は考えられない。収量が上がらない。収量は上がらなくてもいいというのは、田んぼに対して失礼なことだと思う。やれる事は充分にやらなければならない。ソバカスは、稲の肥料にもなる。秋になって、穂肥料不足にならないためには、適切な量のソバカスを春の間に入れてやることだ。入れ過ぎれば倒れる原因になる。その年の天候の推移を予測して、ソバカス投入のギリギリの線を見つけることが、収量を上げるもう一つの要素だ。メダカ田んぼは土壌が良くない。安定しない。転がしをやれば苗がどこかに流れてしまうような状態である。それでも苗は色を濃くし始めている。稲は強いものだ。

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田植えまでの準備

2015-06-01 04:28:05 | 稲作

欠ノ上田んぼ田植えが道路から見える。

上と同じ場所が田植えが終わり、ソバカスが蒔かれた所。

線引をしながら、田植えを進める。

子供の参加も例年多いい。大人が楽しんでいるのが伝わればと思う。

今年初参加の仲間の田植え。

明日は腰が痛くなる。

左が私の田植えスタイル。

田んぼ上部の田植え終了後、ソバカスが蒔かれた所。

全体では25人はいたと思うが、昼ご飯で抜けている。午後開始前に記念写真。

2日目も20名は参加者は20名超えていた。

写真は根守さんが撮影分有り。

1番田んぼの入水口と余り苗。補植に使う。

ソバカスを流し込みにしてみた、11番田んぼ。

田植え翌朝5時の田んぼの様子。

欠ノ上田んぼ田植えが終わった。ここ10日間のうち7日間は欠ノ上田んぼに通った。今年はメダカ田んぼも同時進行だったから2日間、ほぼ限界状態で一日怪しい体調になり、丸一日汗をかいて寝た。何とか回復できた。メダカ田んぼの方は今年一年なので、来年はもう少し楽になるだろう。田植え準備の流れを書いておく。その前に忘れないように苗床にした3番のお米は今年は種籾にしないこと。

23日からの細かな作業予定計画 

23日 9時から終日

1、ハンマーモアー移動。大・小トラックタ―の移動。梯子の運搬。

2、ハンマーモアーですべての草を細かく刈り取る。

3、トラックタ―で荒起こしをする。浅く一定に丁寧に。

4、畦直しの土運びと直し。

24日 9時から

1、トラックタ―での荒起こしを続ける。

2、畦直しの必要な所があれば行う。。

3、水を入れ始める。

25日 9時から

1、1番から代かきを始める。

2、畦塗りを始める。

3、畦直しを行う。

26日 9時から

1、代かきの継続

2、トンボでの均し。

この日は笹村はメダカ田んぼの苗とり。

27日 8時から

メダカ田んぼの田植え(協力者募集)

28日この日は予備日

29日 9時から

1、苗とり。

2、3番の代かき

3、線引

30日 8時から

1、線引の継続

2、田植えの開始

31日 9時から

1、補植え

2、田植えの継続

3、ソバカス撒き

以上がメンバーに配った予定表である。予定より少し早く進みながらも、今年はトンボが出来なかった。田んぼから水を抜き、線引を行うためには、トンボをやれなくなったのだ。その為に田植えが上手くできない場所が若干生じた。またトラックタ―のキ―によるスタートがどうも状態が悪く、充分に作動出来なかった。機械センターの人に来てもらう予定である。

反省点

1、苗の数が意外に少ないかった。

今年の苗箱の数。今年は、セルトレーが158枚。苗箱が22枚。直播5メートルが、欠ノ上のサトジマンの苗になる。喜寿糯が200穴のセルトレーで32枚。20枚あれば足りると言う感じ。」 サトジマンの苗は調度良い加減の量だった。

苗箱は平均して良い苗になったのだが、セルトレーよりもかなり苗の数が少なかった。苗とりが大変ではないかという不安もあったが大したことはなかった。40グラム蒔きではなけ数が不足。60グラム蒔きに来年はした方がいい。苗箱の種類としては、そこ穴があいているほどいい。セルトレーよりも田植えが初心者には大変というのも、あるかもしれない。

直播苗5メートルの内2メートルビニールトンネルに入れなかった分はカモに食べられて無くなった。残った3メートルの苗は、予測通り一番良い苗であった。その良さは硬さに表われていた。持って明らかないしっかりした苗に感じられた。一番田んぼに植えたので、この後の変化を観察したい。直播で一番不安だった苗採りだが、意外に簡単にできた。直播の部分はトラックタ―の回転場所で、代かきの深く丁寧になった所。ここに蒔いた。その為もあって苗とりが楽だった気がする。土がトロトロで根を傷めず抜きやすかったのだ。来年は10メートル直播でもいいかと思う。

苗全体の出来はほぼ最善の状態。天候にも恵まれた方だろう。日照時間が長かったと思う。最終的なサトジマンの苗の余りは、セルトレーにして10箱くらいの余り。喜寿糯もセルトレーで10箱くらい余った。

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