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農業の6次産業化

2012-08-16 04:17:07 | 地域
農業の6次産業化は小田原でも良く言われていることである。どういう事かと言えば、米作りをする。採れたお米を米粉にする。そして米粉パンにして直売する。セブンイレブンが田んぼをやると言うイメージだろうか。農家と言うか、農業法人と言うか、異業種から参入した企業等がそうした6次産業を行えば、日本の農業が活性化するという考え方である。どうなっているのか不安になる国会では、こうした参入企業に資金提供する「6次産業化ファンド法案」が成立した。法人への出資を政府もできることにしたものである。官民ファンド「農林漁業成長産業化支援機構」は10月をめどに設立予定で、機構の設置法案が今国会に提出されていた。国が300億円、民間が20億円程度を拠出する株式会社として設立し、将来的にはファンドの規模を2000億円程度に拡大する計画らしい。良さそうな話ではあるが、極めて危なかしい気がする。

政府や農水省が、あるいは推薦をする地方自治体が、優秀な6次産業の新規事業に対して正しい目を持っているならば、これも良い方法かと思う、今までの農政の流れを考えると、おかしな出資をするのではないかと不安の方が大きい。コンサルや、投資の専門家が入ってチェックをするらしいが、農業と言うものを経済だけで見て、果たして大丈夫であろうかという不安も出て来る。今後の出資の実態を監視して行く必要がある。最近までの農業政策の流れは、普通の農業に企業の進出を期待してきたが、一向に進まない。補助金の申請などは、巧みであるので補助金がもらえる間は、一応企業はかかわっている。しかし、補助金が切れてもやれるかと言えば、それで終りの所も多いいと聞いている。成功した事例は、農水省の事例一覧でも一部の特殊事例と読める。結局は、その分補助金のない普通の農家を、追いやることになるだけで、全体の生産量が伸びていないことを見れば結果が分かる。

企業が資本を出すには、当然有利な運用を考える。農業において、純粋に出資を考えるなら、労働力の安く、広大な農地があり、気候に恵まれた場所で行う農業に投資するだろう。あえて日本国内の不利条件を越えて、資本に出資を促そうというためには、外国資本であっても出資したくなるような条件が日本の農業に存在しなければならない。農業分野だけでは、どうしても魅力の創出が不可能な為に出てきたものが、農業6次産業化案だと思われる。農の会でも生産者は野菜や卵や豚肉の販売をしてきた。直売をすることで、顔の見える関係を作り上げ、流通コストを省いて農業経営が可能な道を探ってきた。あちこちの市に出るようなこともやってきた。お米を作り、味噌を作り、五平餅を作り販売した。ある意味最小単位の6次産業の道を探ってきたのだろう。だから、その可能性と限界を法律を作った人たちよりは理解していると思う。

国が出す資金が補助金でなく出資であるという所が、新しい発想であるが、リスクを国も持つという事は無理ではないだろうか。国や農協が貸し倒れるという事例は、数限りなくある。出資と言うのは、あらゆる業種と利益率、安定度、を比べても有利と言う事でなければ、本当のファンドではない。そう言えば詐欺商法に和牛ファンドと言うのがあった。農業にそうした有利性があるとは到底思えない。農業が有利な点があり継続されてきたのは、資産管理である。農地の転用の可能性。駐車場やアパート経営。農業の赤字は、税金対策に利用する。そして農地の値上がり期待。地域においての資産家の立場の維持。純粋に農業を専業として成立するためには、農地の個人所有を止める他ない。生産したいものが生産する。それが企業であろうと、自給農業であろうと同じことである。資産の継承の為に農地を死守するようなことが無くなれば、変わってくる。
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欠ノ上田んぼで気付いたこと

2012-08-15 03:57:56 | 稲作
欠ノ上田んぼに今年初めて本格的に取り組んでみて気付いたことがある。田んぼが終わる頃には、忘れてしまうので、今の内に書いておくことにする。上の田んぼから順番に思い出してみる。

「1番上の池」は、水の流れをもう少し工夫して奥の土の山を何とかどける。水路を西側に上手く回るようにする。ここにもクワイを植えるのもいい。水の保温の必要は欠ノ上ではない。
「1番の田んぼ」は水ため側にもう少し広げる。北側の通路の所に石があり、水漏れの原因になっている。川側の土手が無駄になっている。大きな石があるようなので、代かきで注意。
「2番の田んぼ」は田んぼの土にとてもこぶしくらいの石が多い。がけ崩れの改修を進める。粘土層が浅い所がある。川側の土手は無駄になっている。日陰があるので木の枝はもう一息切る。川の改修の際に可能なら崖の高さを高くしてもらう。
「3番の田んぼ」は排水口の位置を一番北側に移す。田んぼの高低差が大きい。北中央部が高い。現排水口付近に土を移動。水持ちは良い。
「4番の田んぼ」は北の道路際に高い所ああるので、土を東側の通路部分に移動する。この田んぼは代かきを良くしたため、水持ちが良かった。良く平らになっている。
「5番の三角田んぼ」は水不足になる。代かき不足、粘土分も少ない。排水場所が壊れている。
「6番の溜池」クワイには良さそうだ。冬季湛水を続けて、水漏れと畔の改修。冬の間に一度代かきをした方がいい。全面クワイにするのも良いが、代かきをして田んぼに戻すのもあり。水が生活排水で汚染されているという話もあったが、使ってみて目立つ程ではない。この水路に排水をしている家は、どうも1軒である。
「7番の田んぼ」蟹穴があきやすい田んぼ。3角から水が落ちる南西側に高い場所があるので改修。北側の畔は全体の強化。水持ちは良い。一番色が濃い田んぼ「イセヒカリ」の為か。
「8番の田んぼ」水持ちの良い田んぼ。北側の水路畔が蟹穴があきやすい。何故か草がでやすい田んぼ。
「9番の田んぼ」水回りでは最後の田んぼ。東側の通路畔が大きい穴があきやすい。水が増えると繰り返し水漏れが起こる。最後の田んぼなので、多少の水漏れは問題が少ない。水路から直接水を入れないと、水が足りない。緊急に作ったが調子は良い。改修の必要あり。南西側が高いので土の移動が必要。出穂が一番早い田んぼ。
「10番の田んぼ」水が淀みやすいが田んぼであるが、水回りの形状から止むえないか。9番に繋がる排水口の位置は東に変更が必要だが難しい。一番早く出穂した。周りの稲は良いのだが、中の方に行くと分げつ少ない。

「川からの入水路」泥が貯まりやすいので、時々泥を取らないとならない。川から以上に西側の谷筋の湧水が多い。この湧水を調べる必要あり。
「西側の田んぼの排水だまり」毎日草のごみが貯まるので、必ず取り除く。
○その他の気付いたこと。
全体に色上がりが悪かった。色ムラが強い。肥料不足の兆候あり。冬の緑肥作物を作る必要あり。腐植質の減少。がっしりした茎の稲になり、穂も比較的大きい。粒張りが不安。土はとても良い粘土質だが、田んぼごとに状態が異なるので注意が必要。苗代は4番の田んぼでやる方がいい。3番の田んぼは早めに代かきをして、春水田んぼにする。ここで水を温めて、苗代に水を入れる。苗代は代かきをしてからやってみたい。保温シートの問題を考える必要あり。
○稲刈り後の作業のこと。
稲藁は蕎麦糠藁堆肥を作る。道路から近い田んぼに数箇所かに分けて積む。積む時は内側に水が入るように。蕎麦糠を積みこみながら、藁を積む。水を加える。
○緑肥の播種を検討。
○冬の間に、河岸工事を実行してくれることが、ほぼ決まった。
○今まで気づかなかったことなのだが、水が冷たいという事より、日照が足りないという事の方が、出穂は遅れる。この時、水が冷たいが、日照がとても多いい場所は、案外に分げつ数が多く、開帳型の稲になった。このあたりは今後も検討する材料である。

出穂
10番14日 9番15日 8番16日 4番17日 2番20日 5番21日 3番と7番22日 1番24日

穂ぞろい
21日 8,9,10番
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年金と税金

2012-08-14 04:01:00 | Peace Cafe
年金制度はこのままでは崩壊する。当たり前のことだから誰でも知っている。いま3党合意で決めたような、決めてないような改革案では、不十分であることもうすうす知っている。国民年金40%未納問題一つとっても解決ができない。未納者が無年金になって、生活保護を受けるというのが、一番得をするパターンらしい。こんな社会正義に反する制度がまともな訳がない。このまま少子高齢化が続くのだから、若者が払いたくなくなるのも当然な気がする。年金なのだから、自分が払い込んだものを歳をとってから、返してもらうという性質が基本に無ければならない。私の払い込んだ年金を使ってしまった奴はどこのどいつだ。と怒りが湧いてくる。社保庁の資金管理が悪かったのではないか。こんなことなら、民間会社の年金プランに入った方がましだった。私は色々の仕事をしたので、年金は複雑である。年金漏れの間違いはあると思うのだが、修正の申し出もしていない。そしてすでにもらっている。

今消費税の10%への倍増が提案されているが、当然の手法である。税は多様に集めるほどいい。消費税という仕組みが良くないのでなく、税の公平性が維持されることが大切なのだ。税金は社会である以上必ず必要なものだ。払うのは良い。問題は使い道だろう。年金と同じで、資金管理がでたらめでは、払いたくなくなる。だから、事業仕分けは大いにやって欲しい。莫大な税金が原発に使われてきたことなど、とんでもないことだと思う。特に、核燃料の再処理に無駄なお金がどれだけ消えていったのかと思うと悔しくなる。税は格差を無くす役割をすべきだ。高額所得者の累進課税である。例えば相続税を高くして、生まれながらの資産格差があるなど無くすことは大事だ。3代相続すれば資産が無くなる。この位でちょうどではないだろうか。孫はともかくひ孫のことまで関係がない。「美田を残さず」とはよく言ったもので、良い田んぼを作ることが、丁度50年くらいかかるのだろう。それで終わるというのは潔いということだろう。良い田んぼは誰が使うのでもいい。

所得税の最高税率は1986年(昭和61年)までは70%であったが、一旦37%まで下がり、2007年(平成19年)度では40%(課税標準1800万円以上)になっている。確かに戦後社会の活力は、格差が無くなる夢が抱けたからだ。それを税制も後押ししていた。新資本主義とやらで、能力主義とか、受益者負担とかきれいごとが言われ、大きく言えば企業が国際競争に勝ち抜くための手段が取られた。企業が良くならなければ、日本人の暮らしも良くならないという論理だ。その結果、企業は極端に高い能力の人と、極端に安い労働力が必要になった。だから、一番になる人材と、海外の安い労働力を結びつけようと言うのは結論。世界の貿易競争の中で勝ち抜こうとすれば、そう言うことになるのだろう。そしてその結果、日本国内には、一番ではない普通の人と、そこそこ高い最低賃金の人とが、利用しにくい人材として出現している。企業の論理と、国の成り立ちが不調和になり始めている。それが年金の破たんと、税収の不足。

年金はすべて消費税の国庫分を財源にする。別枠の徴収を止める。分かりやすくする。これなら公平である。所得に関係がなく、年齢が来たら誰でも一定の生きる最低限の年金がもらえる補償をする。この制度だと、消費税はどうも15%にしなくてはならないらしい。しかし、これなら年寄りも払う訳だし、高額消費者ほど沢山払う訳だ。もらう金額は同じである。最低限は誰で同じにもらえるのだから、高齢者の生活保護は無くなる。仕組みの移行段階では、不公平は起こるだろう。この場合、現受給者が負担をする以外ない。自分達の分は同世代である社保庁の人たちがいい加減に管理して無くしてしまったのだ。いずれにしても、働けるうちは幾つになっても働いた方がいい。ただ、現役として働くのではなく、隠居仕事と考えるべきだ。それでないと、若い人たちの迷惑になる。
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食糧自給率の停滞

2012-08-13 04:09:29 | Peace Cafe
民主党のマニュフェストの駄目ダメな中でも一番が、食糧自給率の50%である。政府の取っている農業政策が成果を上げないし、今後の展望も無いという事だ。世の中は不景気だという。失業者も沢山いるという。荒廃した耕作放棄地等の全体の全国推計値は29.2 万ha増加している。仕事がなくとも、農業をやる人がいないという実態がある。農地があっても使わないという実態がある。これを解決するという事が民主党の戸別補償政策である。こんな政策が、成果を上げる訳がないと考えて主張してきたが、すでに展望がないという結果が出ている。まずそのことを認め、新たな施策を考えるべきだ。農業政策は成果を上げたことがないというほど、失敗続きである。しかし、この政策の中で、39%を維持しているということは、農業に可能性があるということでもある。農業の中にも生産物で格差がある。6次産業化とか、隙間産業とか、問題は稲作をどうするかである。

大半の失敗は、補助金政策である。中でも有名な悪政はお米を作らなければ補助金をもらえるという減反政策である。農業補助金と言うものが、農業者の心を蝕んだのだと思う。私も補助金をもらい、有機農業を行ったが、今後はやらないので許してもらいたい。補助金をもらうということは、卑屈になるという所がある。やましい訳ではないが、心が晴れ晴れしない。補助金をもらわなければ継続できない仕事なのかという、情けない思いがした。制度が悪いのである。何回目かの農業の改革案を書いてみる。まず遠くの目標である。1、農地は国有化を目指す。国有化と言っても国が所有したら、これまた問題が生じそうなので、第3者機関のような、トラストの会のような形がいい。2、農地は営農可能な形で貸し出す。有利地域であれば、高額の時代。不利地域であれば、お金を付けて貸し出す。3、将来食料品の輸出入を止める。食糧は他の生産物とは異なることを合意する国で、連携を取る。

大きな改革をまず大きく方向付け、今緊急に行うべきことは、まず、耕作放棄地の国による買い上げである。農地と言うものは所有して価値があるのでなく、使われて初めて価値がある。買い上げと言っても、使わない使えないのだから強制的な没収に近い、最低価格による買い取りである。そして農地のランク付けを行う。大規模機械化できる農地はAランク。分散されているが、都市近郊の農地は、Bランク。そして経営的農業が不可能な農地はCランク。そしてランクごとに価格を変え、入札により貸し出す。基準価格は営農可能な価格として、マイナスの価格もありうる。借りたものは農業を行う以上返還を求められることはない。次に、自給的農業を認める。自給的農業は細分化されることになるので、自給的農業可能農地を決める。国土全体に人口の適正な配置がされるように配慮する。

中期的な目標としては、プランテーション農業の禁止である。農業を貿易産品にすることを止める。生産性を上げるだけを目的にした農業は、農地からの収奪的な農業になり、農地の荒廃化を進める。又農業生産に従事しながら、食べるものがないという事態を招く。世界資本が農業を支配し、企業的な力の弱い国の食糧の安定が失われる可能性が高い。食糧の自給率の50%は、各国が守ることが出来るようにする。日本には日本の文化を育てた農業が存在し、その民族の特性を生み出して来た。農業が経済性だけで判断されてはならない。すべての国民が農業生産にかかわれるような、暮らしのあり方を作り出す。

昨日の自給作業:大豆の草取り2時間 水路の改修2時間 麦のごみ取り1時間 累計時間:15時間
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韓国経済のこと

2012-08-12 03:46:53 | Peace Cafe
韓国の経済の動向は、日本経済の将来展望を考える上で、参考になる上に、影響も大きい。おかれた条件の違いはあるが、類似点も多々ある。TPP参加の前に、時間稼ぎをして、韓国経済の動向を見極めた方がいい。と言っても民主党政権ではとてもTPPまでは考えられないとは思うが。韓国経済は、「現代自動車」と「サムスン電子」の2社だけが特出して世界で急成長している。これは韓国政府としては予定通りの展開であり、日本の企業各社もこういう展開を期待しているのだと思う。しかし、本当に韓国は理想の展開をしているのかと言えば、国内の状況はそうとも言えない兆候が表れ始めているようだ。日本が東アジア共同体構想を打ち出した時の韓国の反応はとても冷たいものだった。もう日本がそれほど韓国にとっては、重要なパートナーではなくなっているということだろう。それは中国も同様で、日米軍事同盟を背景にした日本の存在は、力をつけてきた、近隣諸国にはまるで違うものに見え始めているとしなければならない。

「現代自動車」と「サムスン電子」2社はすでに世界企業であり、韓国企業とは言えない。「内需攻略→競争力確保→世界進出」世界での競争に勝つというためには、韓国人は米中の間で上手に立ちまわって生き残ろう、と考えている。政権末期になって竹島に上陸した姿は、今までの大統領に比べても少々異常な姿勢である。「日本こそが平和の敵だ」と世界で喧伝、中国と連携を強めたい。米国には、極東のアメリカの世界戦力における日本の役割に対する不信感を強めて、韓国防衛へのアメリカの利用を計ろうとする。いずれも反日意識を高め、漁夫の利を得ようとする可能性が高い。 米中対立こそが日本を孤立させる絶好のチャンス。それには歴史認識問題や領土問題を出しておけば、国内世論はすぐ火が付く。現状は日韓関係は確実に悪化する。日本はもう少し韓国の実態を把握しなければならない。

韓国経済は、いよいよ後退期に入っている。日本の将来を占う、大きな変化が起こり始めている。それは、韓国型の輸出が経済の半分を占める経済は、いったん不調に向かうと、国内の空洞が矛盾を膨らませて、諸問題が一気に顕著化する。例えば、各企業が先端技術が一番になる開発だけに力を注げば、一般的な技術や普通の仕事は、衰退して行く。一流企業に就職できないそうは、不要な労働者となり中途半端な立場に立つ。競争が極端に激化し、能力主義はすべての分野に蔓延する。それは一部の企業の世界での競争には役立つが、普通の人たちの暮らしは、追い詰められてゆく。高学歴に失業者の増大。日本と同じ少子高齢化。日本以上に社会資本の蓄積の遅れている韓国では、急成長と同時に、社会の不安定化が目の前に迫ってきている。ウオンの安値誘導による輸出奨励も、国内産業の消費の減退を起こしている。

日本では韓国の経済好調さが強調れるが、遠からず大きな激動が起こると考えた方がいい。韓国は日本の経済界が躍起となって進めようとしている、経済優先の思想を先に進めた国である。この国のこれから状態をよく見たうえで、日本は方針を立てればいい。竹島の問題をこうして騒ぎたてようという態度からしても、国内にいかに問題があるかである。日本も領土問題で感情的な反応をするなど、何の意味がないことを学ぶべきだ。まず、国内の豊かな暮らしを確立することである。大切なことは日本の文化であり、日本人の安定した暮らしである。特別に裕福で贅沢を出来なくとも、普通に安定して、日本人らしく暮らして行けるという意味では、日本は世界に誇れる国だと思う。その意味でも、稲作をして、日本人として生きる。この文化を大切にすることだと思う。稲作を自ら捨てようとしていることは、領土を捨てる以上に愚かなことである。

昨日の自給作業:田んぼの草刈り2時間 累計時間:10時間
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竹島領土問題

2012-08-11 04:19:35 | Peace Cafe
国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が10日午前、日韓がともに領有権を主張する竹島(韓国名・独島〈トクト〉)に上陸した。これは李政権の追い詰められた状態が表れである。兄が汚職で逮捕された。政権末期になると、韓国の政権ではこうしたことが起こる。森本防衛相は10日午前の閣議後の記者会見で、韓国の李明博イミョンバク大統領による竹島訪問について、「韓国の内政からくる要請によるものだ。他の国の内政に、他の国がとやかくコメントするのは控えるべきだ」と述べた。この発言は自体をよく把握している。日本をいきり立たせるために竹島問題を、取り上げたのだ。谷垣氏が激情して抗議をしていたが、それを待っているのである。竹島問題と言うのは、戦後すぐから起きていることである。現在は、韓国が実効支配し警備隊が常駐している状態である。それでは野田首相も自分の領土に上陸しようとしてもできない状態になっている。

韓国は経済好調と言われながらも、大変な格差社会になり、経済の先行きはとても困難になっている。この背景や実態については改めて書きたいと思っている。無理をしてきた付けがいよいよ、表面化しようとしているのだと思う。最近は北朝鮮を敵視することで、国民を我慢させてきていたが、日本に矛先を向けなければならないくらいない性が深刻な状態なのだ。韓国の経済運営のやり方はリスクを大きく抱えている。国内の韓国人の暮らしと言うものは、どんどん空洞化して行く。オリンピックでも韓国はすごい活躍である。立派なことだと思うが、何か背景に無理を感じる所はある。つまり金メダルを目指して国を上げてということは、ロシアや東ドイツなどが行ったことに似ている。日本もオリンピックで活躍しているが、日本のスポーツの位置づけのほうに健全なものを感じる。国を上げて、1番でなければという姿が、どういうことになるか。これも韓国の今後を見守る必要がある。

1905年、明治政府は竹島を島根県に編入し日本の領土として宣言する。しかし日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、日本の行政権から外した。これを口実に1952年1月18日、李承晩(イ・スンマン)韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、いわゆる「李承晩ライン」を設け、韓国は竹島周辺海域の領有権を主張する。韓国から見ればその後、韓国自体が日本の植民地化されてしまう世界情勢の中で、日本の一方的な主張がされていると主張することになる。日本は竹島を国際司法裁判所に置いて、判断を仰ごうと韓国に持ちかけたこともあるが、韓国側は領土問題自体が存在しないとして、拒絶している。

領土問題は背景になる国力が影響する。韓国は国民の暮らしを無視して、経済競争に勝ち切ろうと頑張っている。それは一つの方向であるが、正しい選択には思えない。とても危なっかしい不安定な来ない状況を作り出す。その不安定化を押さえようとする動きが、今回の竹島訪問である。日韓関係は悪い状況ではなかったにもかかわらず、悪化を狙った背景には、日本との経済競争に勝った、越えたという自負を、日本人に対して見せつけようという事だと思う。危険なかけに出ている。日本政府はこの挑発に乗らないことである。韓国の挑発は、苦しいからである。無理を重ねている現状からか韓国国民の目を逸らそうとした行動である。あくまで、第3者の国際的判断を求めて行くことがいい。いつの日か、領土と言うような、国の枠が消える時代は来る。国と言う単位を絶対なものとして考える必要はない。
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インターネット選挙

2012-08-10 04:42:12 | Peace Cafe
インターネットは選挙を変える。世界の選挙はインターネット利用は当たり前。日本が取り残された形で、選挙でのインターネットの利用を制限している。このままでは深刻な形で政治参加が後退してゆく。政治に対する無感心及び、絶望の意識。特に若者の政治離れは、目立っている。このままでは政治家をダメにするし、民主政治が機能しなくなる。投票に行かない人が、半分を越えた国は民主主義が機能していないと言えるのではないか。その主たる原因は政治家の劣化である。政治家に志が失われたことが原因するきがする。国の未来に対して具体的なイメージを持ち、導いていけるリーダーが出てこない。これはある意味で政治家の化けの皮が剥がれたのかもしれない。昔で言えば、坂本竜馬と言っても、実際のところは良く分からない。伝説的な人間像が形成されたのかもしれない。麻生総理の時に、人間的な魅力のなさに愕然とした。言葉遣いのおかしさまで日々報道された。

情報が今の社会の中心をなしている。相変わらずテレビ情報が国を動かしている。これがおかしいと言うより上手く利用したものが政治を動かしている。インターネット情報も、少しづつ力を得てきている。この流れは誰が止めたくてもすでに止まらないものになっている。むしろ、インターネットを避けるのでなく、利用するという観点に立たなければ、政治がいよいよ停滞し、興味を失われてゆくだろう。インターネットが素晴らしいのは、お金がわずかしかかからず、誰にでも情報が発信できるということである。そこがテレビとは違う、新しい社会を作り出す、手法になる。一昔前には、ソビエトでは謄写版が禁止されているという噂があった。正しい情報と言うものが、民主主義の基盤である。正しい情報とは、万人に平等な方法である。インターネットでは、このgooブログと言うものだけでも「1,748,949」ブログあると書いてある。お金を払ったことはない。

政治家の中にインターネットは苦手だとか、インターネットは若者のものだから、年寄りの支持者が中心なので不利になる。こういう事を言う人がいる。そう言ういい訳をする人は、考えていることを言葉にすることが苦手な人だ。言葉で思想を伝えられない人は政治家には不向きな人である。そう言う人はもう時代の流れに取り残された人なのだから、政治の政界から離れるべきだ。インターネットはやらない人がいるから、これを利用して情報を発信するのは、不公平である。差別である。市民活動をする人の中にも、こういう主張をする人が結構いる。その為にインターネットを利用できない市民活動は衰退する。インターネットをやるやらないは、自由であるが。それがやりたいが出来ないというなら、学べばいい。それほど難しいことではない。字が読めないから、文字で書いたものを差別ということになれば、殆どの活動は不可能になる。すでにインターネットはそれくらい、一般的な手段になっている。

[one voice campaign]選挙運動にインターネットを解禁する運動である。まずは選挙運動はインターネット利用が一番いい。選挙カーで名前を連呼するような選挙では、何時になっても政策選挙にならない。何故政策選挙を嫌うかと言えば、現職が、あるいは政権党が不利になるからだ。選挙制度と言うものは現職有利に作られ、変えがたい。政策だけで言えば、批判勢力の方が勢いが付く可能性が高い。これも民主主義の成長次第である。民主主義の成長はインターネットの活用から始まる。政治家はすべて、インターネットで意見表明をする。そして選挙は、インターネットで投票が出来る。こうなれば、投票率も上がるし、若者も投票をするだろう。現状では、ここまでは無理にしても、将来は必ずそうなることだ。早く取り入れた地域なり国が、合理的な民主政治が成長し、良い政治が育つはずだ。

昨日の自給作業:田んぼの草刈り3時間 累計時間:8時間
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自民党の不信任案提出見送り

2012-08-09 04:04:10 | Peace Cafe
みんなの党、国民の生活が第一など、消費増税を含む一体改革関連法案に反対する野党7党は7日、衆議院議長に内閣不信任決議案を提出した。 参議院での同法案採決前に解散の確約を求める自民党も、独自の不信任決議案提出も視野に入れている。民主党も3党合意をしながら、何をやっているのか目にあまる。野田総理の命をかけて実行するという言葉は、言葉だけなのか。自民党の不信任案と言う考えはさらにひどい話である。自民党は麻生内閣時代を越えた、ひどい状態である。自民党は3党合意を取り消し、谷垣総裁がまず辞任する。その上で、野田内閣の不信任案を出す。これが筋道であろう。今の態度は言葉をもて遊んでいるに過ぎない。法案と言うものを、自分達の党利党略の為には、犠牲にしてもかまわないという態度である。国民にとって意味があることは法案がいかなるものかである。

消費税の値上げと社会福祉改革をどうしてもやると。これが自民党の主張であったはずだ。その為に、3党合意という本来あり得ない手法まで行った。この事自体は自民党が自分達の主張を通すために、自分達の主張に野田政権を引きずり降ろした成功のはずだ。党利党略とは別に消費増税を含む一体改革関連法案を優先しようという事ではなかったのか。民主党が選挙もせずに、ほぼすべてと言っても良いマニュフェストをないがしろにしたのは事実だ。民主党を選んだ選挙民に対する裏切り行為が続いている。ほんらい、総選挙が先である。それを延命し、手を貸したのが、3党合意という信じがたい手法である。ここにきて、自民党が功労者面しようと言うのは、党利党略だけが見えて来る。信念や、正義や、国民の為の政治をしようと言うのが、本来の政党の姿のはずだ。又そうした姿を支持するというのが、選挙のバランスのとれたあり方だ。

民主党はどうあがいても、いくら先延ばしにした所で、やればやるほど傷が深まり、政党の命は切れている。唯一生き残る可能性は、「国民的議論に基づき、原子力発電がら、再生可能エネルギーへの転換の道筋を掲げることだ。」この間自民党は原発推進の方針を目立たないようにしてきている。民主党は解党をするくらいの決意でやらない限り、消滅する。国民に対し、政治は変えられる可能性があると、一度は期待させた責任がある。やっては見たが、結局は自民党の言うとおりだったというのが、何も挑戦せず、財務省の主導の、自民党の政策に引きづり込まれて、諦めた民主党の姿だ。マニュフェスト段階では、正しい方向も沢山あった。だから選挙で勝利したのだ。このまま消えて行くのでは、政治への無力感を広げただけで終わるということになる。

昨夜行われた、自民、公明、民主の党首会談は何を意味するのか。法案の成立後、「近い内の解散する。」と言う話になったらしい。当然のことだが、政治家は日本国の為に政治を行う。自分の名誉や生活の為ではない。バカバカしい手打ち式であった。社会福祉改革は、根本から変えなければ人口減少時代を乗り越えることはできない。消費税を上げただけでは、到底今の制度設計では破たんする。お金が足りないのだ。労働人口が減少する中、どうやって若い人達がどんな暮らしをする社会を作るかである。将来の変わって行く社会をを提示し、底への道筋を示すのが、各政党の義務だ。3党の体制翼賛政党に日本の未来を任せられるとは到底思えない。以前も書いたが、優秀な人たちが議員に存在する。何故か機能しなくなっている。このままでは民主党は消滅するのだから、思い切って民主党を見限るべきではないだろうか。
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国民的議論2

2012-08-08 04:30:37 | Peace Cafe
官邸前で反原発を訴えている団体の代表者に野田首相が8日にも会うことについて、「私は反対だ」と枝野氏が述べた。現状では延期と言う事になっている。「公平性や透明性を考えるなら、意見聴取会やパブリックコメントという(国民)すべてが参加可能な仕組みがある。誰かとだけ(面会を)やると、誤解を招く可能性がある」一つの考え方だ。以前国民的議論がいかにまやかしの仕組みだという事を書いたが、一通り慧額が終わって見て国の考える議論と言うものが、実質の伴わないものであったかが痛感されている。議論を民主主義の原点と考えているものとして、議論という言葉が通過儀礼に使われたことが実に腹立たしい。枝野氏によると、すべての国民が参加可能な方法とされているのが、パブリックコメントである。私も参加した訳だが。果たして、議論に参加したということになるのか。一体だれかが私の意見を読んでくれているのか。読んだとか、意見を頂いたとかいう反応は全くない。

すべてのパブリックコメントに反応がないかと言うとそういうことでもない。貴重な意見を頂いたという返信メールのような反応の場合もあるし、きちっと回答をしてくれたものもある。どう改善したかとか、どうして取り入れられないかとか、そう言う意見まであった場合もある。今回は、一番多いい、届いたのかどうかさえ反応のない。つまり通過儀礼方式である。枝野氏が言うようにこれが国民的議論と言うなら、全体の報告をパブリックコメントを出した全員に送るのが、最低の礼儀である。礼儀がないのを承知で意見を出したのはいたたまれないからだ。それで何か意味があるなど思わないことにしている。何度も、厭な思いをしてそう思う事にした。それはデモに参加する時もそうだ。デモに出れば何かが変わるなど思ったことはない。もう叫ばずにいられないからでもに行くだけだ。何も変える気も無いくせに、デモの代表者に会うというデモンストレーションがいかにもである。

議論をするということはどういうことか基本を考えてみる。言葉の意味から言えば、互いに自分の主張を論じて、戦わせることとなる。国民的議論と言えば、原子力発電をどのような位置づけにするか。互いの意見を論じることになる。議論には、それなりの決まりと言うか方法論が必要である。それが無ければ、議論が何のために行われるのかが見えてこない。今回の国民的議論が、実質のあるものであるなら、それぞれが意見を述べて、互いの意見に対し質問をすることが最低限必要であろう。私のように脱原発で行くべきとするなら、その時の経済の状況をどう考えるのか。聞いてみたいものである。脱原発の経済的影響をあらゆる角度から想定する必要がある。この枝野氏と私は同意見で、再生可能エネルギーを新産業にすべきと考えている。20から25%は原子力で行くと考える人なら、そのリスク管理法について聞いてみたい。互いの意見を表明し、違いを認識する。そして、その違いの原因を互いに掘り下げる。そして、その違いを乗り越える第三の道を互いが模索する。

議論の先には、互いの意見の相違を越えた、未来の可能性が待っていなければならない。前向きに問題を解決するための議論が必要だと思う。それには、双方が質問をし、回答をし、問題点を煮詰めるという所まで行くのがまず第一歩である。そもそも日本の議会ではそういう議論がない。だから、今回国民的議論ときれいごとを言った時に、その方法がまるでセレモニーでしかないことが、すぐに露呈した。日本の現代社会に議論が失われたということは、残念な現状である。かつての日本社会は、地域社会で、泊まりがけで議論をしたという歴史がある。私の住んでいる久野には「小田原評定、久野寄り合い」という言葉がある。とことん話し合う事を意味する。社会に議論は必要なものだ。現代社会が議論を止めたのは、議論をすることを恐れているからだ。意見が違う事で、排除する空気を感じるからだ。議論の文化を再生させる必要がある。
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オリンピックゲーム

2012-08-07 04:04:53 | 身辺雑記
昨日はついに寝ずにテレビを見ていて、朝になってしまった。女子サッカーのなでしこはついに決勝戦にまで進んだ。スポーツを見るのは好きだ。オリンピックはともかく面白い。こんなにまとめてやらないで、もう少し、ゆっくりしたスケジュールでやってもらえないものかと思う。と言いながらも、実は落ち着いて見て居られなくなった。歳を取ったせいだと思う。母がそうだったので、多分私も歳を取り、心配性になった。母はお相撲でもいよいよとなると、ひやひやするので見ていられないと良く言っていた。追いあげられた後半は怖くて見て居られなかった。前回の北京オリンピックの時は、見られないというようなことはなかったので、4年の歳をとったことをしみじみ思う。この調子では、次のオリンピックでは結果が分かったビデオしか見れなくなっているかもしれない。体操でも、フェンシングでも、同じで失敗するのではないかと思うだけで、ひやひやしてしまう。

今回日本の選手がすごいのは、一人の時より、みんなでやる時の方が力が出るという事だ。これは日本人らしいし、とても嬉しい。水泳の北島選手やフェンシングの太田選手がいい例である。それぞれに前回は個人戦でメダルを取った。その時は、日本人離れをしたというか、新人類的なすごさを感じた。普通の日本人とはつながりがない様な驚異的な強さである。しかし、それぞれに個人戦では、精一杯やったたが時の運がなかったというか、力を出し切れなかったのか、メダルまでは行かなかった。それでも十分戦ってすごいとは思ったのだが、そのある意味不振の二人が、団体戦になった時に、すごい力を出し切ったのだ。素晴らしい。日本人の魅力というか、良さが十二分に発揮された。北島選手は400メートルメドレーリレーで、個人戦の時より本来の泳ぎが出来た。周りの選手たちも、北島選手を手ぶらで返す訳にはゆかないだろうと、競り合いに勝って銀メダルを取る。太田選手は準決勝のドイツ戦の最終試合は、オリンピックの歴史に語り継がれるようなすごい試合をした。

フェンシングの団体戦、4人のチームなのだが、3回転して戦う。そして最後の9番目の選手がエース太田選手だった。むしろ太田選手以外がここまで頑張って、3ポイントリードである。ところが、たちまちにドイツ選手に連続5ポイントを許して、逆転されてしまう。そこから覚悟が決まったというか、抜きつ抜かれつの大接戦になる。試合まで14秒のところで、2ポイント差、もう絶対絶命。ところがここから、1ポイント取ると、1点差。後2秒。バックラインまで追いつめている。ここで時間を取るドイツ選手。試合が再開されると、即突撃して、何と同点のアタック。延長戦1分間。15秒ほどたった所で、両者中央付近で相討ち気味にぶつかり気味にすれ違う。ビデオ判定である。審議の結果、太田選手の勝利。素晴らしい、逆転勝利。少し不調だった、太田選手がその力を思う存分出し切った瞬間だった。

卓球女子チームの準決勝戦もそうだ。シンガポールの銅メダリスト、ティアンウェイ・フェン選手はその前の試合でも、受けが抜群に強く、これは勝てないだろうと思っていた。初戦福原選手とのエース対決。福原選手は、バックの返球の強さが抜群だった。ところが今回は、フォアーの3球目攻撃の鋭さは、磨きがかかって随分と強くなった。ところがこの攻撃は、不成功もどうしても多い。受けが抜群に強い相手では、分が悪いと思っていた。ところが団体戦では、攻撃的福原が攻撃をしないで、つなぐ卓球をして勝ってしまった。福原選手に押さえた冷静な気持ちを生み出したのは、団体戦でどうしても勝つという試合をさせたのではないか。アーチェリー女子団体もそうだった。一人の時より、みんなとやる時の方が力が出る。これは、比較するのはおかしいけれど、農の会のグループの農作業もそうだと思っている。
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福島避難の犬ねこ

2012-08-06 04:51:31 | Peace Cafe
寒川の湘南タッズ(UKCアニマルレスキュー)では福島原発事故で、避難している犬ねこの世話を続けている。実はここのことは、書きたいことがあってもあまり書けないで来た。警察の指導である。先日来、ここの代表者のタッズ父こと細さんが入院していた。手伝いに行った、カヨ子さんによると無事退院できたということである。ほっとも出来ない状況であるが、ともかく先ずは良かった。細さんからは原発事故直後。「すぐに駆けつけて、仲間の犬を救出するので」という緊急要請があった。私たち夫婦も出来る限りの支援をしたいと、協力させてもらってきた。小田原でも呼びかけを行った。問題は犬猫レスキューの世界が、やっかみと足の引っ張り合いの世界で、犬の散歩の会の人が聞いた話として、その活動問題点をつづったメールが広くばらまいた。良く事情も知らない人間が、動物愛護協会に任せておけばいいとか。政府がやっているから素人が勝手なことはしない方がいいとか。獣医師会も動き出しているとか。人のやることの足を引っ張る。

想像通り、これらの公式的活動は何の役にも立たないどころか、震災支援金を上手くかすめ取ったとしか思えないもので終わった。動物の目線からしたら、とんでもない活動結果だと思っている。公的活動があるから、細さんのような民間の動きに同調してはいけないというような、馬鹿げた中傷が小田原だけでなく駆け巡った。私は、細さんと10年前お会いした時に、この人は信頼できる人間と確信した。信頼した人だからの依頼である。ここのレスキュー全体で何か事が起これば、個人として責任を取る覚悟で動いた。もちろん大したことは出来なかったのだが。小田原からも犬舎の建設にも一緒に行ってくれた。今はその犬舎もさらに建て替えられ、随分良い環境になった。しかし不当な中傷が続く中、この事は詳しくは書けないことなのだが、犬が何頭も殺される事件が起きた。原因がネットのやり取りであるという事で、タッズのUKCジャパンという組織の活動をネットではあまり書かないということになった。しかし、この間、細さんのすごいのは、一切の中傷を我慢し切ったことである。

辛かったと思う。プロレスラーのような体形だった細さんが、多分20キロ以上痩せた。それでついに入院になった。震災ボランティアも多分各地で、地味に本気で継続されている。しかし、地元寒川で地道にただただ、犬の世話を続ける活動は、よほどの思いが無ければ継続できない。今ある寒川の場所も、いつまで続けられるのか問題がある。それでも細さんと、その奥さんのタッズ母がいるから、ここまで継続されて来たのは、事実だ。もちろん多くの方の支援も地道に続いている。ボランティアの人が、毎日10名前後、継続して活動している。私は、手伝いに出掛けることが出来ないので恥ずかしい限りである。せめてと思い、ケージでは無理なセントバーナードを今は預かっている。猫の2匹はもう親猫になった。預かった鶏は今では我が家の鶏と一緒になった。カヨ子さんはその鶏を良く彫刻にする。その頃から、作るものが彫刻の作品に見えてきた。

細さんは、緊張の1年4カ月だったと思う。さすがに疲れが出た。私のように、小田原に暮らしているいるものでも、様々な動きが起こり、つい言わないでもいい言葉を発したりしている。こらえ性が無くなってきた。体調も落ち気味だ。何でも悪い方に感じるようだ。政府を思えば、原子力規制委員会に原子力推進派の人を、選んでいる。怖ろしい総理大臣の鈍感力。細さんのレスキューは果てしなく続く。無理も果てしなく続く。もっとも迷惑なのは、やりもしないで口だけ偉そうな注意をしてくれる人。放射能のうんちくを語る人。UKCアニマルレスキューでは、今日も福島に帰れない犬たちの世話を続けている。そしてそれを取り巻く支援の輪も、粘り強く続いている。そういう人たちがいると思えば、もうひと頑張りできる。

昨日の自給作業:田んぼの草取り2時間 累計時間:5時間
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大豆の様子

2012-08-05 04:04:25 | 自給
大豆は7月16日18日苗の植え付けをおこなった。昨日3週間して草取りを行った。苗は植え付けた後は水がある程度は必要。植える前に土が湿っていた方が良い。3週間雨も無い日が続いている。水やりなど一度もしなかったが、幸い順調に生育している。枯れた株は5%位だろうか。隣の田んぼから、水がどんどん染み出してくるためである。どこかに穴があるというより、地下水位が高いという事のようだ。余りに土が乾いているので、丁度良いと思い、排水溝をふさいでベットの間の水路も水が溜まったままにしていた。8月4日になって初めて草取りをした。10人ほどで3時間やったのだが、6割くらいが終わった所である。もう一度来週草取りをやる予定にしている。なにしろ暑いので、朝6時から9時の3時間がいい所である。松本さんに早い方が楽だと言われたこともあり、今年は早めに草取りをした。土が固まらない内なら、簡単に立ちガンナで削れる。

水路の状態が去年より悪く、水はけも悪いし、水の流入も田んぼのようにある。今まではこれで良かったが、この後は何とか水を抜かなければならない。去年今年と、土中緑化法で大豆栽培をしているのだが、まだこれならと言う成果の感じはしない。今年は苗を目一杯植えて行ったらば、何と苗が足りなくなって、急遽直播を加えたが。これは予想通り鳩の夫婦にほとんどが食べられた。毎年食べられるので、同じ夫婦鳩なのだろうか。何故かこの畑では3回目になるが、直播は毎回全滅である。3粒蒔いて、「一粒は天の為、一粒は地の為、一粒を頂く。」こういう都合のよいことはない。大勢の人が来て作業をするので、種をまいているのをどこかで観察していて、帰るとたちまち来て掘りだしては食べている。それでも完全に食べられたと思っていたのだが、わずかながら大豆の芽が遅れて出ている。これを残して、生育の比較の材料にしようと思う。草が茂ってから遅れて芽が出たものは鳩が気が付かなかったようだ。来週草刈り機で周りを刈ってやる。

ここは長い間、多分江戸時代初期から、400年以上は田んぼだった場所だ。土はカチカチの粘土である。田んぼを止めて20年くらいは、ナシを栽培したそうだ。その時暗渠を作ったらしいが、それはどうなったのか、今は効果がない。この水が付かる田んぼの跡と言う条件が、大豆には向いている。久野の山の畑で大豆を作ると病害虫もあるし、収量も少ない。田んぼの後に、高い畝を立てて、畔豆のつもりで作ればよく出来る。そう考えて初めて、七,八年になると思うが、なかなか良く出来る。有機農法で地域が単収を越えている。苗の植え付け後、活着まで水が欲しい。これにも水が湧くことが幸いする。その後は大豆が花を咲かす時期水が欲しい。この時期も水があれば良く結実する。いずれにしても田んぼの畦では良く出来るのだから、あの環境の再現である。ただし高い畝は作るのに苦労するので、今は広い240センチのベットである。ここに6列植えてある。間にかなり深い水路がある。ここが停滞すると、やはり大豆が病気になる。

追肥を考えなければならない。昨年肥料不足のためか、思ったほどの収量がなかった。土中緑化法は根が肥料を吸える性格に変わるので、多収出来る技術だと言う。その意味では来週に追肥を出来ればいいのかもしれない。問題は鶏糞取りが出来るかどうか。暑くて辛い作業になるので、どうにも最近はやる気力が出ない。涼しい時間に、思い切ってやらなければならない。最近体調が悪いのか、年齢の為体力が落ちたのか、竹藪の片づけも出来ない。草取りも出来ないし、鶏糞取りも出来ない。それでも、昨日は大豆畑の作業は、みんなでやる作業なので、やる気が出た。やってみたら案外に動けた。あとで身体がおかしくなることも無かった。今朝はこれから、田んぼの早朝草取りであるが、これも一人ではなかなか出来ないが、グループ田んぼなので、腰が上がる。早朝はブヨ対策がいる。それにしても朝が何時までも暗い。大分秋が近付いてきた。

昨日の自給作業:3時間大豆の草取り。 累計時間:3時間
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インサイダー取引

2012-08-04 04:26:37 | Peace Cafe
日本の証券会社がインサイダー取引を普通におこなっていた。その代表たる野村証券では、会社の代表責任者の退任があった。金融庁による行政指導も行われている。情報のない人は騙されていたということになる。以前の手口は、株式公開や公募増資の際に、事前に顧客に株を流す方法が行われていた。必ず株が上がっていたのでこういう不正が出来た。顧客はその証券会社のセールスマンと深い関係になる。これは普通のこととして行われていたが、今は禁止されたらしい。私も知り合いから誘われたことがあった。私を誘うなど見当違いだが、証券会社のセールスがいつも友人の喫茶店にたむろしていたのだ。そこには、銀行の人も良く来ていたが、不思議と銀行員と、証券会社の人は見て区別がついた。山一証券の人たちだったが、面白い良い人がたくさんいた。大手企業が倒産するなど思ってもいない様子だったが、今はどうしているのだろうか。

事前に情報を流すのが、何故犯罪でないのかが分からなかった。友人は、それで大儲けして、結局はその後大きく損をした。最近言われているインサイダー取引はもう少し複雑で、空売りという手法を使うという。増資が行なわれる前のタイミングで空売りを行い、その銘柄の価格を引き下げてしまう。持っていない株を借りて売るのだから、いくらでも下がるまで大量に売ることが出来るらしい。そして、増資後に分配される、戦略で安くなった新株を購入する。すぐ値を戻す株を売って、返却に宛てて利ざやを儲ける。こうしたことが犯罪ではなく、普通のことだったというから驚く。資本主義の基本となる株式がこういういかがわしい中で、運用されている。日本的というか、内部情報を有利に貸し借りするのは、役得のようなもので、当たり前とされてきた。こういうなれ合いのようなものが、日本の社会の特徴なのかもしれない。

ところが、日本の株式も国際化して、国際ルールに従わざる得ないようになった。そうなるとこのやりかたがインサイダー取引という事で、日本の証券会社すべてが不正を行っていたことが、明るみに出てきた。日本の社会の持つ暗黒部分が外圧によって明るみに出てきた感じだ。証券会社は増資などの情報の発信に協力しながら、営業職員が優先的に利用する。そのことが犯罪ではない不思議な社会。これでは日本の資本取引が世界から信頼される訳がない。日本の株式市場の開放とは程遠い。日本の株の購入をためらうようになるのが普通である。こうしたもたれ合いがすべての分野に共通であると、外国には見られている。公共事業などの入札など、外国企業が食い込めないように出来ている。内なる世界の了解というものが、がんじがらめに成立してしまう社会。大抵のことが、インサイダー取引されている社会と考えた方がいい。有利な情報を早く得られるという立場の価値の高い社会。官僚と業界の癒着。天下りの裏には、政府情報が欲しいという事がある。悪い奴ほどよく眠る世界だ。

原子力村もこうして出来たのだろう。官僚支配もこうして作り上げられてきたのだろう。政治の村ではこの暗黙の了解を理解しない人間は、排除されるのだろう。この癒着社会を崩壊させる意味では、国際化というか外圧は良いようだが、これですべての癒着が取り払われるとは到底思えない。官僚が政治家に結局は勝利しているのは、情報の出しかたにあるだろう。情報公開が遅れている社会。その点、インターネット情報は良い。情報の平準化。この中からどうやって本当の情報を選ぶかが問題である。情報が平等のものになる可能性を秘めている。うちうちで談合することも、徐々にだが変わらざる得ない社会になるのだろう。しかし、銀行員の人より証券会社の人の方が、友人になれたのは私の性格を反映していたのだろうか。
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日本政治の右傾化

2012-08-03 04:53:27 | Peace Cafe
野田政権は政策の方向を失っている。3党合意による消費税の増税法案も、野田政権の行動力を示したとは言えなくなっている。これを機に民主党を離れた勢力は、反原発というよりどころを持って、まとまろうと動き始めている。反原発の動きがどこまで広がっているかは未知数であるが、政権を脅かすためには、立ち上がれ日本以外の野党勢力には、反原発を必要な政策と間違いなく見ている。今や民主党と自民党と公明党と言う、体制翼賛政党として団結して原発推進を現実路線と言う姿。当然のことながら、政党内部には反原発を主張する人たちもいる。原発問題を、国民がいつものように忘れてくれることを期待して時間稼ぎをしても、状況はより困難化。消費税もその意味で、野田政権は実行力を示そうと、無理をしたのだろうが。消費税を3党合意と言う形での進め方が失敗で、民主党はさらに支持率が下がる。

そこで、民主党は靖国神社の参拝。憲法改定を、集団的自衛権の見直しを、自民党のお株を奪って主張するのではなかろうか。オスプレーの日本の基地への配置、沖縄の基地軽減どころか基地の強化。日米同盟の強化。中国やロシアを仮想敵国とし、領土問題の顕著化。こうした領土問題が出て来る時には、背景として国民の愛国心を煽り、国防の強化、軍事力の強化、日米同盟の強化。を計ろうと考えての事と思わなくてはならない。立ち上がれ日本が尖閣問題を強調するのは、そうした流れである。慌てて、野田政権も尖閣買い取りを主張したり、ロシアに北方領土の交渉に出掛けたり、国民の愛国心を刺激しようとしている。この流れの中で、何か領土もに関する接触事件があれば、過激な行動など仕掛ける可能性も高い。北朝鮮に関しても、核開発を始め、いつでもが言おう上の問題として、緊張を高める仕掛けはあるだろう。もちろん自民党は民主党以上の右傾化政党であることが売りであるから、本家を主張して右傾化競争に入る可能性は高い。

原発推進を主張する政党には、愛国心を呼び覚ます以外の政策は考えられないと言うこともある。反原発勢力にはその受け皿となる、民主的政治勢力がない。平和勢力に力量がないということか。私は支持していうのだが、社民党の存在感の薄さ。このままでは、自分達の反原発感情からほど遠い所に日本の政治が行くばかりだという、怒りや、やり場のない気持ちが、反原発デモに人が集まり始めた理由だと思う。野田政権の打ち出した原子力規制委員会のメンバーの人選が、原発推進派を選ぶという驚くべき政策を打ち出しても、それに対して、疑問を主張するのは、同じ民主党の一部の議員という構図。反原発を主張する人が多数派の状況の中で、こんな対応をする馬鹿げた政府はあるだろうか。規制委員会が本来の目的の、安全性の強化をしたらまずいと考えていることを表明したようなものだ。

民主党の右傾化と言う事もあるが、自民党の極右化の穴埋めのような右へのずれ込み。どちらかと言えば経済優先思想から来たもの。経済競争の敗北と、資本の日本からの離脱への恐怖感。基本理念を失ってしまった政党の流れ着く淀み。3党連携による憲法改定の画策。集団的自衛権の明記。天皇の元首化。危機のすり替えを行う可能性が高い。
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原子力規制委員会の人選

2012-08-02 04:16:16 | Peace Cafe
福島原発事故の原因のひとつに、安全神話があった。事故は起きないという前提で考えていたために、事故時の対策が不十分であったというのは、推進派も原発廃止論者も異論はないだろう。原発を推進する経産省の中に、安全性を確保する組織があるのでは、充分な安全性の規制が出来ない。こういう反省に基づいて「一の行政組織が原子力利用の推進及び規制の両方の機能を担うことにより生ずる問題を解消するため、原子力利用における事故の発生を常に想定し、その防止に最善かつ最大の努力をしなければならないという認識に立って、確立された国際的な基準を踏まえて原子力利用における安全の確保を図るため」設置法にある。今その人選が進んでいる。野田政府としては、原発推進という動きである。そこで注目されていたのが、どの程度中立的からむしろ反原発の思想を持つ人を選べるかである。

今あげられている委員長候補の田中俊一氏は、2007年から内閣府原子力委員長代理である。事故後の2011年度に、原子力の広報や宣伝を担う日本原子力文化振興財団などから原稿執筆などの謝礼として約29万円を受け取っていたことがわかっている。つまり事故後も原子力推進機関の仕事をしている人である。委員候補では過去3年間で、島崎邦彦氏が日本原子力文化振興財団などから計29万1千円、中村佳代子氏が日本原子力文化振興財団と放射線影響協会から計20万1千円、更田(ふけた)豊志氏が日本原子力発電などから講義・テキスト作成の報酬として計66万2千円を得ていた。 野田内閣は過去3年間に電力会社など原子力関連企業・団体から年間50万円程度以上の報酬を得た人を候補から外す基準を設定。野田内閣が自己申告をふまえた調査結果としてまとめたもので、人選基準には抵触はしない、とされている。

田中俊一氏はそもそもどういう人なのだろう。「21世紀社会の様々な課題と不確実性に柔軟に対応し、人類社会と地球環境が希求する技術を生み出す創意に満ちた原子力科学の研究開発活動が行われる政策を企画し、推進します。」このように、原子力委員会のホームページに書かれている。こういう人が、原子力の規制を出来るだろうか。国民は安心して、原子力発電所の規制を任せられるだろうか。これでは原子力を推進するためのひとだろう。この国はしばらく駄目だ。原発を進めるということが、本気であればあるほど、安全を考えるので無ければならないのは、充分体験していることだ。国民が信頼し安心できる規制委員会を作ることが、普通の神経ではないだろうか。規制委員会の多数派を原子力村のメンバーで構成して作るのでは、今までと同じで何も変わらない。まだ安全神話から目が覚めていないとしか思えない。

やはり、国民から目覚め、選挙で原子力を推進する政党を敗北させることだ。本来であれば国民投票を行うべきだ。しかし、こんな政府の調子では逃げ回るだけだ。政府は選挙をするにしても、出来るだけ原発以外の争点の選挙にしようとするだろう。今の日本の置かれた状況は、大きな岐路である。「経済優先の敗北か、貧しくとも安心の暮らしか。」確かに経済は苦しくなる。それは、当然起こるべき世界情勢である。日本だけが逃れることも出来ない。戦後の日本人と日本経済が特殊であったと考えた方がいい。政府は全く状況の変化に対応できていない。企業は企業利益を優先し、日本の未来に対して責任を持とうとしない。そう言う政治思想のゆがみが、この原子力規制委員会の人事に現われている。不当なことをしたら政権は交代する。こういう現実を政治に表現しなければならない。あらゆる方法で抗議はしなければならない。
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