地場・旬・自給

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くず米集めと足柄の農家

2006-10-16 07:24:20 | Peace Cafe
足柄地域では、くず米の事を「さなご」と、美しい名前で呼ぶ。おさなごという言葉があるから、お米の子供ということだろう。青さ、青米と私は呼んでいた。
地域の何軒かの大きな農家から、さなごは分けてもらう。たまると、電話をいただけるので、取りに行くことになる。

大体の農家が、一袋25キロで詰めてある。本来一俵というのが、昔は単位で60キロのことだ。持ち運ぶのに丁度で、具合が良かったのが、1俵だ。今時、力が衰えて大変という事もあり、一袋が30キロになった。年寄り、女性の農業という事もある。それが、25キロが最近多くなった。これは計算しにくいので、良く無い単位だけれど、高く積み上げたりするので、これの方がいいという。

25キロ袋で、150袋は集める必要がある。200袋あってもいい。養鶏場までケイトラで運び、ドラム缶に詰める。きっちり詰めておけば、一年間変化が無い。味は落ちるかもしれないが、鶏のえさには問題が無い。これをこの季節繰り返すので、今もちょっと腕が痛い。

さなごを鶏のえさにすると、卵を産まないということを、どの農家の方も言われる。当然これは皆さんの誤解だ。多分、鶏のエサにさなごを使うということが、大変な浪費で、やってはいけないことだったのだ。私の子供の頃、青米をやるというのは、鶏が具合が悪いような特別な時のことだった。さなごは米粉にして、上新粉として使える。精米して、食べれば結構食べれる、姫米と呼ぶところもあるそうだ。

農家の方と会えば、話すのは今年のお米の出来だ。「1俵良かった。」そんな年は体が疲れていても、皆さん明るい。「今年は1俵悪いぞ。」と言われる。「分結が取れんかった。」こう言われる。やはり、7月の日照不足が響いた。「そっちはどうよ。」という事で、「今年は6俵でした。」と話すと、「どうしただよ。」「坊所は谷間の田んぼなんで、日照の悪い年はダメなんです。」こう言うと、「一生懸命やってれば、今にいい田んぼも貸してくれるよ。」そう慰めてくれた。

「その悪い田んぼを、返しちゃダメだよ。」その方は、悪い田んぼを良くして、誰でも作りやすくなったら、返すのだそうだ。「悪い間はやってないとダメだよ。いい田んぼを借りられたら、折角貸してくださった土地を、足蹴にするように返す人間は、誰も信用せんよ。」この地域で今も専業で農業を続けている人は、すばらしい哲学を持っている。

土がせっかく良くなったら、返せって言うんで、土を運びたいぐらいだ。これが我々の間でよく出る愚痴だ。いい土にして返せたのだから、良かったと思うぐらいで無いといけないようだ。確かに私に、さなごを分けてくださる人は、親切で近所のまでまとめてくれる。さなごはおまけなのだからと言って、福祉施設に寄付している方も居る。俺が農業やっている内は、お前の鶏のエサは心配しないでいいからとまで言ってくれる。

さなご集めは体にきついが、心にしみることも多いい。
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2006年の稲作 失敗の報告

2006-10-15 06:30:19 | 稲作
今年の私の失敗を報告します。みなさんの、肥やしになるかどうか。

稲刈り、脱穀が終わり、あとは籾摺りのみを残す状態になった。今年は、レンゲで来た冬の緑肥を、菜の花に変えた。どのような展開になるかを、楽しみにした稲作だった。一つは、菜の花の栽培に精力を注いだ。充分草量がある状態にまで、菜の花を栽培することを第一目的にした。これは見事に黄色い海になった。

他の事は例年どおりに行い、抑草効果を見極めるつもりだった。冬場の鶏糞撒きも菜の花の旺盛な成長につながった。海水播きも例年のように行った。苗代の苗の出来は、普通だった。3~4葉期のりっぱといっていい苗だった。

水を入れたら、雑草の発芽が始まるので、田植えまで時間を出来る限り短期間にする。というのが、今まで成功した時の、知識だった。緑肥の刈り取り、漉き込み、代掻き、この辺は出来る限り短くした。ところが、これが「菜の花では問題あり」らしく菜の花除草は、全く効果を見せなかった。

この辺りから今年の稲作は調子を崩した。6月11日が田植え、6月中は100ミリを目標に深水を心がける。苗は活着が良く、初期分結も今までになく順調に見えた。ところが、7月に入り、このひと月は、全く成育が止まった様な不思議な様子になる。今思うと例年田植え後止ってしまうように見える期間がなかったのが何故なのか。多分、糠の腐敗が根に影響があるのだろう、これが抑草になる。

6月28日に雑草の具合が例年と違い、勢いがすごいので、転がし除草に入る。ここからが、草取りの始まりで、8月まで取り続ける。7月は雨も多かったが、日照がなかった。谷間の田んぼで、日照不足はこたえる。8月にはいって日照が回復して、成長が再開。何とか収穫は出来るかと少し安心する。もし菜の花に遅れて抑草効果があるなら、何故コナギはは発芽を続けたのだろうか。

稗はなかった田んぼなのに8月中・後半には稗が目立つ。これも毎朝取ることになった。何故こうもバランスがおかしくなってしまったかが、今年のじっくり考える反省点だ。菜の花抑草が坊所田んぼに合わない、これはよくわかった。理由がよくわからない。水温ではないかと想像している。水温の低い田んぼでは、腐塾の早い、蓮華の方がいい。更にいいのが、米糠抑草という事ではないか。

7月に入って菜の花の腐熟が始まり、稲の生育を止めてしまったのではないだろうか。

救いとして、成果が上がったことは、リアルな風船のカカシだ。例年すずめの食害がひどかったが、風船案山子で、すずめは近寄らなかった。いつまで効果があるか心配だが、来年はもう一工夫するアイデアがある。上手く風で動くタイプにするつもりだ。偶然、ゆらゆら、ぶらぶらするようになったら、これは効果があった。

収量は、最終結果は出ていないが、籾の様子では6俵は割る。(籾摺りが終わり6俵丁度でした)驚くべき減収だ。昨年から思うと2俵は減った。このところ年々増収になり、期待が大きかったので、辛い気持ちだ。雑草が多かったことも減収につながるのか。大きくは、土がバランスを崩して、稲の生育を止めたことにあると思う。さらに問題は抑草の失敗が深刻だ。来年は又、糠抑草に戻すのか、思い切って不耕起にしてしまうか。早急に結論を出さないと、秋起こしが出来ない。
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食農教育:農文協

2006-10-14 06:41:23 | 
農文協から出している、「食農教育」という雑誌がある。以前、手作り孵卵器の作り方、を掲載してもらった。昔から、これには興味があって、色々やってきたので、このときは決定版にしようと、工夫をした。小学生でも出来る、お金がかからないで、工作が簡単で、といういい孵卵器が出来た。それを読んで、やってみて上手くひよこになったという、嬉しい便りもあった。

その11月号に、卵のことで再度掲載した。今度は、もう少し卵の成り立ちなど、孵化を授業化するときの、アイデアなどが載った。これは教育関係者が多く読む雑誌なので、学校で孵化してもらおうという意図がある。鳥インフルエンザの問題が起きて以来、全国の学校で鳥の飼育がなくなった。鶏の普及は、学校の飼育係からと考えていた私としては、極めて残念な現状だ。

鶏はただでさえ、生活の中で飼えなくなっている。鶏が飼えないような暮らしは、暮らしを取り巻く環境がおかしいと、思っている。飼えない状況が広がっていることだけは変わらない。鳴き声がうるさいといわれるので、どうしたらいいか。こういう相談が時々ある。小屋に雨戸を付けて、閉めてしまったらどうか。寝箱に入れて、部屋で寝かせるようにしたらどうか。など答える。声の響かない、声良鶏ならどうかという事もある。
鶏好きはみんな困っている。

「食農教育」の11月号は、味噌汁特集だ。味噌汁を総合的に特集している。これが実に面白い。味噌汁なら、大豆作りだ。これもきちっと出ている。食の基本が、農にあることが、おさえられている。この雑誌のテーマは、「地域と子供の個性を伸ばす」とある。この「と」がいい。地域の個性が伸び、子供の個性が伸びる。この雑誌が、又学校で、鶏が飼われることを望むのは当然のことだろう。このことは大切なことなので、できることがあれば協力させてもらいたいと思っている。

50号の記念特集号にはくだかけの「和田重良」が記事を書いている。くだかけは鶏の古語だ。山北の頃は、お隣さんだったので古い付き合いがある。農業のこと、生活のことを書かれている。最近はくだかけでは養鶏を始めている。以前鶏を飼いたいというので、笹鶏を差し上げたことがあった。その後、何か獣に襲われてしまい、全滅した。何しろ山の中で、獣の方がずーうと多い所だ。今度もそうならないことを祈っている。こうした暮らしに目を向けて、編集している雑誌が、きちっと51号になったことはすごい事だと思う。

あしがら農の会の活動も、地域では孤立した小さな動きだけれど。全国で同じような動きが、あるに違いないと思っている。食農教育の中には沢山の志を同じくする人がいる。まさか、学校の教師にそんな人が居るとは思えない。等とつい思うが、この困難な学校という世界で、本気で活動してくれている人が居る事に、感激する。
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笹鶏:鶏肉出荷

2006-10-13 06:06:14 | 自然養鶏
鶏肉の出荷が始まった。笹鶏の春に生まれた鶏だ。我が家で鶏を孵化するので、200羽ぐらい孵化するので、100羽近くは毎年出荷することになる。残す事になる、雄鶏は3,4羽だ。毎年、今頃から年末まで、少しづつ集荷している。

普通に売られている鶏肉とは、相当に違う鶏肉だ。世間で売られている地鶏とか言われているものも、大方は、3ヶ月程度の飼育の物だ。私のところでは、9ヶ月から、10ヶ月経った、私自身が最も美味しいと思う時期の物を出している。もちろん自分が食べてしまう物が、一番多くなる。

良く売られている鶏肉には2種ある。ブロイラーといわれる。3ヶ月未満の雛肉。もう一つは、地鶏といわれる。80日以上飼育することを基準とした鶏。いずれも太る為の配合飼料で、ぐんぐん大きくするので、中雛位なのに、1,5キロとかになる。私のところでは、1年飼わなければ、そんな大きさにはなら無い。3年ぐらい飼うと、3キロぐらいの成鶏になる。徐々に大きくなってゆく。どんな鶏種でも本来の鶏の持つ姿を完成せせるのは、3年だ。1年未満は若、と呼ぶ。

何故雛どりを美味しいと感じるようになったのか。多分に文化の問題がある。柔らかいを美味しいと感じるようになった、理由は、食文化の脆弱さを表しているのだと思う。生産の現場から、食が離れるに従い、柔らかい物を好むようになるのではないかと思う。物の実態から離れることほど、食の尊さ、を感ずる心理が働いてきたように思う。

味という物は、実に主観的なものだ。日本人が最も繊細に食べ分けることが出来る、のはお米の味だ。昨日、「さとじまん」の新米を食べた。足柄平野では最近作り始めた奨励品種で、粒張り、収量、栽培の安定、など期待の品種だ。これを、一部ポチ田んぼで試作した。前から楽しみだったので、私たちの農法で作った場合の味を、気にしていた。もし良いなら、坊所田んぼも切り替えようと考えていた。

炊き立てを先ず食べた。モチモチタイプで、淡泊、きれがいい。すいすい食べこめるお米だ。次に冷えた、昨年のお米、古米の「アキニシキ」を食べてみた。何とコクがあることか。お米らしい味わいがある。この「アキニシキ」美味しくないといわれて、売れなくて全国で奨励品種から外れていった品種だ。現在埼玉県のみが奨励品種として、栽培している。ところが、どう考えても「アキニシキ」が美味しい。

味は各人各様だ。夫々だからいい。以前、笹鶏肉がどのレベルの肉なのか、試作してもらう為に、ある著名な料理人にお願いした。ところが、調理できないという。固くて自分のイメージに合わないというのだ。素材に応じるのではなく、自分にあった素材を探すのが、この時代の一流シェフらしい。
笹鶏肉を私が一番美味しいと考える時に出すのは、当然のことだ。これを、燻製にして食べるのが、最高の味だ。そう考えている。みんな、中々手間がかかってやら無いので、今年は、代わりに燻製にしてあげようかと思っている。

飼料が全く違う、育て方が全く違う。結果はどうなるのか。特に鶏肉の専門業者の人いかがでしょう。食べてみたいという人が居れば、どんな物か試してもらいたいので、1羽¥1500円で送ります。
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最小限の家作り いよいよ実施計画

2006-10-12 06:30:29 | 最小限の家
最小限の家作りはこの冬の農閑期に、一棟めを建設する。場所は小田原市久野舟原。笹村の自宅に隣接する。元、竹林だった場所だ。4月に竹林を切り始め、5月に片づけをした。その後も、草刈を何度も繰り返し、今は、竹の根っこの残る傾斜地となっている。中段の西端、見晴らしの利く場所を、予定している。

11月11日16時から、18時笹村自宅で「最小限の家・プチカフェ」を予定している。誰でも参加できるので、申し込んでください。現場を見ながら、皆さんの意見を伺う、集まりだ。プチカフェとして行うのは、この最小限の家が、この地域の平和な暮らしの原点になってもらいたいからだ。お茶でも飲みながら、ゆっくり出来たらナー。そんな場所になることを願っての事だ。

この後、大きな木で残っている物を、2本切る予定だ。これは専門家に頼まなければならない。その後どのように整地するか。現状では必要最小限の作業にしておいて、来春、竹の根の掘り起こしをしたいと考えている。切って一年、出てくる竹の子をとことん掘っていると、竹の根っ子はだいぶ弱くなるという。弱くなってから掘るなら、作業が楽だと言う。2本の木は、整備が進んでから切りたくても、困難になるので、思い切って切ることにきめた。

切り倒して、積み上げてある檜は、だいぶ乾いてきているので、いい時期を見計らって、製材してもらう予定だ。多分、製材するとそりが来ると思うので、予定としては、製材即、建築に入るのがいいと考えている。それは板倉作りで作る場合、落とし込む溝巾との適合余裕に、限界があると考えている。そらない前に落とし込んでしまい。溝の中で暴れながら、治まればいいかと考えている。

建物の設計も最終段階に入る。誰でも作れる簡単な構造。必要の美。倉庫小屋の機能性。湿度、通風、日照、作業性、安全性。小さいながらも知恵は十二分に加えた物にしたい。「地場・旬・自給」の考え方を表現している建物になる。この建物を見れば、農の会とはこうした方向を目指しているのかと、納得できるような建物にする。

この1棟めの建設には、2つの今後につながる具体的な目的がある。行政の了解を得ること、これには、まず実態を存在させる事が、重要だと考えている。その上で、これを了解させてゆく。届出など要るのかどうか、慎重に、確実に、書類を残しながら、行政に対応させたい。

もう一つは労力の助け合いのシステム作りだ。結いのような、相互扶助の仕組みを作りたい。忙しい中で、協力し合うわけだから、気持ちよく協力し合える仕組みでなければならない。農の会では様々助け合う形で、活動が行われている。この仕組みは、できる物が行うという、極めて奉仕的な形態だ。このことが会の気持ちの良い、空気を作り出している。

あえて、平等とか、時間換算とかは、出来る限り持ち込まないで助け合ってきた。ここは家作りでも大切だと思う。10日働いたから、10日分返してくれと言うような、世知辛い関係はよくない。体力も技術能力も違う様々な人が、出来ることでお互いの為になるように、心をこめて助け合える、精神を育ててゆく場に成らなければ、と考えている。
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バイオエタノールは地球を救う、のか?

2006-10-11 06:24:04 | 環境関連
エコ燃料として、バイオエタノールが注目されている。化石燃料の枯渇、高騰。次世代燃料として、ブラジルのサトウキビ栽培など、一気に広がっている。原料作物はトウモロコシ、サトウキビ、キャッサバなど。栽培が世界中で一挙に増えそうな勢いだ。

本当にバイオエタノールが、脱石油の救世主になれるか。考えておきたい。
栽培中心地は中南米、アジア、アフリカなど途上国。これらの地域は8億人を超える飢餓・栄養不測不足人口が集しているところでもある。このまま進むと限られた土地資源を燃料と食料で奪いある状況が生まれるだろう。これは最初の関門なる。仕事が増え、収入も増加するわけだから、上手いバランスのとり方が、可能なら、食糧生産が行われる地域も、出でくる可能性も考えられる。

次の問題は、遺伝子組み換え作物の問題がある。予測できるのは、食料で無いのだから、その植物は除草剤耐性であり、虫に対する毒性のある物になるだろう。自然界から言えば、とんでもない異物になる可能性が高い。まだ、遺伝子組み換え植物の、自然界に対する治まり具合は、検討もされていない。いたずらな危機意識でなく、平明にこの点は検討を深める必要がある。産学協同になってから、どうも企業にとってマイナスになる研究と言う物が、おろそかになっているようだ。

種子資源の特許の問題が、3番目の問題だ。今のままで進めば、モンサント社の独占になり、特許がかけられた物になるだろう。この点の解決策の、提示が無いまま現在広がっている。本来生命体に特許と言う考え方が、許されることなのだろうか。私が発見した微生物だから、この微生物は私の物であると、言っていいものだろうか。経済が全てに優先され、微生物発見の熱意もお金の為に、進んだ。そこに一定の枠を設ける必要がある、新しい事態だろう。

微生物が、植物体になった場合は、新たな特許の課題だ。植物資源は多様であることが、重要だ。単一になる場合、イメージとしてだが、アマゾンのジャングルが切り開かれ、遺伝子組み換えのトーモロコシ畑だけになった場合。そこは虫もすめない、草も生えない、死の世界になるだろう。これが地球の自然バランスをどう破壊してゆくかも、考えておかなければならない。

遺伝子組み換え技術は、コントロールできる、工場の中だけにすべきだろう。医療技術で、大腸菌など、多様なの組み換え技術が成果をあげている。エコエネルギーも本来、工場内で模索すべき技術だ。
建築廃材のエネルギー化。これが一番可能性のある技術だと思う。建築廃材や間伐材などの木質系バイオマスは、廃棄物として年間2,650万トンある。これを廃棄物の排出者が処理業者に、お金を払って引き取ってもらう『逆有償』のシステムによって、経済性が出てくる。

月島機械が設計した本格的な廃木材エタノール化プラントが堺市に完成し、来年1月に世界初の商業生産が始まる。大成建設や地元の廃棄物処理会社の協力で廃木材リサイクルが実現する見込みで、年間3万トンの廃木材を3700キロリットルのエタノールに変え、ガソリンに添加して販売する。
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遺伝子組み換え植物

2006-10-10 05:06:29 | あしがら農の会
昨夜、「食の未来」のDVDをみる、プチ・ピースカフェを行った。9人が集まった。有機農業研究会の久保田理事から、補足の説明を伺いながら、興味深い恐ろしい話をした。

私達が自由に自家採種して、作物を作ることが、禁止されるかもしれないと言う話だ。そんな馬鹿な。誰しもそう思うだろう。しかし、青天の霹靂、カナダの菜種農家パーシー・シュマイザーの畑は、勝手に飛んできた花粉の為に、モンサント社が作ったランドアップ耐性菜種が、交雑されてしまった。

シュマイザーさんは菜種の農家的育種家として、自家採種を繰り返してきた人だ。。モンサント社から、「あなたは我が社の特許である、ランドアップ耐性菜種を違法に栽培している。今後栽培を止め、栽培した生産物を我が社に提供しなさい。」こんな脅しを受けることになる。そんな馬鹿なことを、私が私の畑で、何故自家採種することが許されないのだ。誰しもが思う。

ところが、これが最高裁まで、争い裁判で負けてしまう。信じられますか。実はこれは遠い所の話ではない。神奈川県でもすでに、遺伝子組み換えの菜の花が見つかっている。こうした花粉が、どんどん広がっていることは間違いが無い。そして勝手に広げておいて、お宅はモンサント社の特許を侵害しているから、栽培を即座にやめ、我が社が生産物を頂きます。こうした訴訟を起こされるかも知れ無い。
これは食の未来どころか、現実なのだ。

アメリカはこのやり方で、世界の食料を支配しようとしている。日本の野生の山芋が優秀で特許がかけられていないから、これを先行して、特許にしてしまおうと言う発想なのだ。こんな馬鹿なことが起きているのだ。そもそも、自然界の生命体を、特許にするなど、あってはならないことだ。生命体は人間のために存在している訳では無い。

日本政府はこうした事態に対し、何を手をこまねいていたかと言えば、さすがに、そうでもなくて、「稲の遺伝子組み換え」作物に遅ればせながら、取り組んでいる。いい加減にして欲しい。お米では巻き返そうと、すでに実験栽培を繰り返している。神奈川県でも、農協の実験場で栽培しているのだ。昨年春には野外実験に切り替えようとした。しかし、このお米の花粉が飛んで来たらどうなる。農協が組合員の首を絞めていいのか、と大きな反発が起きて、野外栽培には切り替えられなかった。

勝手に、農協の田んぼで作っていた花粉が、飛んできて、お前のところの田んぼは特許を侵害しているから、罰金を払えと言う。そんな馬鹿げたことが、カナダでは起きてしまったのだ。モンサント社は日本での遺伝子作物の普及を、世界食料支配の鍵と考えて、小泉政権に対し、門戸開放を迫った。現状ではアメリカの大豆が、生産コストかっら見れば、優位なわけではない。世界戦略として、莫大な補助金を加え、世界各国の農業つぶしにかかっているのだ。カリブの天国ジャマイカなどは、アメリカの格安の農産物に支配されてしまい、自国の農業は崩壊した。

ブラジルはエコエネルギーのために、遺伝子組み換えを認めた。食べないのだから何でもいいということで、ジャングルを切り開いて、遺伝子組み換え作物を広げているのだ。一見緑の畑ではあるが、そのトオモロコシ以外は何も育たない、緑の砂漠となるのだ。

遺伝子組み換え作物は安全性で考える必要が無い。それより、農家の自家採種が許されなくなることが、一番恐ろしい。
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稲刈り、脱穀

2006-10-09 05:47:34 | 稲作
足柄平野では稲刈りが最盛期を迎えた。雨が続いていたので、中断していた稲刈りが一気に進む無だろう。昨日、今日と坊所田んぼの稲刈りだ。実は私は、参加が出来なかった。早朝に家を出て、水彩人の同人会があって参加できなかったのだ。今日は張り切ってやりたいと思う。

昨夜遅く、家に帰る途中田んぼに恐るおそる、寄って見た。きれいに半分稲刈りが終わっていた。満月の夜空から、降り注ぐ透明な光に、ハザ掛けした稲穂が、静かに眠っている。祭壇が田んぼに出来たようで、何とも有り難い光景だった。ぬかるんだ土が、一日の奮闘を表していた。これは大変なことだったと思う。人数を聞くと、7人の参加だったそうだ。今日もそれくらいで、やることになる。

隣の田んぼには猪が出たそうだ。ハザ掛けした稲をすっかり食べてしまったと嘆いていた。来年は借りていた田んぼを返すと言われていた。あの日陰の条件の悪い田んぼをどうしたらいいのだろう。私たちが借りたらどうかと言う事を、暗に言われているようだった。思案のしどころだ。そこは冬季湛水も出来ることはできる。そうしたら、猪のぬた場になるのだろうか。

早朝、東京に向かったのは水彩人の同人会議だ。10時から水彩人の新しい同人を迎える、集まりだった。青木伸一氏を新しい同人として迎えることになった。この同人の検討会議は最も重要な場なので、それは、激しい議論も交えて、真剣に行われた。このときに、各自の考えている、水彩人に対する思いが、集約されるので、意見も活発に出る。私は進行役だったので、皆さんの意見交換が上手く進むように専念したが、充分できたかどうか。

青木伸一さんは1951年生まれ、コンクールで活躍されている人だ。今まで、コンクール的な作家が居なかったので、この点では、大いに期待されるところだ。
次に決めたのが、招待する人達だ。毎年、各同人が推薦して、やはり相当の話し合いが行われ、決められる。これも議論が百出したが、何とかまとまった。稲刈りに出たかった。

小田原駅に、やっとたどり着いた具合で、お城の駐車場に向かって歩いていると、「おわら風の盆」と書いたものが目立つ。ああそうか、今日だったか。しかし、こういう他所の民俗芸能を、持ってくるのは、○○銀座リオのカーニバル、見たいでどうもいただけない。困ったものだ。などと思いながら歩いていた。あちこちに竹筒が結ばれ、ススキが生けられている。なるほど、あの人の感覚だな。等と思いながら、

すると例の胡弓の音が響いてきた。変に外れた、不思議な調子が聞こえる。フラフラとひきつけられて、人ごみをかき分けると、一気に魂が抜かれてしまった。その後、息も出来ないようにその美しさに、魅入られたままだった。その後自分がどうしていたのか記憶が無い。そのしぐさのさびしい美しさは、消え入りそうで、いたたまれないような動きだ。時々切れたように止まるときの呼吸が、息を飲む。動き出すとホゥと空気が変わる。いつの間にか終わって取り残されたようになっていた。

この気持ちのまま、田んぼに行ったので、田んぼの美しさが別の世界に見えたのだろう。いのちが帰ってくる、その葬列のように練り歩く、盆踊り。そして、いのちがふつふつと煮えたぎって、列を成しているハザ掛けの稲穂。どちらも満月の月光に照らされて、この世とあの世の行き帰りを、示していた。
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ピースデポは注目

2006-10-08 05:52:11 | Peace Cafe
昨日のシンポジュームでは3つの事が有機的に繋がるように話された。若干無理があった。一つが、遺伝子組み換え問題を安田節子さん。在日外国人のことを、島本篤エルネストさん、基地問題を田巻一彦さん。コーディネーターが佐久間智子さん

これらの事が、グローバリィズムの中でどのように起こっているかが、話されたのだ、と思う。大変難しい問題で、一言で感想なども言えない。アメリカの世界戦略の分析、と言うような事に結局はなったのか。アメリカが正義として、行っている事が、アメリカの利益に向かっての、グローバル化だ。と言うような視点で、3つが繋がっていた。

この辺のところを何とか解きほぐそう、その視点を神奈川という地域において考えようと言う事だったかと思う。安田さんには何度か講演をお聞きしているので、考え方は理解しているつもりだ。島本さんの講演で、興味を持ったのは外国人犯罪と在日外国人をつなげて考えようとするのは、意図があると。中国のすり団が、強盗を働くことと、在日中国人とは関係が無いこと。在日外国人の犯罪は、日本人の平均より少ないこと。不法残留が大半である事。これを凶悪犯罪と結び付けて、定着させようとしていることには意図を感ずると言われていた。

田巻さんの平和への道筋の話は、興味深い。是非ピースデポのホームページで、読んでもらいたいのですが、実に生活観のある、平和論で、ピースカフェともつながり、重要だと思う。「非核の傘論」は面白い。実に面白い。核の傘の安全性と、非核の傘の安全性の、軽重を論じているわけだ。

アメリカが、銃所持社会で銃犯罪を減らせない。銃所持を禁止した国は、やはり一歩進化した国だ。銃所持の論理と、軍備の思想とは繋がっている。そのアメリカが今行っている戦略の変更が、日本の基地再編に繋がっている。自治体が拒絶した、基地再編は行われたことは無い。だから、アメリカの世界戦略も、一自治体の例えば、岩国市の住民投票で、圧倒的多数で反対がされたことは、極めて有力だ。

11月の沖縄知事選で、野党統一候補の糸数けいこさんが当選すれば、基地再編は出来ないことになる。重要な選挙になる事。これは、神奈川県でも同様なことで、地方選挙が、市会議員の選挙であるからと言って、町会議員の選挙であるからと言って、アメリカの世界戦略と、密接に繋がっていることを忘れてならないこと。

つまり、「地域が変われば世界が変わる」この視点だと思う。若い人が多かった。あんなに天気のいい、土曜日に、暗い地下のスペースオルタで、こんな話を熱っぽくしている若者が居ると言うことも、驚くべき事だ。私は農の会の実践を話したわけだが、同じようなことをやってますよ。そういわれる人と沢山出会えた。
その人達の活動に、役に立つ情報が伝えられたか、どうか。少なくとも気持ちの上では、互いに励みになったことは確かだ。
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 農林水産大臣 松岡 利勝

2006-10-07 05:34:03 | Peace Cafe
松岡氏は鳥取大学の農学部を出て、農水省に入り、その後衆議院議員。生え抜きの大臣と言える。
我が国農業・農村は、農業従事者の減少や高齢化、グローバル化の中で大きな岐路に立っていますが、私としては、強い農業、世界に冠たる農業の実現を目指して、全力を尽くしてまいります。我が国の農林水産物は、世界の中で味や品質においてダントツに優れた特級品です。そのような強い「武器」を活かして、輸出促進の取組をさらに発展させてまいります。また、バイオマスの利用の取組を推進するとともに、農政改革の実施による担い手主体の経営構造の実現などに重点的に取り組み、農業・農村の持つ潜在能力を最大限に引き出し、農林水産業を戦略産業としていきます。

Q : 地元の農家からの具体的な要望とか、大臣に対する期待なんかあれば教えていただければと思います。
A: 今、ちょうど秋まきで、例の19年度から品目横断がいよいよ始まるんですが、この対象をずっと参加していただくように、現場でいろいろと努力と苦労しているんですが、だいたい良い進み方しているんではないかなという思いはいたしました。いろいろなかなか感情的にもすんなりさっといかない点もあるようですけれども、少しずつ、少しずつ進んでいるし、これなら目標はいけるんではないかなという期待は持ちましたね。だいぶ皆さんにも浸透してきた。これに入るのと入らないのではどう違うかということが良く分かって、なおこれから浸透すると思うので、期待してます。

これが、記者会見の応答である。理解できる人が居るであろうか。
農業の衰退傾向に歯止めがかからない。GDP(国内総生産)に占める農業の割合は、60年の9%から1%に減少した。しかも、これからOECDが計算した農業保護額を引けば、農業のGDPはゼロまたはマイナスになってしまう。農地の改廃が進む中で農業の規模拡大は遅々として進まないし、担い手は育ってこない。農業者は著しく高齢化し、65歳以上の農業者の比率は40年間で1割から6割へ上昇した。食料自給率は40%迄下がった。

そうした現状には全く触れない記者会見だ。「品目横断」というのは補助金の出し方の問題だ。どんな農家に補助金を直接払いするかという話だ。要するに、大きな農家を補助して、小さい農家にやめてもらって、生産効率を上げてゆこうと言う、最悪の政策のことだ。こんな政策が、農家に浸透するわけが無いのに、NHKなど躍起になって規模拡大での成功例を放映している。そうだ。

大半の農家に止めてくださいと言うのが、今の日本の農業政策だ。3年間猶予があるから、その間にやめるか、大きくやるかを選んべ、と言っている。足柄平野に4ヘクタール以上耕作している人はいるだろうか。私の知るところでは居ない。経営としては更に、足柄地域の農業は追い込まれる。では、中山間地はどうかと言えば、放棄が進むだけになる。いくら補助金を違う形で入れたところで、誇りのもてない仕事に、若い人が進むわけが無い。

では期待の企業参入や、集団営農はどうなるだろう。今までのところ成功例を盛んに強調はしているが、日本全体で見れば、更に耕作地が疲弊してゆくことになるだろう。補助等縁が無い。私たちのような、大半の農業者を淘汰して、何が出来ると考えているのだろうか。
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私たちの暮らしとグローバル経済 

2006-10-06 04:42:28 | あしがら農の会
<10/7 12:30開場 13:00開始>場所:スペースオルタ 新横浜
◆シンポジウム【 神奈川発:私たちの暮らしとグローバル経済 】
 パネリスト:「遺伝子組み換え食品と食の安全」
         安田 節子氏(食政策センター「ビジョン21」代表)
       「神奈川の軍事基地と経済」
         田巻 一彦氏(NPO法人ピースデポ・理事)
       「神奈川に住む在日外国人の現状と背景」
         島本 篤 エルネスト氏
        (多民族・多文化共生教育連絡協議会事務局長)
 
 コーディネーター:佐久間 智子氏
        (「環境・持続社会」研究センター(JACSES)理事)

 活動事例報告:NPO・あしがら農の会、かわさき生活クラブ生協、女
 性・市民信用組合設立準備会(WCC)、A SEED JAPANエコ貯金プロジェクト


明日新横浜であるシンポジュームです。農の会の活動について、報告して欲しいということで出かけてゆく。本来、若い人達に、こうした集まりに出て行ってもらいたいと、考えている。人との出会いが、とても大切だと思うからだ。農の会のことを、報告するとなると、一体どう説明すればいいだろう、と言うことでその全体を考える機会になる。その意味でも、私以外の人に参加してもらいたかった。

足柄平野から外には出ない。これをモットーにしている。よほどのことが無い限り、都会で行われる集会には出ないことにしている。キリが無いし、暮し方が違いすぎて、話があわないという事も多々ある。それと、おこがましい考えだが、足柄平野を充実させてゆきたい。この地域に暮しながら、活動をこの地域の外に置いている、有能な方々がいる。外の世界で、どんどん活躍できるのだからそれもいいが、結果、この地域内が手薄になる。

どんなにささやかであれ、この地域の中のことに専念したいと考えている。小野田さんのご意見にあったように、生活者として全ての事にかかわりたいと思っている。都会での集まりは、観念的になるから物足りない。地域での活動と言うのは、そんなこと言ったって、お前の庭は草だらけじゃないか。と言うところから話せるからいい。理屈だけの者は、通用しない。生活者は、だれでもせいかつしているのだから偽者は居ない。あるのは深いか、浅いかだ。

今回は、農の会で行われている、市民農の活動を話したいと思っている。「お茶の会」「田んぼの会」「大豆の会」「苗の会」この仕組みを、報告したいと思う。どの活動も何処でも可能な仕組みだと思う。ところが、実際には、ここまで市民自身が行う形では行われていない。
農の会の活動が本質に踏み込んでいるのは、最初から終わりまで、段取りの全てを、市民自ら行うところにある。「地場・旬・自給」を生活者の手に、取り戻すことがいかに簡単か。誰にでも出来るか。やらないのはやる気がないからであることを、主張してきたのが、農の会だと思っている。

実はこの一歩は、大きな一歩だ。この違いは、大きな違いだ。
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農業研修施設

2006-10-05 07:20:31 | あしがら農の会
農業研修と言うと「スワラジ学園」のことを考える。筧次郎さんの書かれた「百姓入門」に目を開かされたところがあり、筧さんのやられることにはずーと注目をしてきた。スワラジ学園の事は、色々のところで学ぶところがあった。私も私なりの、農業研修施設を作りたいと考えてきた。

いくつか、気付いている事がある。今の時代、有機農業で、大きくやられている方は、特別な能力を持った人だ。例えば福岡さんや、川口さん、のようにカリスマ性が強い。それが現れ方によっては、岡田茂吉さんのように、宗教に変わることも、紙一重と言えると思う。だから、一人の人から農業を学ぶことは、良く無い。学ぶには、学ぶ側が、自由に教える者を選ぶ必要がある。師を求めて、雲水するのがいい。

何処の研修施設に居た人も、当然そこの哲学に強く影響されている。気になるところだ。学ぶ者が、多数、多様な農業者から学べるような仕組みが、作れないか。と言って、農業大学校のような、技術的な指導も、やはり就農に際しては、限界がある。色が少ないのはいいにしても、実際の営農についての力にはなりにくい。

有機農業は簡単な技術ではない。自給レベルでは何とでもなるが、1家族が、20家族以上の食料を生産するとなると、体力的にも、知力的にも、感性の豊かさにおいても、よほど農業向きの能力を持った人以外、出来ないことだ。と言ってもそれは、別に農業だけでなく、どんな職業でも同じで、それ向きの能力が居るのだろう。

開成にある、吉田島農林高校は、創立100年だそうだが、農業者が必要で作った学校だそうだ。足柄平野で、立派な農業者を多数生んでいる。農業者自身が必要で作るような学校がいい。教える事は学ぶ事。自ら学ぶ為に、研修施設を作りたい。農の会の仲間も日に日に技術的進歩はしている。しかし、これでいいということは当然無い。これからと言う面もたくさんある。教えながら共に学ぶようなことは出来ないか。

自給自足の研究を深めてゆきたい。最小限の家を作り、そこに暮し、自給自足を自学できる。そんな場所を作りたい。そして、足柄平野で、立派な農業をされている農家に、手伝いに行きながら、様々なことを感じることが出来るような、仕組みを作りたい。例えば、小屋作りを学びたいなら、実際に何処で作るから出向いてゆく、堆肥を積むからと言えば、出かけてゆく。そんなネットワークを整備することは、農の会では可能になっている。始めて間もない就農者も居る。専業農家として、立派に営農されている顧問の方も居る。

多様に実践している人と、共に働かせてもらいながら、自分の農のあり方を探求する。そんな、研修施設を作りたい。
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千田代表の突然の辞任

2006-10-04 07:44:33 | あしがら農の会
昨年、11月 代表を交代して、2年間の予定で千田代表になった。私としては、肩の荷も下りたし、やっと普通の会のように、代表が代われるようになったということで、一歩前進だと思っていた。ところが一年を前にして、辞めたいと言われる。どういうことか全く理解できないでいる。

千田さんが代表になられて、就任挨拶で言われたことは、専業的農家を目指すものから、市民農の人達に会の運営を移すことが、自分の方針であるといわれていた。これは正直、考えてもいなかったことだったが、千田さんに代表をお願いした以上、その方針に沿って、何とかこのことが実現できるように、動いてきていた。

千田さんのほうからは、「市民農の人への運営の移行」具体策が出て来ないので、7月の定例会で、千田さんに「市民農の人が運営する」この意味を、説明して欲しいとお願いした。しかし、明確な意見ではなく。どうも専業の人は忙しいから、運営に関わっていられないという事のようだった。そこで、専業農家の人は、農の会で何をやることになるのだろう。こういうことが議論になり、今後も考えてゆこうということになっていた。

忙しい専業農家にという意識は、間違っていると思う。子供達だって忙しい時代だ。みんな等しく忙しい。何を選ぶかだけの問題だ。とかく自分が一番大変だと思ったら大間違いだ。農の会の活動の始まりは、農地を借りる事ができない。農産物の販売ができない。この解決の為にできたのだ。だから、生産者中心にいままでは運営されて来た。

ところが最近農地は誰でも借りられる。農産物の販売が順調になった。そこで、設立当初とは、状況の変化が起きた。新しく加わった人には、この点は全く違うと思う。農産物が不足するという状況になっている。これは農地の貸借にも及ぶ、5年前までは個人が農地を借りると言う事は難しかった。それが今では誰でも可能になっている。

ここで新たな農の会の活動の見直しが起こっているのだ。確かに、市民的参加者が、どのように会の運営に関わるか。実際の運営は今は、半々ぐらいだろう。会の運営は部会方式で動いている。田んぼの会、お茶の会、大豆の会、料理の会。こうしたものは、市民農の人が運営している。野菜の宅配、通信、は生産者が行っている。収穫祭などは、7:3ぐらいの割合か。

生産者は農の会にとって何を目指すのか。新規就農して、状況が安定したら、自立してゆく、というのがいいのか。野菜の共同宅配は、必要なのか。収穫祭はいらないのか。最小限の家の活動は、農の会から離れるべきなのか。

確かに、新規就農の生産者は生活が大変だ。これは大きく言えば、国の政策の為だ。努力では解決できないところがある。これを支えてゆこうという、気持ちが全体を包んで来たと思う。当然、この時代に新規就農する人は、誇り高いから、その気持ちも、みんなに大切にされていると思う。

研修生を導入すべき時だと、考えている。研修したいという要望はある。先ず寝泊りする場所を作る。その上で、各農場に要望に従い、又研修生の希望に従い、農作業をしてもらう。これが出来れば、農の会の生産者も助かるし、次代の農業者も育てる事ができる。
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安倍総理大臣の農業政策

2006-10-03 05:35:52 | Peace Cafe
国の最も基本となるものは食料だ。食料がなければ、戦争も起こる。平和に暮す、基本が食料だ。その食料を、60%輸入している国、日本は実に危うい状況にある。瑞穂の国も、いまや美しいとは言いがたい。そこで、新総理の農業政策に着目して、発言をたどった。殆ど無い。小泉前首相に、次いで農業音痴が、総理になったと言う事のようだ。

それでも2つだけ見つけた。愛媛の大規模水田の視察をした。北海道の街頭演説で総裁選での農産物輸出の奨励についての発言したそうだ。いずれも付け焼刃的で、適切なコメントが無い。一方、民主党の小沢代表は100%食糧自給を打ち出している。これもどうも参議院選挙向けに、打ち出したのではないかと、見られないことも無いが。つまり、今度の参議院選挙は、1人区が勝負になる。そこで農業地域が問題だ。農村に力を入れた政策をどちらが打ち出せるかが、選挙対策で問題となっているのだ。

安倍首相は、「美しい国・日本」をかかげ総裁選で勝利した。しかし、安倍氏が訴える「美しさ」とは全くはっきりしなかった。歴史認識もあいまいにしてきた、A級戦犯の戦争責任すら、何を言っているのか皆目理解できなかった。靖国神社に行ったけど、行ったと言わないのが、考えだそうだ。再チャレンジについても、「格差を固定化しないための再挑戦」であるとしていたが、現実にある格差についてはどのように考え、挑戦さえ出来ない状況にある人について、どう考えるのかはっきりした発言はなかった。政策を曖昧にする為に、美しい国を持ち出したと考えたほうがいい。

構造改革による「負の面」に対し、新保守主義的に、例えば共同体の再建や家族の意義づけなどを打ち出し、また、日本人=美しい国というアイデンティティに基づく、ナショナリズムの強調といった方向になっている。要するに、小泉構造改革の「負の面」を再チャレンジできる社会という、政策を掲げつつ、構造改革そのものも推進して行くという矛盾に満ちた政策体系になっているのである

小泉首相も一個2000円のりんごを輸出しろと、自由競争を強調した。安倍首相も、農業者にも再チャレンジできる、環境を提供するので、頑張って世界と競争しろと、言っているわけだ。しかし、近隣人口爆発諸国の、現状を冷静に考えてみるべきだ。すでに、中国は燃料の輸出余力はなくなった。食料が輸入に転ずるのも、そう遠くない。中国人とインド人が、アメリカ並みに肉を食べると。世界の食料は、今の42倍必要と言う計算があるそうだ。

食料を自由競争すべきと考えるのは、労働力を自由競争すべきということであり、結局は軍事力を競争すべきと考えること、同様のことになってゆく。食料自給が国の基本でなければならない。これはどのような政策を用いるとも実現しなくてはならない。それが、平和な国を作る基盤になる。食料は競争してはならない。競争しなくても、必死に作るのだ。

再チャレンジしろと言う事は、負け組みへの呼びかけだろう。競争に加われといっているわけだ。しかし、競争には常に負けがある。負けたものが居ない社会と言うのは無理にしても、競争に加わりたくない者がいることを認められる社会の方が、いいに決まっている。
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足柄の学校給食

2006-10-02 05:50:19 | 身辺雑記
地域農業の再生に、学校給食が重要では無いだろうか、と言う指摘があった。その通りだと思う。私も小田原の学校給食を考える会に入っている。この会では、学校給食の現状を調べた。
例えば、小田原の米飯給食が、週2回であること。このご飯は神奈川県の学校給食会から、炊飯したものを購入している事。これがパンより主食費として高くなる事。給食会はJA神奈川からお米を購入するが、産地については、混合してしまいわからなくなっている。

その他、いろいろのことがわかってきた。そこで、せめて全国平均の週3回の米飯給食実施を目指し、活動を始めた。これは食糧庁が以前には補助金を出したり、各自治体にアンケートをとったりして、何とか実現しようとしてきたことだ。また、JAの小田原も米飯推進を要望書として出している。これなら簡単に実現できると、動き出した。
JAと協力して進めようとしたが、何と拒否された。要望書まで出していながら、市民と共同して動く事を、避けたのだ。私も農協の一組合員であるが、こうした農協の姿勢には、全く失望している。

訳の分からない事が続出する。ご飯は製パン工場で炊いている。米飯給食への転換に際し、パン業者保護と言う事があるらしい。小田原では炊くところが、なくなる。シンプルに小田原市が、小田原農協から、お米を購入して、学校で炊飯し食べてもらう。これをすれば、随分安くなる。何故か、給食会が介在しないと、いけないことになっている。これは利権のようなもので、触らぬ神にたたりなしで、これに関わると、出来る事も出来なくなるなどと言う人も現れた。

全国には、炊飯器を各学校に置き、そこで炊いて、温かいご飯を食べてもらっているところもある。これなら子供達も、パンより美味しいと喜ぶ。ところが、小田原は調理そのものが、外注に成っていて、業者が作ると言うわけで、各学校にはそうした施設や、人の配置が無い。自校調理を止めて、センター調理にする。そしてセンターでの調理を、業者委託にする。こうした流れがあったのだ。遠く海老名のほうで炊いたご飯が届けられるのだから、味は落ちていた。

しかし、地域の農産物、水産物の利用が進められていないわけではない。サトイモ、アジハンバーグ、おでん、キュウイ。まだイベント的な利用で、散発的ではあるが、使ってゆこうという気持ちはある。地元のめだか米も給食で利用されたことがある。実は、お米の集荷は生産者別に積まれていて、今日は下大井の柏木さんのお米を、白山中学で食べます。こんなことが可能な状態で、鴨宮の低温倉庫に積まれている。

給食を考える会の代表のNさんがお産の為、活動が休止してきたが、先ずは、米飯給食を3回に、これはやらないといけないだろう。地域の農産物が、大切にされ、子供達の食事として学校で食べてもらえる事は、地域の生産者の気持ちが変わってくる。神奈川県では藤沢が一番給食問題の取り組みが進んでいて、食材を何処の誰が作ったものか、プリントが配られ、生徒は由来を知った上で食べられるようになっている。食べ物に大切なのは、物語だ。
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