入院していると食事とリハビリの他、やることがない。
勢い、本ばかり読んでいます。持ち込んだ本で間に合わず、家族に頼んだり本屋に注文したりして切れないようにしています。
「死の貝 日本住血吸虫症」を読みました。
これは夫の推薦です。
このような恐ろしい病気が最近まであったとは、全く知りませんでした。しかも、原因を突き止めたのが長野出身の医学者だったことも驚きでした。
原因不明の病気は、甲府盆地、岡山の片山地域、九州、広島など、限定された地域,それも農村地帯に発症したので地方病とよばれ、はじめは皮膚のただれ、そのうち下痢、痩せ細っていき、末期はおなかだけが異常にふくらんで死に至る、という経過をたどります。
また、幼少の頃に罹患すると成長が止まり、25才なのに10才以下にしか見えない写真もありました。
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といわれたくらい、一部落がなくなるほどの流行をしたそうです。
片山地域でこの病気とかかわってきた漢方医の藤井好直が、1847年に世に知らしめ助けを求めて書いた「片山記」から、やっと「安全宣言」が出された1990年まで100年以上の年月がかかりました。
原因の発見、撲滅するまでの駆除のための並々ならぬ努力が綴られた本でした。ノンフィクション作家の小林氏の調査の綿密さにも感服しました。
原因は寄生虫ミラジウムだった。しかし、寄生虫そのものが体内に入ることはない。媒介を通して体内に入ることもわかってきました。
媒介となったミヤイリ貝を発見したのが、長野県出身の医学者、宮入慶之助でした。その名を取って「ミヤイリガイ」です。
ミラジウムがミヤイリガイを媒介にして人間の体に入り込むと、たった1匹が3500個も産卵するそうで、肝臓も破壊してしまいます。
卵だらけのその糞尿が畑にまかれる。トイレのない家も多かった。
ミヤイリガイが生息する田んぼで働く農夫や子どもたちに瞬く間に病がとりついた。
病気をなくすにはミヤイリガイを無くすこと、と対策が始まりました。
甲府がブドウをはじめ果物が特産物であることと、日本住血吸虫症と関係があった。
つまり、一番猛烈に病が流行った地域でもあるし、ミヤイリガイの撲滅のために水田を果物畑に変えたのだと知りました。
ミヤイリガイは水がないと住めないからです。
中国やフィピンなどにもこの病は存在して、病気撲滅には日本が大きな役割を果たしたとのこと。
宮入慶之助は、実らなかったがノーベル賞受賞者に推薦されたほど、世界で高く評価されたそうです。
宮入慶之助の記念館が、長野市にあることも知りました。小さな記念館で、連絡があると開館するようです。
長野県人としても一度は見学に行かなくては、と思っているところです。