午前中は綱領学習会。
午後は、原田市議と連れ立って、染色家の小山仁郎さんを訪問し、懇談しました。
小山仁郎さんは、その道では名高い染色家です。わが地元、上野に住んでいます。
地元にも、すばらしい方がたくさん住んでいらっしゃるのですね。
今日の訪問の目的は、赤旗の地域版の東北部新聞の記事のためのインタビューでした。「この人(仮名)」のコーナーを作って、地元の皆さんに登場していただこうとの計画の、真っ先の登場していただく方です。
とっても気さくで、偉ぶらず、苦労してきた方だなあと、お人柄が伝わってきました。
小山仁郎さん 84才
小山さんは終戦後間もなく、画家を目指して上京しました。家が貧農で美術大学に行くことはかなわず、自力で道を開拓した方です。
小学校のころから、成績表の絵だけは、いつも秀でた評価をもらい、絵が好きでした。
家を出るときにお母さんが、ためておいたいくばくかのお金をわたしてくれたそうです。
絵を習っていた先生から紹介された、江戸友禅の専門家であった倉谷憲作氏従事、この道こそわが生き方と、染色家を目指すことになります。
友禅にろうを使って何度も染めなおし、立体感をつける方法を編み出しました。
着物だけでなく、屏風などの美術品をひろく手掛けてています。
これは見事で、私は感嘆の声をかげました。
作品のデザインが大変斬新で、美しいのです。
女優さんの着物もたくさん作ってきました。これは壇ふみさんですね。夕顔の花です。
下絵を広げて見せてくださいました。「下絵が一番の基礎」と。絵と違い、染め物は失敗が許されないので緊張する」そうです。
私が感銘したのは、58才の時の脳血栓で半身不随になり、猛烈なリハビリを2年続け、不自由な中でも作品に向かい合ってきたことです。
リハビリ時は功をなし、大具良くなられた様子です。
なんと、対策の大部分は、病気になった後の作品だというのです。
「病気にならなければこれだけの作品を残せなかっただろう」と言われます。
「どうしてですか?」の私の質問に応えて言われたのは、「困難があればこそ、何とかしてやろうと意欲が湧いた」でした。
感銘を受けた話がもう一つあります。
「草木染めからいろいろなことをおそわった。今が一番いい色が出る時だと、草が語りかけてくるような気がする。これは病気の時に学んだ。草木染めは自然が侵されるとできないものなんだ。平和でないとできなんだ」と言うことです。
現に以前住んでいたところは、浅川ダム建設のための車の排気ガスで、まったくうまく染まらない。仕方がないから引っ越したそうなのです。
小山さんは、東京にいた時には、九条の会でがんばっていた方です。
懇談の最後に「この地域では九条の会はあるのですか」との質問でした。「ご一緒にやりましょう!」
「作品をお貸しするから、地元の方に見せていただいても・・・」との申し出もありました。ぜひ、実現したいものです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます