中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

綱領学習会。染色家小山仁郎さんを訪問。

2014年10月08日 21時05分54秒 | 活動日誌

 

 午前中は綱領学習会。

 午後は、原田市議と連れ立って、染色家の小山仁郎さんを訪問し、懇談しました。

 

 

 小山仁郎さんは、その道では名高い染色家です。わが地元、上野に住んでいます。

 地元にも、すばらしい方がたくさん住んでいらっしゃるのですね。

 今日の訪問の目的は、赤旗の地域版の東北部新聞の記事のためのインタビューでした。「この人(仮名)」のコーナーを作って、地元の皆さんに登場していただこうとの計画の、真っ先の登場していただく方です。

 

 とっても気さくで、偉ぶらず、苦労してきた方だなあと、お人柄が伝わってきました。

 

小山仁郎さん 84才

 

  小山さんは終戦後間もなく、画家を目指して上京しました。家が貧農で美術大学に行くことはかなわず、自力で道を開拓した方です。

 小学校のころから、成績表の絵だけは、いつも秀でた評価をもらい、絵が好きでした。

 家を出るときにお母さんが、ためておいたいくばくかのお金をわたしてくれたそうです。

 絵を習っていた先生から紹介された、江戸友禅の専門家であった倉谷憲作氏従事、この道こそわが生き方と、染色家を目指すことになります。

 友禅にろうを使って何度も染めなおし、立体感をつける方法を編み出しました。

 着物だけでなく、屏風などの美術品をひろく手掛けてています。

 

これは見事で、私は感嘆の声をかげました。

作品のデザインが大変斬新で、美しいのです。

 

女優さんの着物もたくさん作ってきました。これは壇ふみさんですね。夕顔の花です。

 

下絵を広げて見せてくださいました。「下絵が一番の基礎」と。絵と違い、染め物は失敗が許されないので緊張する」そうです。

 

 私が感銘したのは、58才の時の脳血栓で半身不随になり、猛烈なリハビリを2年続け、不自由な中でも作品に向かい合ってきたことです。

 リハビリ時は功をなし、大具良くなられた様子です。

 なんと、対策の大部分は、病気になった後の作品だというのです。

 

 「病気にならなければこれだけの作品を残せなかっただろう」と言われます。

 「どうしてですか?」の私の質問に応えて言われたのは、「困難があればこそ、何とかしてやろうと意欲が湧いた」でした。

 

 感銘を受けた話がもう一つあります。

 「草木染めからいろいろなことをおそわった。今が一番いい色が出る時だと、草が語りかけてくるような気がする。これは病気の時に学んだ。草木染めは自然が侵されるとできないものなんだ。平和でないとできなんだ」と言うことです。

 現に以前住んでいたところは、浅川ダム建設のための車の排気ガスで、まったくうまく染まらない。仕方がないから引っ越したそうなのです。

 

 小山さんは、東京にいた時には、九条の会でがんばっていた方です。

 懇談の最後に「この地域では九条の会はあるのですか」との質問でした。「ご一緒にやりましょう!」

 

 「作品をお貸しするから、地元の方に見せていただいても・・・」との申し出もありました。ぜひ、実現したいものです。

 

 

 

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