(オダマキ 庭のを手折ってきてもらって描きました)
今週はごみ収集所の掃除当番が回ってきました。昨日から足の調子がいいので、初めて松葉杖で家の外へ出ました。6日ぶりです。いやあ、外はいいですね!
「どうしたのですか」とご近所の、会う方会う方に聞かれ、ちょっと恥ずかしくて困りました。スリッパは片方だけお父さんのでかいやつ、ギブスではいらないから。
さて、右翼改憲の国民会議が教育基本法改悪案を、「政府・与党より民主党案のほうがよい」、また「二大政党が歩調を揃えた」として、高く評価しているとの報道です。
右翼に評価されたというだけで、改悪案の中身がどんなものであるか、はっきりわかるというものです。
国の思い通りになる子どもを育てるために、国家介入が容易にできるないように改悪されていますが、民主党案もこの点では同じです。
日本の軍隊が、かつて中国やアジアで行った残虐極まりない行為、また、ここ数日連続して報道されているアメリカ軍のイラクでの民間人の虐殺問題など考える時、なぜそんなことができるかと、想像を越えます。
人を殺すことに無感覚にさせる軍隊の教育、そして上からの絶対的命令の服従と抑圧、個人の人格の否定が、ストレスとして飽和したとき、「やられたことをより弱いものにやり返す」凶暴性が現実化するのだと考えます。
私は、日本で起きている青少年の考えられない犯罪には、共通した原因があるのでは、と考えています。
原因を探るため、一つ一つの事件の個別の事情の調査は大事です。しかし、根っこにあるもの、それは、飽和したストレスではないでしょうか。
厳しい管理と競争の勉強、そこからくる友達関係、家族関係などの過度なストレスが、私たちが想像する以上にたまっているのです。
自分はだめだと、自己否定をせまられていること。助け合い、励ましあう人間関係の環境もできにくい。
そこに加えて、文化状況があります。ゲーム、ホラービデオ、・・性文化のゆがみ。
「国の介入」のほか教育基本法の改悪のもうひとつに、競争をあおる中身があります。学力テストの導入が狙われています。
国の介入をゆるし、競争をさらに激しくあおる改悪は、子どもを戦場に送りだすようになることはもちろん、誰もが心配している子どもの犯罪が増加する危険と、ほとんどの子どもたちの人間としての育ちのゆがみが、いっそう深刻化することは目にみえています。
村山士郎氏は著書「事件に走った子どもたち」のなかで、ストレスで相手は誰でも良かった、というとっさの犯罪から、子どもの傷はもっと深く、サディスチックにまでなってきており、いじめや犯罪そのものに快楽を求めるようになってきていると、指摘しています。
つまり、興奮して殴る蹴るをやったあと、普通はいったんさめるとまた興奮することはあまりないのに、一休みしてジュースなど飲み、、また興奮していじめを続けたり、殺した人間をなおも痛めつけるような行動にでるような現象がみられるというのです。
こどもは、その悲しみ、苦しみは何と深いものになって来ているのでしょう。
教育基本法は、何としても守らなければなりません。実施する教育改革こそが、いまやらなければならないことです。競争と管理の教育をただすことです。一人ひとりの心に手が届く教育が求められているのです。
それにしても、昨日の信濃毎日新聞の報道はひどいと思いました。
イラクでの米軍の民間人虐殺問題を、「殺され続け痛み感じず」との見出し、「遺体が連日ゴミ捨て場で・・いつものこと、死を考えなくなった・・」などと書き、そしてある教授の言葉を借りてこう結んでいます。
「政府指導者は、今、米軍が撤退すれば内戦になる、との見方で一致。」「市民は日々を生き抜くのに精一杯で反米行動が本格化する可能性は低い。」
赤旗ではどうでしょう。
見出しは「米軍の民間人虐殺、また発見、隠蔽に批判ひろがる」です。「ブッシュ大統領は、政府にとっても海兵隊にとっても大変困った問題だ、と認めました」とかいてあります。そして葬儀に集まったひとびとの悲しみの写真をのせています。
こうした日々のゆがめられた報道が、知らず知らずのうちに国民の心を麻痺させていくことを、私たちは警戒しなければいけませんし、だからこそ、赤旗の役割が今、とても重要だと思うのです。多くの方に読んでいただきたいです。
今週はごみ収集所の掃除当番が回ってきました。昨日から足の調子がいいので、初めて松葉杖で家の外へ出ました。6日ぶりです。いやあ、外はいいですね!
「どうしたのですか」とご近所の、会う方会う方に聞かれ、ちょっと恥ずかしくて困りました。スリッパは片方だけお父さんのでかいやつ、ギブスではいらないから。
さて、右翼改憲の国民会議が教育基本法改悪案を、「政府・与党より民主党案のほうがよい」、また「二大政党が歩調を揃えた」として、高く評価しているとの報道です。
右翼に評価されたというだけで、改悪案の中身がどんなものであるか、はっきりわかるというものです。
国の思い通りになる子どもを育てるために、国家介入が容易にできるないように改悪されていますが、民主党案もこの点では同じです。
日本の軍隊が、かつて中国やアジアで行った残虐極まりない行為、また、ここ数日連続して報道されているアメリカ軍のイラクでの民間人の虐殺問題など考える時、なぜそんなことができるかと、想像を越えます。
人を殺すことに無感覚にさせる軍隊の教育、そして上からの絶対的命令の服従と抑圧、個人の人格の否定が、ストレスとして飽和したとき、「やられたことをより弱いものにやり返す」凶暴性が現実化するのだと考えます。
私は、日本で起きている青少年の考えられない犯罪には、共通した原因があるのでは、と考えています。
原因を探るため、一つ一つの事件の個別の事情の調査は大事です。しかし、根っこにあるもの、それは、飽和したストレスではないでしょうか。
厳しい管理と競争の勉強、そこからくる友達関係、家族関係などの過度なストレスが、私たちが想像する以上にたまっているのです。
自分はだめだと、自己否定をせまられていること。助け合い、励ましあう人間関係の環境もできにくい。
そこに加えて、文化状況があります。ゲーム、ホラービデオ、・・性文化のゆがみ。
「国の介入」のほか教育基本法の改悪のもうひとつに、競争をあおる中身があります。学力テストの導入が狙われています。
国の介入をゆるし、競争をさらに激しくあおる改悪は、子どもを戦場に送りだすようになることはもちろん、誰もが心配している子どもの犯罪が増加する危険と、ほとんどの子どもたちの人間としての育ちのゆがみが、いっそう深刻化することは目にみえています。
村山士郎氏は著書「事件に走った子どもたち」のなかで、ストレスで相手は誰でも良かった、というとっさの犯罪から、子どもの傷はもっと深く、サディスチックにまでなってきており、いじめや犯罪そのものに快楽を求めるようになってきていると、指摘しています。
つまり、興奮して殴る蹴るをやったあと、普通はいったんさめるとまた興奮することはあまりないのに、一休みしてジュースなど飲み、、また興奮していじめを続けたり、殺した人間をなおも痛めつけるような行動にでるような現象がみられるというのです。
こどもは、その悲しみ、苦しみは何と深いものになって来ているのでしょう。
教育基本法は、何としても守らなければなりません。実施する教育改革こそが、いまやらなければならないことです。競争と管理の教育をただすことです。一人ひとりの心に手が届く教育が求められているのです。
それにしても、昨日の信濃毎日新聞の報道はひどいと思いました。
イラクでの米軍の民間人虐殺問題を、「殺され続け痛み感じず」との見出し、「遺体が連日ゴミ捨て場で・・いつものこと、死を考えなくなった・・」などと書き、そしてある教授の言葉を借りてこう結んでいます。
「政府指導者は、今、米軍が撤退すれば内戦になる、との見方で一致。」「市民は日々を生き抜くのに精一杯で反米行動が本格化する可能性は低い。」
赤旗ではどうでしょう。
見出しは「米軍の民間人虐殺、また発見、隠蔽に批判ひろがる」です。「ブッシュ大統領は、政府にとっても海兵隊にとっても大変困った問題だ、と認めました」とかいてあります。そして葬儀に集まったひとびとの悲しみの写真をのせています。
こうした日々のゆがめられた報道が、知らず知らずのうちに国民の心を麻痺させていくことを、私たちは警戒しなければいけませんし、だからこそ、赤旗の役割が今、とても重要だと思うのです。多くの方に読んでいただきたいです。
毎日のように報道される殺人事件、その度に「今の世の中、変な人が多い」と言ってしまいがちですが、彼らのような人間を生まないようにするためにはまず彼らの言い分を怒らずに聞いてあげる事が大事だと思います。
それと「昔の時代が良かった」からといって何でもカンでも昔のシステムに戻すべきではない事、自分の生きてきた時代の枠組みに強引に押し付けない事、人間は精神的・肉体的に強い人ばかりではないという事、などを考えながら彼らを更生させるようにする事が大事だと思います。