夏休み、盆休み。
私の子どもが小さな頃、旅行だのキャンプだの温泉だのには、そうそうは連れて行けなかった。
職員旅行には連れて行ったし、夏のうち一度くらいは海にも行ったし、山菜採りや虫取り、プールなどではよく遊んだが。
忙しかったこともあるが、今の若い方のように遊び慣れていなかったのだと思う。自分もそのように育ってきたから。
旅行などとんでもない贅沢なことで、早々簡単にいけるものではないと思っていた。
でも、実家の石巻には必ず帰省した。それが子どもたちの夏休みの楽しみだった。
当時は新幹線がなく、10時間くらいかかったのだろうか。
長時間の列車は子どもには負担だったから、長野から上野までか、上野から仙台までのどちらかを寝台車を使った。
あるときは、子どもが泣きじゃくってしまい、夫がずっとデッキであやし続けて眠れずに行ったこともあった。
父は孫が来るのが待ち遠しくて、何日も前から子どもの椅子やおもちゃを出して準備してくれていた。
でも、やっとたどり着いたときには、いつも照れて寝たふりをしていた。
私も胸を熱くしながら、「ありがとう」も言えずに知らん顔していました。
あの頃は長時間の列車の中であれこれ思い巡らし、胸を膨らまし、「ああ、帰ってきた!」との喜びがあふれるようだった。
今は2時間もあれば仙台についてしまう。思いが膨らむ前についてしまう。とても便利になった。
科学の進歩はめざましく人類の財産でもあるから、前に戻りたいとは思わないが、何か忘れ物をしたような気がしてならない。
我が家族は、孫ができてから、毎年、大勢で家族旅行をするようになった。周りを見ると、他の家族もお出かけで様々な過ごし方を楽しんでいます。
戦後の復興にがむしゃらに働いてきた世代と、その親に育てられた子どもの世代からの変化を感じます。
物質的にも、生活する上でも行動内容にも豊かになった一面があるが、しかし、本当に豊かか。
貧困と格差がますます激しく大きくなり、旅行どころか毎日の食事にも事欠く人が増えている。
給食で栄養を取っている子もいれば、給食費を払えない家庭もある。
長時間労働で低賃金、将来が見えず心も病む人も増えている。
カブトムシはデパートで買うものになっているし、長時間の旅でどんどん胸が膨らんできたような、心のときめきが様々なところで失われてきているように思う。
志位和夫さん著の「自由な時間と未来社会論」は、進んだ科学と高度な生産力のコントロールによってできる自由時間こそが人類の富、価値。人間の能力の開花の条件なのだ」とのマルクスの小難しい研究の経過をたどりながら、わかりやすく解説している。
新自由主義に決別をしようとの今の時代に、必読本だと思う。
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