昨日、東北部新聞の300号記念号の編集会議で、保存してある今までの新聞をながめました。
そうして驚いたことは、創刊号は何と!!1977年4月号でした。
私が29才のとき。
ちょうどその年の5月に長女が生まれたので、長女と同じく誕生したことになります。
それでも300号になったのですから、途中、紆余曲折あったことが容易に想像されます。
はじめは手書きでした。
私もお手伝いの前半は5ミリ方眼用紙に書き込みましたが、昔の文字を見て、「まあ、なんと美しい!」と自我自賛。
学生のころ、あるいは教員になってから毎日出していた学級通信「てのひら」時代は、懐かしいガリ版刷りでしたから、そのような文字を書くことには慣れていたのですね。
今は、あんなに小さな文字を書くのはしんどいですね。
パソコンでパンパンと原稿ができるのですから便利になりました。
原田さんから創刊した時の思いを聞きました。
「『新聞』とある様に、議員の活動報告だけはなく、地域の出来事を知らせようとの目的だったんだ」そうです。
まさに、赤旗地域版です。
今は、5ミリ方眼用紙の文字ほどの大きさでは読みにくいので、ポイントをあげました。
だから記事もたくさん入らなくなりました。いたし、かゆし。
記事を見ると、「PTAで活発な論議」など、地域のことに広く幅がある内容。
そして47年間、この地域で住民と共に頑張ってきた地域要求運動に目を向けると、
皐月保育園の建設運動
上野学童保育存続運動
苅田神社付近へのパチンコ店出店の中止をさせる
浅川ダム建設反対運動
土京川のホタルを守る会、住民自治協議会をも動かす
市民プール廃止反対、昭和の森を守る運動で要求が実現の
快挙
そして今は、交通(足)問題。などなど・・
あらためて、この新聞の重要性と値打ちを思い、かかわらせていただき光栄だと思いました。
継続は力。中断せぬように頑張りたい。
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