昨日のH保育園の4才児で、いいなと思ったこと。それは、自由時間の子どもの遊びです。
2人、3人とつるんで泥んここねたり団子つくったり、ああやろう、こうしようと声をかけあいながら夢中で遊んでいました。自我の育ちがみえました。
2才、3才は、あまのじゃくで、いたづらで、口答えして、絵本の「悪たれラルフ」みたい。
ほんとに「にくたらしい」と、どの親もカッカするとき。でも、「いや」って言えること、あまのじゃくが大事。「私はいやよ!私は私!」「いうことなんか聞くもんか!」
こうした自我がしっかり育ってきていると、4才児、5才児になって、自由時間にこそ自分のしたいことをする積極性が育っているものなんだなあと確認できますね。
自我の十分な育ちの上に、社会性がしっかりと育っていく。4才、5才になると、だんだん、人との折り合いをつけることができるようになる。一皮むけたなあ、と子育て経験者はみんな思ったことでしょう。
「こうしなさい」「ああしなさい」と型にはめて自我が押さえつけられるような経験が多いと、ちょっとまずいです。設定保育の時はうまくやれるのですが、解きはなたれると、どうしたらいいか困ってしまうのですね。
だから、見えているところでの「おりこうさん」だけでは、その子をつかめないのですよ。
最初に戻ると、だから自由あそびをしている子どもたちが頼もしく思えました。
小学校の教師をしていたとき、「20分休みこそ子どもの天国。放課後こそ子どものが育つとき」と考えていたことが、幼児とかかわるようになって、それが大切だと一層強く思うようになりました。
学校では管理教教育がますます詰まっているし、放課後をも塾やおならい事で埋め尽くすのは、いいことじゃないと私は思っているのです。
今無邪気に遊びほうけている子たちを、喜んで送り出せる学校であってほしい。