蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

フォン・ノイマンの哲学

2022年03月15日 | 本の感想
フォン・ノイマンの哲学(高橋昌一郎 講談社現代新書)

ハンガリー・ブタペストの裕福な家庭で育ったノイマンは、幼い頃から数学の才能を顕しベルリン大学を始めてとして様々な大学で傑出した業績をあげる。アメリカのプリンストン研究所に移ってからは、量子論、核兵器開発、ゲーム理論、コンピュータ開発など現代社会の主柱ともいえる分野で理論と実践の両面で活躍した。

本作のタイトルである「哲学」とは、著者によると
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科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。
ノイマンは、表面的には柔和で人当たりのよい天才科学者でありながら、内面の彼を貫いているのは「人間のフリをした悪魔」そのものの哲学といえる。
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これを読むと、ノイマンに批判的な内容なのかと見えてしまうのだが、実際は、上記の引用部分を除くと、ほぼノイマンの業績や人柄(このような天才にありがちな社会的破綻を起こすこともなく、例えば不完全性定理で有名なゲーデル(こちらはすごい変人だったらしい)をずっと擁護し続けた・・・等)を称賛している。
ノイマンが自著で「非人道主義」や「虚無主義」を唱えているわけでもなく、上記の「哲学」とは、単に著者の想像の産物に過ぎない。
それなのに「人間のフリをした悪魔」という副題まで付けてしまうのは、やり過ぎだと思う。

(ノイマンとの関係性は薄い人だが)エルデシュという数学者の生涯(膨大な論文を残したが金銭的欲望がなく、放浪の暮しを続けて)を紹介した部分が興味深かった。
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ミッドナイトスワン

2022年03月15日 | 映画の感想
ミッドナイトスワン

凪沙(草彅剛)は新宿のニューハーフショークラブに勤めるトランスジェンダー。育児放棄状態の姪を実家(広島)からしばらく預かるように頼まれいやいや引き受ける。同居することになった一果(服部樹咲)はバレエに興味を持ち近所の教室に通うようになる。そこで知り合ったりん(上野鈴華)は成金の娘でアブないバイトを紹介してくれる。一果にはバレエの才能があり、教室の先生は本格的なレッスンを勧めるが・・・という話。

凪沙と一果の間に芽生える擬似的な親子関係、凪沙のトランスジェンダーとしての苦悩を中心に話は進む。
そこの筋立ては平凡なものだが、サイドストーリーとしての一果とりん、凪沙と瑞貴(ショークラブの同僚)の友情話がうまく絡んで趣深いストーリーになっていた。(特に、りんの静かな苦悩みたいなものがうまく表現されていたと思う)

凪沙役の草薙さん、一果役の服部さん(本作がデビュー。バレエは本格的)ともに、前半までは芝居がたどたどしい感じだったのが、話が進むにつれて本当に心が通い合っているような感覚が現れてきて、感動を呼んだ。

既に大きな賞も受賞して、評判が高い映画だが、あらためて見てよかったと思える素晴らしい作品だった。
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