フォン・ノイマンの哲学(高橋昌一郎 講談社現代新書)
ハンガリー・ブタペストの裕福な家庭で育ったノイマンは、幼い頃から数学の才能を顕しベルリン大学を始めてとして様々な大学で傑出した業績をあげる。アメリカのプリンストン研究所に移ってからは、量子論、核兵器開発、ゲーム理論、コンピュータ開発など現代社会の主柱ともいえる分野で理論と実践の両面で活躍した。
本作のタイトルである「哲学」とは、著者によると
***
科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。
ノイマンは、表面的には柔和で人当たりのよい天才科学者でありながら、内面の彼を貫いているのは「人間のフリをした悪魔」そのものの哲学といえる。
***
これを読むと、ノイマンに批判的な内容なのかと見えてしまうのだが、実際は、上記の引用部分を除くと、ほぼノイマンの業績や人柄(このような天才にありがちな社会的破綻を起こすこともなく、例えば不完全性定理で有名なゲーデル(こちらはすごい変人だったらしい)をずっと擁護し続けた・・・等)を称賛している。
ノイマンが自著で「非人道主義」や「虚無主義」を唱えているわけでもなく、上記の「哲学」とは、単に著者の想像の産物に過ぎない。
それなのに「人間のフリをした悪魔」という副題まで付けてしまうのは、やり過ぎだと思う。
(ノイマンとの関係性は薄い人だが)エルデシュという数学者の生涯(膨大な論文を残したが金銭的欲望がなく、放浪の暮しを続けて)を紹介した部分が興味深かった。
ハンガリー・ブタペストの裕福な家庭で育ったノイマンは、幼い頃から数学の才能を顕しベルリン大学を始めてとして様々な大学で傑出した業績をあげる。アメリカのプリンストン研究所に移ってからは、量子論、核兵器開発、ゲーム理論、コンピュータ開発など現代社会の主柱ともいえる分野で理論と実践の両面で活躍した。
本作のタイトルである「哲学」とは、著者によると
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科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。
ノイマンは、表面的には柔和で人当たりのよい天才科学者でありながら、内面の彼を貫いているのは「人間のフリをした悪魔」そのものの哲学といえる。
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これを読むと、ノイマンに批判的な内容なのかと見えてしまうのだが、実際は、上記の引用部分を除くと、ほぼノイマンの業績や人柄(このような天才にありがちな社会的破綻を起こすこともなく、例えば不完全性定理で有名なゲーデル(こちらはすごい変人だったらしい)をずっと擁護し続けた・・・等)を称賛している。
ノイマンが自著で「非人道主義」や「虚無主義」を唱えているわけでもなく、上記の「哲学」とは、単に著者の想像の産物に過ぎない。
それなのに「人間のフリをした悪魔」という副題まで付けてしまうのは、やり過ぎだと思う。
(ノイマンとの関係性は薄い人だが)エルデシュという数学者の生涯(膨大な論文を残したが金銭的欲望がなく、放浪の暮しを続けて)を紹介した部分が興味深かった。