蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ゲティ家の身代金

2019年08月12日 | 映画の感想
ゲティ家の身代金

1973年に起こった、石油業で財を成した大富豪ポール・ゲティの孫の誘拐事件を描く。

ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)は、自らの節税のために設立した財団で高額な美術品を買ったりすることにはカネを惜しまないが、それ以外については吝嗇そのもの。
孫(ポール3世)が誘拐されて身代金を要求されても、簡単には払おうとはしない。そのかわり側近で元CIAのチェイスを交渉人にして犯人との落としどころをさぐろうとする。しかし、なかなか進展せず、孫はもともとの実行犯からマフィアの手に渡ってしまい、ついに孫の耳が切り取られて送られてくる。

ストーリーは、ポール3世の母親:アビゲイル(ミシェル・ウイリアムズ)とチェイス(マーク・ウォルバーグ)を中心に進むが、本当の主人公は大富豪本人で、強欲でケチだけではない側面をチラチラとほのめかすように表現されているところが、うまいなあ、と思えた。

本当はこの役のキャストはケビン・スペイシーだったそうだが、セクハラ問題でクリストファー・プラマーに交代して撮り直したそうである。
うーん、つるんとした感じのケビン・スペイシーより、顔のしわに大富豪ならではの苦悩が刻み込まれたかのようなプラマーの方が似合っていたなあ。

あと、アビゲイル役の人もよかった。ダメ夫と出来すぎ義父にはさまれてストレスを募らすあたりが、特に。
そのアビゲイルがやたらと煙草をふかすのは時代を感じさせたけど。(何しろ旅客機の中でも皆プカプカふかしているのだから・・・時代は変わったなあ)
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ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ

2019年08月12日 | 映画の感想
ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ

カンザスのスーパーマーケットで自爆テロが起こり、中東系のテロリストとメキシコの麻薬カルテルとの連携を疑ったCIAは、マット(ジョシュ・ブローリン)にカルテルの殲滅を命じる。マットは、カルテルの組織間に紛争を起こさせようと、組織のボスの娘を学校から誘拐して対抗組織の仕業に見せかけようとするが・・・という話。

うーん、全体として面白いし、あまりいもえげつなく、かつ、超ハイテクなCIAの内情も興味深い(でも現実にここまでのレベルでハイテクだとは思えない)のだが、傑作の誉れ高い前作と比べると、なんというか、普通のエンタテイメント、って感じなんですよねえ。

前作では、マットやアレハンドロ(デル・トロ)の謎めいた雰囲気や、主人公の女性捜査官がいくらがんばっても彼らの掌の上で転がされているだけだった、という、(主人公に同化している)観ている側を裏切るようなクールな展開がよかったんだけど、本作はそういうひねりがなくて、直線的な筋書きいなっちゃっているような気がした。
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天気の子(映画)

2019年08月12日 | 映画の感想
天気の子(映画)

16歳の主人公:帆高は、離島の実家から東京へ家出する。フェリーの中で知り合ったフリーライターの男(須賀)を訪ねて下働きに雇ってもらう。
繁華街で知り合いにあった陽菜は、祈れば雨模様の天気を晴れに変えることができる特殊な能力を持っていた。二人はその能力を生かしてカネ儲けを試みる。おりしも東京は長期間にわたる雨降りが続いており、「晴れ女」の商売はとても感謝されるが・・・という話。

主人公が16歳、陽菜もほぼ同年齢で、これまでの新海監督の作品と比べると、筋も単純でわかりやすいので、やや低めの年齢層を狙っているのか?とも思えた。もっとも(私が見た)公開2週目でも満席の映画館のほとんどは大人で埋まったいたけど・・・

事実上みなし児の陽菜とその弟:凪のつつましい生活や、帆高と3人で行き当たりばったりの逃避行に追い込まれるシーンは、(貧乏くさい話が好きな私の)好みのド真中を突いていた。特にやっともぐりこんだラブホテルで部屋に備え付けの(とても値段が高い)ジャンクフードを3人で食べカラオケで刹那的に盛り上がる場面が、深い哀しみを秘めていてジーンときた。

掃きだめにツル的な凪(小学生だが、とてもマセていて複数のカノジョを自在に操る)のキャラ立ちがすごくて、現在と未来のカレが主役のスピンオフとか作ってくれないかなあ(あるいは次回作の主人公にするとか)などと思った。

いつもの新海作品のように、電車や駅を描いたなんでもないシーンが妙にビビットに感情を刺激してくるのだが、本作では船(帆高が乗るフェリー等)の描写も新鮮で、印象に起こった。

東京では6~7月にかけて2カ月近くも雨模様の日が続いて、まさに本作の設定そのままのような天候だったので、観客は「晴れ女」のありがたみに共感しやすい状態になっていて本作に入れ込みやすかったと思う。新海監督、運も強いね??
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劣化するオッサン社会の処方箋

2019年08月12日 | 本の感想
劣化するオッサン社会の処方箋(山口周 光文社新書)

変化の激しい現代社会においては、経験の豊富さはデメリットにしかならず、年功によって企業の幹部となっている中高年のベテラン(オッサン)は頼りにならない。オピニオン(反抗)とエグジット(転職)によってオッサンに圧力をかけるべき。そのために転職できる能力(モビリティ)を身につけるべし、というのが主旨。

本書を読んでみようと思ったのは、著者が日経に寄稿した記事(役にたたないモノが売れる)が面白かったからなのだが、本書の内容は挑発的なタイトルとは裏腹に、ありきたりかなあ、と思えた。

成功した組織(企業や国家)は、成功したがゆえに肥大化し、硬直化するのは、現代日本だけに見られることではないし、企業の破綻や、戦争、革命といったことでもないと、ゆるやかに衰退するしかないのは、宿命だろう。
過去の人類史のどこにもないような安全で安定的な社会に住む今の日本人が戦争や革命を望むはずがない。快適な大企業の部長のイスに座っているオッサンが現状を変えようとするはずがないじゃないですか。それに今時の若い日本人はオッサン以上に安定志向だぞ。私の見る限り。
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数学する人生

2019年08月12日 | 本の感想
数学する人生(岡潔 森田真生編 新潮社)

戦前から戦後期に活躍し、世界的数学者とされる著者の講演やエッセイを集めた本。

「世にも美しき数学者たちの日常」(二宮敦人)という本によると岡の数学は例えるなら鶴亀算のような数学らしい。鶴亀算のようでない数学とは連立方程式で解くような数学とのことで、方程式というのは解く力が非常に強くて誰にも扱いやすいのだが、岡はこうした数学には批判的だったそうだ。

本書では数学らしき話は全く出てこなくて、著者が強調するのは「情緒」の大切さである。「情緒とは何か」という章もあるのだが、読んでいてもその定義はさっぱり理解できない。
「全体としての情と、その中の森羅万象の一つ一つとしての情と、いい分けないと不便です。ですから松から松、竹なら竹という、個々の情を私は情緒といっている。いつのはどれか、「情」と「情緒」を、こんなふうに使い分けているのです」(P36)

将棋の考え方というのは数学だそうで、プロの棋士は数学や物理が得意(というか勉強しなくてもできる)だった人が多いらしい。しかし、素人には将棋のどこが数学なのかさっぱりわからない。
だから、数学とは思えない著者の言葉も読む人が読めば、数学なのかもしれない。

「数学の本質は禅師と同じであって、主体である法(自分)が客体である法(まだ見えない研究対象)に関心を集め続けてやめないのである。そうすると客体の法が次第に(最も広い意味において)姿を現わにするのです」(P109)
うーん、このあたりはちょっと数学っぽい??
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