あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

植木の町 安行周辺と見沼通船堀を歩く(埼玉・川口/さいたま)

2018-07-12 09:48:05 | カントリーウオーク
 2018年7月8日(日)

 西日本11府県に大雨特別警報の出た天気は回復したが、被害は拡大している最中の今
日、カントリーウオークグループの第255回例会に参加した。


 集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行(とづかあんぎょう)駅。地下の改札口を出た近くに、
このような駅には珍しい椅子とテーブルが用意されている。


 地上に出て、10時8分にスタートした。


 == 安行の樹木畑の間を花と緑の振興センターへ ==

 地下の改札口から地上に上がり、まずはどの方向に向かうか確認する。西進して県道
103号を南東へ少し、西立野の住宅地の旧道を進んで西福寺に入る。

 西福寺は、弘仁年間(810~24)に弘法大師が創建したと伝わる古寺。境内の三重
塔は、3代将軍家光の長女千代姫が奉建したものとか。高さ33mあり、県内で一番高い
木造建造物だという。
     
  

 正面の観音堂には西国、板東、秩父札所の百の観音像が安置され、参拝すれば百か所の
観音霊場を参詣したと同じ功徳があるとされるので、皆で参拝した。

       
 境内にはほかに、大きな常念観世音菩薩立像↑や延命地蔵堂、鐘楼童、川口市保存樹木
のチャボヒバの高木↓などがある。
  


 植木畑や樹木園の多い一帯を南南東へ。東京外環道川口東ICの東で外環道の下を横断
し、さらに少しで安行氷川神社に寄る。
     
 拝殿は元禄13(1700)年の造営とか。参道の狛犬のうち右の一つは、東日本大震
災で倒れたのか、頭が欠けて横になっていた。
       


 こちらも沿道には樹木畑が多く、造園業者の看板もいくつか見られる。安行領家の細い
十字路際には、りっぱな犬猫之墓が立っていた。
     

     
 県道103号を横断して興禅院に入る。興禅院は、天文15(1546)年創建の曹洞
宗の寺院。境内は豊富な樹林に覆われていて、暑さを忘れさせてくれる。




       
 本堂前にキキョウやアジサイなどが咲き、左手お地蔵さんの横を進むと、墓地際の大き
なスダジイの下部のほこらに包まれるように、「抱かれ地蔵」が祭られている。
     

         
 20~30年前に石屋さんが、お地蔵さんをスダジイの根元に動かしたところ、木が生
長して取り囲んでしまったのだという。


 庫裡(くり)の横からアジサイの咲き残る道を背後の斜面林を下ると、小さい池に弁財
天が祭られ、その先の周遊路には十三仏の観音像が配置されていた。




 うっそうと茂る斜面林はここが川口市内とは思えぬ様相で、「川口市野鳥の森」になっ
ている。
     

 寺域は「安行八景」に選定され、春の桜、秋の彼岸花と紅葉、ほかにアジサイ、シャク
ナゲなど季節ごとに花の名所になるようだ。

 県道の西側に回り、県の「花と緑の振興センター」の正門を入る。

 センターは、植木や果樹などの生産出荷の指導、盆栽等の輸出振興などに努めており、
約2.3㏊に約4,600本、2,000種の植物を展示していて、四季折々の草花が楽し
めるという(入園無料)。


 本館に入り背後に抜けて、池の周辺に咲く花や、実の大きくなったブルーベリーなどを
眺める。
         

    



 県道をまたぐ歩道橋で東側に回り、日本庭園の先にあったベンチのところに正午ちょう
どに着き、昼食にした。


 == 新井宿からバスに乗り見沼通船堀を東浦和へ ==
 
 記念撮影とミーティングをして、13時過ぎに午後のコースに向かう。


 犬猫の墓のある交差点まで戻って南東へ、交差点の南側の家はかやぶき屋根だった。


 中道西集落でV字状に折り返してさらに南へ。「川口市野鳥の森」になっている、うっ
そうとした木々に覆われた長い参道を東側から入り、金剛寺に行く。


       
 かやぶきの山門の手前には、大きな「植木の開祖 吉田権之丞翁記念碑」が立っていた。
安行苗木の開発者で、墓地にある墓は県指定旧跡になっているようだ。


 山門近くには、市の保存樹木に指定されたキャラボクの古木がある。


 金剛寺は、越生町(おごせまち)の龍穏寺(りゅうおんじ)の末寺で、室町中期の明応
5(1496)年に、この地を支配していた豪族、中田安斉入道安行(やすゆき)により
開創されたとか。この人の名が、当地安行(あんぎょう)の地名の由来になったと伝えら
れているという。

 江戸時代、3代将軍家光から御朱印10石を賜り、門派は10数か寺に及んだよう。山
門は約400年前の構築で、市内最古の棟門とのこと。正面の大本堂に参拝後、古木のフ
ジ棚の下で小休止した。


 南下して安行吉岡交差点でV字状に折り返し、首都高川口線の側道を北西へ。路傍の畑
にブルーベリーが実り、近くにはブラックベリーだろうか、赤い実もたくさんある。
    

        
  
 安行慈林交差点で西側の旧道に回るが地図上の抜け道が無く、首都高の側道に戻る。赤
山交差点で左折して県道101号に入り、すぐ横のグランド際の木陰で小休止して水分補
給する。


 源長寺上知集落の中ほどに「摂政宮殿下御小憩所」碑が立っていた。
     
 大正13(1924)年3月26日、摂政宮(後の昭和天皇)が越谷鴨場に行啓した際、
小休止した場所のようだ。隣の民家の前に、熊を形取った植木が並んでいた。



 新井宿駅バス停に14時26分に着き、14時46分発東浦和駅行きバスに乗る。

 戸塚安行駅方面から伸びる県道103号の、木曽呂バス停で14時57分に下車した。

 少し先で見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)の山口橋を渡る。橋際には
赤鳥居の稲荷神社が祭られていた。

 寛政3(1791)年に京都伏見大社から分霊されたよう。


 見沼代用水東縁沿い↑を北にすぐ、東西の見沼代用水と中間の芝川とを結ぶ見沼通船堀
の東縁東端へ。そばの休憩舎に、通船堀や見沼開拓と見沼代用水路の説明パネルがある。

 見沼通船堀は、享保16(1731)年に井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)
によりつくられたわが国最古とされる閘門(こうもん)式運河。

 東西の代用水路と芝川戸との水位差が3mあるので関を設け、水位を調節して船を上下
させ、周辺の村々から江戸への年貢米輸送などに利用したという。

 そばに近年復元したらしい関があるが、水は涸れていた。少し進むと水が流れていたが
流量は僅かである。


 芝川の左岸に出ると、南側の県道際に水神社がある。水神社は、享保17(1732)
年の創建とか。この周辺には河川輸送に携わる人たちが住んでおり、水難防止を祈願して
祭ったという。
     

 神社の西側には、井沢弥惣兵衛に従い見沼開拓事業に参加し、完成後は幕府から通船堀
の差配役に任じられた鈴木家住宅があり、現在は国指定史跡となっている。



 主屋(おもや)以外は公開されていたので主屋の背後に回り、納屋と米蔵、別の建物に
展示されていた「ひらたぶね」の復元模型を観覧する。



 芝川右岸↑に戻り、通船堀の西縁を進む。こちらの方が樹木が多く、暑い日差しを遮っ
てくれる。
     

     
 西端近くまで進んで流れの南に回り、竹林の間の遊歩道を行く。
        
  
     
 西端にある竹林公園で通船堀西縁が終わり、南北に流れる↑見沼代用水西縁を少し北へ、
ゴールのJR武蔵野線の東浦和駅に15時56分に着いた。


 この日のさいたま市の最高気温は、ゴール間近い15時42分に32.5℃。熱中症に
はならなかったがかなりの倦怠感だったので、散会後すぐに帰途につく。

(参加 13人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 川口市、
 さいたま市緑区、歩数 20,300)






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コメント (2)
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