あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

浦和美園駅の北西部をカントリーウオーク(埼玉)

2015-09-22 10:43:36 | カタツムリ歩行
 2015年9月20日(日)

 爽やかな好天に恵まれた連休初めの日曜日、「続カタツムリ歩行」の第27回例会に参
加した。9時58分に埼玉高速鉄道の終点、浦和美園駅西口をスタートする。


 駅の北西1㎞余りのところには、日本サッカーリーグ1部で昨年惜しくも優勝を逃がし
て2位だった、浦和レッズのホームスタジアムである「埼玉スタジアム2002」があり、
マンホールの蓋(ふた)のデザインはサッカーボール。
    

 駅の周辺一帯は大規模な開発が行われていて、新しい道路が出来つつあり、12年前の
平成15年(2003)更新の地形図では現地確認がしにくい。

 駅の西側、下野田の集落を国道463号際まで進み、新しい道路と古くからの道とを結
んでまずは最寄りの円徳寺へ。


 本堂前の道路際に、宝暦11年(1761)銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が金
網で保護されて立っていた。
        

 すぐ近くの、北西側にある稲荷大明神に回る。参道入口に天保5年(1834)銘で道
しるべにもなっている庚申塔があり、側面には北いわつき二里、こしがや二里、南はとが
や二里、西 原市三里と刻まれていた。
        

 その横を上がって小ぶりの拝殿に参拝する。


 拝殿の近くには、境内の樹木から落ちたタネから芽を伸ばしたらしい、カシだろうか若
芽が育っている。
        

 神社の北東近くにあった新築の民家。区画整理で建て替えたのかもしれない。


 近くの植栽業らしい小久保園の前に、にこやかな布袋様が立っていた。
     
 
 西側を走る東北自動車道の浦和ICの北側そばの重殿社に向かうが、古くからの道路は
区画整理で分からなくなっていて、東側からぐるっと回るも、土盛りされていて柵があり
西側に行く道が無い。

 北側に、埼玉スタジアムが望まれる。


 下に道が見えたので、胸の辺りまで茂った雑草地を突っ切って下の道に出た。


 西に回ると重殿社(じゅうどのしゃ)の鳥居があり、その傍らに3基の庚申塔が並んで
いた。両側の2つには弘化3年(1846)と刻まれている。
    

 鳥居をくぐり、正面の拝殿に参拝した。重殿社は「風土記稿」中野田村の項に、『明照
寺境内に「重殿権現社」あり、村の鎮守である』ことが記されているとか。明照寺は、当
地を領していた春日八郎景定が中興したと伝わることから、景定が没した元和元年(1615)
以前には、祭られていたことが分かるという。

 背後の本殿は、さいたま市指定有形文化財だが、覆い屋の中で見ることはできない。

 本殿の右手手前には摂社があるが、何の神社なのかは分からなかった。
      

 すぐ北側がその明照寺。重殿社側に墓地があり、ヒガンバナが見頃。


 明照寺には山門はないが、新しい仁王像が迎えてくれた。


 境内には新しい石像が多く、本堂前の一角には七福神が並ぶ。


 北側に見えるのが中野田不動堂。明照寺から造成地を突っ切って真っ直ぐに行く。

 天明6年(1786)の建立で、やはりさいたま市指定有形文化財。言い伝えでは、浅
間山の噴火で逃れてきた大工が建てた、と伝えられているという。

 中野田集落の一帯も開発が進められていて、新しい道路も出来つつあるが、りっぱな屋
敷林の農家も残っていた。


 中野田集落の北部から、東側の玄蕃新田(げんばしんでん)集落を抜けて綾瀬川の向こ
う、尾ヶ崎新田の正福寺を目指す。


 浦和美園駅の北西に延びた埼玉高速鉄道の車両基地の北側を通過した先に、新しい広い
道路↑が東北に向かって延び、交差点際にこの辺り一帯の開発事業が「みそのウィングシ
ティ」という名の新しい街づくりであることを示す地図があった。

 開発が終了後は、浦和美園駅を中心に大規模な住宅地になることが想定されるが、古く
からの寺社や農家はどうなるのだろうかと少し気になる。

 新しい道路を綾瀬川↓の少し先まで行ったが、次の交差点周辺まで開発中で、正福寺ら
しいのは見えない。時間と残りの距離を考慮して行くのは止めて、埼玉スタジアム周辺を
回ってゴールを目指すことにした。


 手前の十字路を右折して北西へ、造成地の向こうに埼玉スタジアムが近づく。

 埼玉スタジアム2002は、2002年のFIFAワールドカップ開催のために造られ
たサッカースタジアムで、国内の球技専用競技場としては最大の63,700人を収容で
き、浦和レッズ主催の試合では、2002年から2014年まで、年間の1試合平均観客
数は33,000~50,000人余りになっているという。

 埼玉スタジアムの東側には、大きな調整池が設けられていた。


 調整池の横を進んでスタジアムの北門から構内に入ると、こんなモニュメントが立って
いる。
     

 スタジアムの北東側にはサブグランドがあり、練習試合を応援する人達が観戦していた。


 サブグランド横から北西に回り、カインズホームの建物の先で東北自動車道を跨道橋で
越えて東北道の西側の寺山集落へ。すぐ先、北斜面の急石段上に足立神社が祭られていた。


 さらに200mほどで、今日のゴール天神社(天満宮)に12時6分に着いた。

 天神社は江戸時代初期に創建されたと推測され、明治6年(1873)に寺山村の村社
となり、現在の本殿の改築と拝殿の新築は明治32年(1899)に行われたとようで、
祭神は菅原道真公である。

 気温が28℃前後まで上がって暑いので、強い日射しを避けて拝殿西側の濡れ縁で昼食
をする。そばに、30貫500匁(約114㎏)の力石が無造作に放置されていた。
        

 食事を終えてミーティングを。今日は初参加の方が4人もおられ、感想などを話してい
ただく。

 ほかに、79歳のKさんが11月初めにF市でコンサートを開催されること、M市のK
さんは市の文化会館で絵画展を開催予定であることなどが紹介され、皆さんの活動に元気
をもらい、13時8分に散会した。

(天気 晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市緑区)


 私はこの後、もらった地図上で午前中回らなかった東北自動車道西側のエリアを回るこ
とにした。そのレポートは次回とする。



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