あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

葉山の「山口逢春記念館」と「神奈川県立近代美術館」へ

2015-05-01 18:32:33 | 美術館・博物館等の観覧
 2015年4月30日(木)

 今日は、夏日にはなりそうにないので、三浦半島西岸にある2つの美術館の観覧に出か
けました。

 横浜駅までは、西武池袋線から東京メトロ副都心線経由、東急東横線直通の電車で行き、
京浜急行線に乗り換えて、10時27分に新逗子駅に着きました。


 駅前から葉山行きバスに乗り、三ヶ丘・県立近代美術館前バス停で下車して、住宅地の
斜面を北に少し上がり、最初に「山口逢春(やまぐちほうしゅん)記念館」に行きました。

 こちらが記念館の入口

 山口逢春記念館は、日本画家・山口逢春(1893~1971)が亡くなるまでの23
年間を過ごした旧山口邸にて、逢春の日本画をはじめ、素描、模写、逢春が長年にわたり
収集したコレクションなどを展示しているほか、建築家・吉田五十八が設計した画室も当
時のままの状態で公開しています。

 現在は春季特別展として、5月31日(日)まで「山口逢春の琳派(りんぱ)研究-琳
派四百年記念によせて-」を開催中です。
      
      (特別展期間中、一般の入場料は600円)

 葉山の豊富な自然に囲まれた斜面にあり、ツツジなどの植え込みの間を上がって入館し
ました。


 館内の撮影は、作品主体に撮らなければ良いということなので、展示室などを少し撮ら
せてもらいました。展示室の方から、受付ロビーの一部を丸窓を通して眺めたところ。
    

 琳派は、桃山時代後期(1600年代)に本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と俵屋宗達
(たわらやそうたつ)が創始し、江戸時代には尾形光琳(おがたこうりん)らが織りなし
た琳派芸術で、やまと絵を基盤とした豊かな色彩と斬新な装飾性に富む造形は、後世の人
々をも魅了し、その流れは近現代の美術にも受け継がれています。

 展示室1


 中心にある一番広い展示室2の展示作品の一部。


        

 館でもらった三つ折りリーフレットに掲載の作品を、幾つか切り出してみました。

 「まり藻と花」昭和30年


    「枇杷」昭和31年
    

              「泰山木」昭和14年
              

          「南嶋薄暮」昭和15年
          

    以下の2作品は、山口逢春コレクションのよう。

    「伝土佐光吉〈十二ヶ月風俗図〉一帖」桃山時代 
    

        「三彩樹下美人俑」中国・唐時代
         

 別棟の画室には、絵筆や絵皿などが逢春生前のままに残されていました。




 別館の1階には映像コーナーガあり、山口逢春についての映像が見られます。その上の
2階は海の見える喫茶コーナーで、受付でもらった菓子と部屋に用意されている飲み物を、
海を眺めながらいただきました。


 観覧を終えて建物を出て、南面の庭を一巡りしました。


    

         このアメリカハナミズキは、花弁が普通の花より丸まっています。
        

 記念館の門を出て、「逢春こみち」と呼ぶ細い路地を東に進みました。南側の県道
207号に近づいた辺りの民家の、塀のない道路に面した庭先は、たくさんの花に彩られ
ていました。
      

 近くのお宅のツツジ。


 県道に出てほんの少し戻ると、南側が「神奈川県立近代美術館 葉山」です。


 美術館では5月8日(金)までの会期で、「ふたたびの出会い 日韓近代美術家のまな
ざし-『朝鮮』で描く」という企画展を開催中でした(観覧料 一般1000円、65歳
以上500円)。


 美術館の入り口付近(館内は撮影禁止)。


 会場は、第1章 「朝鮮」との出合い、第2章 近代「朝鮮」の風景」、第3章 近代「朝鮮」の
日常、第4章 美術グループと師弟関係、第5章 エピローグの5章に分かれ、1896年
から1950年代までの日本の画家、藤島武二、小杉放庵、長谷川朝風、小林古径、富本
憲吉、川喜田半泥子、北大路魯山人、山口逢春、前田青邨など、ほかに韓国の作家も多数
で、日韓あわせて120余人の作品が展示されていました。

 こちらも、美術館のパンフレットから切り出した作品を何枚か。

 藤島武二「花籠」1913年


    鳥居昇「老婆」(部分) 1943年
    

        高義東「程子冠をかぶる自画像」 1915年
        

    李快大「自画像」 1948-49年
    

        藤田嗣治「朝鮮風景」 1913年
        

            金重鉉「貞洞風景」 1948年
            

        結城素明「金剛山」 1926年以降
          
  
 観覧を終えたら14時を過ぎていたので、館内の別棟にある「オランジュ・ブルー」と
呼ぶレストランに入り、遅い昼食に。


 注文したシーフードカレー


 レストランからは、庭の向こうに一色(いっしき)海岸の展望が広がります。




 食事を終えて庭先を下り、ふり返るレストラン。


 構内の遊歩道を東に回ると、大きなカラスノエンドウのような花が咲いていました。
        

 隣接する「葉山しおさい公園」への門は閉じていたので、間の細道を下って一色海水浴
場の砂浜に出ました。

 しおさい公園際には、ヒルガオに似た花がたくさん自生しています。


         一色公園に咲く花
        

 クロマツの多い一色公園には、何年か前、山浦敬子さんの「アートウオークセラピー」
で訪れており、ここで昼食をしたことを思い出しました。


 一色海水浴場から北西に続く真名瀬方面の浜辺。


 一色海水浴場の南東に突き出た、「小磯」と呼ぶ小さい岬の尖端付近。


 小磯から、東側の長者ヶ崎方面の浜辺。


 小磯には、岩の上に小さな祠(ほこら)が祭られています。


 一色公園の東に接する葉山御用邸の、砂浜側の塀の下を東進しました。西の方には江ノ
島が望まれました。



 長者ヶ崎方向へ向かい、御用邸のそばの葉山公園に上がります。


 この公園にも、たくさんのクロマツが…。


 公園の西北端を出て、バスの走る国道134号に向かいます。公園に近い民家に咲いて
いたバラ。
    

 国道に出て、少し北進すると高台に神社があったので上がってみましたが、名前は分か
りません。



 すぐ先の三差路際が葉山バス停。15時47分頃に着き、間もなく来たバスで京浜急行
新逗子駅に戻り、帰路につきました。

 2つの美術館の観覧、それに2つの小公園と一色海岸巡りで歩いた距離はせいぜい2㎞
前後。でも、わが家からは1日がかりの行程となりました。
 




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