会津の大内宿によって、400年の老舗の玉屋さんでお蕎麦をいただいた。
大内宿の玉屋さんの歴史をひもとくと、、、400年どころじゃない、後白河天皇(1180年)あたりまでさかのぼります。
玉屋さんは大内宿の中でも最古参と言っていた。
ただ1180年となると東北は蝦夷達の土地、旅人も少なかった頃なので茶屋や旅籠といった類いじゃなく、ただの農家があっただけじゃないか?
農家に旅人が休むようになって、旅籠になっていった。
そして宿になっていった。
それにしても、立て看板のいわれを読んで、面白そうだったので入りました。
ジャーン
立派なお蕎麦御前でしょ。
真ん中下の小鉢には、水にお蕎麦が入っているだけ。
まづはお蕎麦のお味見をして下さいと、、、自信満々です!
と言っても、私は「カンナ屑とかつをぶし」の区別がつかないぐらい味覚音痴と言われているので、、、美味しいとしか言えません。
うーむ美味だったぞーーー!
後白河天皇の皇子さんが平氏の追っ手を逃れて東北は福島、大内宿まできたんですね。
そのころは、東北は蛮族=蝦夷(エミシ)アイヌの人たちの土地だった。
大和の人達にとっては未開の地、地の果て番外地という認識だった。
東北は倭人の住む土地じゃなかった。
平市(いわき市)の手前に勿来関があるけど、あのあたりまで関東の入り口まで蝦夷の土地だった。
お蕎麦はシコシコして美味しい。
一体これは何を天ぷらにしたんだ?
聞いてくれば良かった。
お稲荷さんの変形ですね。
小鉢がいっぱいあってバランスが良い。
昼前だったので大内宿をそぞろ歩きの方達を見ながら昼食だった。
玉屋さんは他の大内宿の建物と同じ茅葺き屋根の日本家屋。
昔の日本の家屋はどこでもこんな形や形式だった。
この日は大内宿に早朝についたので、観光客がいなかった。
朝は会津若松を8時前に出てきたから。
この写真左手が玉屋さん。
広い道の左右に家屋が並んでいます。
広い道路の左右には水路が切られています。
所々水路に下りて洗い物ができるようなつくりです。
江戸時代のころは街道なので賑わったことでしょう。
茅葺き屋根の家は囲炉裏の煙で「屋根の茅」を燻製しています。
燻製しないと、屋根の茅に虫が湧き腐ったりします、さら虫がわいたら鳥が食べるためにほじるので、5年と持たなくなるそうです。
いわば、煙で茅をコーティングするのです。
だから、茅葺き屋根には囲炉裏が必需品なのです。
いやー煙たいのなんの!
これは雨合羽か?
右のかんじき(ワカン)は私が20歳の頃手に入れて使っていました。
その頃でも、ワカンを使っていると、「目面しいものを使っているね」と感心されたものです。
良いカンジキがなかっただけですが。
今みたいなアイゼン付きの金属製で脱着が簡単なものなどなかった。
日本の登山の黎明期からのお付き合いですから、、、。
大内宿はこんな感じです。
冬の雪が積もった時期がいいですよーーー。
2019年2月 大内宿雪まつり1
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/e39e3a8848672bb377f9b74e1c03f20f
2019年2月 大内宿雪まつり2
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/ea7e04922367452e0ce54900a0190ac1
2015年10月 秋の大内宿
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/7c8f5cb37980afcc3571270471491dc2