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氷点*読書

2020-04-20 12:25:48 | 本と雑誌

氷点(上下巻)、三浦綾子著

昭和57年初版本

昭和57年は西暦でいうと1982年。

その頃は差別用語という決まりが無くて、本書では著者が亡くなっているので、そのまま使っています、、、と。

この本では小使い、北支、人夫、ビッコ、乞食などの言葉が多く使われているそうです。でも私にしたら、乞食はコジキでしかないし、人夫も普通に日常で使っている言葉。小使いさんなどは雑用かかりという意味合いで生きた言葉です。なんで差別用語と言うのかわからない。

1982年の頃は日本が経済発展して、日の出の勢いがあったころです。

東アジアのなかで、日本が先頭を切って発展していった、日本人にとっては誇らしげな年代じゃないか。

韓国、台湾を従えて極東の一画が繁栄を謳歌していた時代です。

中国はまだまだ文革の影響を受けて暗かった。

韓国よりも北朝鮮のほうが、社会主義国の仮面をかぶって、宣伝もあったのだろうが先進国だと思われていた、、、。

本作品、氷点はそんな時代に書かれた、北海道を舞台に私小説とも言えるようなメロドラマの大作です。

私は氷点は知っていたが、読んだのは初めてです。

この氷点が書かれた頃は、私は単身カメラを担いで北海道をよく旅していました。自由業という名のプー太郎だったかもしれない。若気の至りで自分はこの業界に一石を投げ入れるのだ、、、なんて思いあがっていたころ。

筋書きを追ってもしかたないので、読んで北海道を思い出して、その当時の思いを思い出して書きます。

旭川に私が最初に行ったのは、大学生の2年の真冬だった。

大学の同級生の実家に立ち寄ったのだ。

札幌ラーメンは東京でとっくに有名になっていたが、その友人の話では旭川ラーメンのほうが美味いんだとのことだった。

私にしてみれば札幌も旭川も北海道に違いないので、、、どっちも道産子じゃないかと感じていた。当時はまだまだ九州の豚骨ラーメンも、喜多方ラーメンも、佐野ラーメンも知られていなかった。

東京進出は北海道の道産子が最初でしょう。

それから、頻繁に北海道に旅するようになった。

ワンボックスの車を若干改造して、車泊であちこちに行っていた。

北海道に行ったら、たいてい1ヵ月は行っていた。

この氷点が書かれた昭和57年ごろと言えば、私がいちばん北海道に入れ込んでいた時期のことです。自分の砦を持たない、フリーという根無し草のような身分だった。

そんな時代に書かれた氷点=ロドラマを読むとけっきょく地に足をつけて生活している人も、浮ついて他人の足を引っ張り合いながら、、、あーだこーだと悩んで生きているんだと納得

安心したりバカバカしくなったりこれは物語なんだからなと思ったりだ。

氷点は、とある幼女殺人事件から始まるドラマだが、事実は小説より奇なりということわざがある通り、もっともっと奇妙なドラマが現実にはある。

今月読んでいた「文庫X、殺人犯はそこにいる」でも、免罪人をさしおいて連続殺人犯は、警察や司法の都合で野放しになっていることがある、と指摘している。

人間関係をいくら複雑にしてメロドラマに仕立ててもそれよりも奇怪な人間関係の現実のドラマは存在する。

氷点の物語の主人公一家は病院経営という、地方の名門家庭という設定。

これが、みすぼらしい明日の金に困るような家の話だったら、話の飛躍が少なすぎて物語りにならないということか。話の枝葉を作るために病院経営の医師一家というシッチュエ―ションにしたのだな。

一昨年ヒットした映画「万引き家族」は底辺の生活を描いて、人情を見事にえがいた。難しい映像にするには、極めて難しい題材を、素晴らしい演出と演技、ストーリーで見せてくれた。底辺の生活で人を感動させるのは、本来は難しいと思う。監督の力量があったからです。

私が道内を車で回っていて、斜里の先羅臼岳の麓からヒッチハイクの女性を乗せたことがあった。羅臼岳の知床半島にはヒグマが数多く生息していて、私だって羅臼岳周辺をカメラを持って歩き回るのは、極めて慎重な注意が必要だった。

そんな時に、大雨でフロントガラスが見えなくなるような雨の中、羅臼YH前のバス停留所から女性のヒッチハイクを乗せたのだ

知床にある沼を見に行ったので、行きにバス停に1人ポツンといたのは気が付いていたが、沼を見て帰りにもまだポツンと1人でバス停にいた。

1時間近くたっていたので、車で通りすがりでも不審に感じたものです。

ヒグマが良く出てくる所だったので、危ないなーと思っていたら、女性が私の車が通り過ぎてから、私に向かって手を挙げてきた。

たぶん、ヒッチハイクで乗せて欲しいのだなと思い、バックしてその女性を拾っていった。

だって、ヒグマが出没する羅臼山のバス山の中だし危険極まりない。

それから、網走に向かっている車中で、いろいろお話を聞いた。

なんでも、日本の3本指に入る大企業グループの商社に、つい先日まで在籍していたそうでした。

○○商事といえば、知る人ぞ知るどころか日本の3本指に入る巨大グループの商社部門会社です。

私:「そんなところに入れるだけでも、相当ですね」

女:「いろいろ、嫌なことがあって先日退職したの」

私:「そりゃもったいないことですね、そんな有名な会社を辞めざるを得ないのは、、、」

女:「あなたみたいな自由に生きている方がうらやましい」

そんなことを言われても自分がしっかり生きているかどうか、自分でも疑問であった。

自分では毎日がこれでいいのか、こんな人生でいいのか、日々思うことばかりだったからだ。

女の人は安心したのか、それからしばらく寝ていた。

ヒグマがうようよいる羅臼山のふもでひとり立っていたら、さぞかし緊張していたのだろう。

それに、女の方は25歳ぐらいで美人と言っていいくらいの方。

なんでそんな一流企業を止めなきゃいけなくなったのかと、理由は聞かなかった。たぶん人間関係の複雑なことでやめざるを得なかったのだろうと想像できた。

それに比べれば、自分は何の束縛もないけど、何の保証もない根無し草のような生活だと思っていたから、女性の退社がひどくもったいなく思えた、、、。

女性は会社を退職して、、、気晴らしの北海道旅行だったのだろう。

その商社に入るには、それなりの大学で、それなりの成績で、それなりの家柄+容姿じゃなければ入れません。

それで彼女が退職しなきゃならなかったのは、、、なんら大事(おおごと)があったのだろう。大企業でコンプライアンスがシッカリしているところは、メロドラマみたいなことで社員を切り捨てますから、、、。これが外資系だと女性の側だけじゃなく、男性側にも厳しいのが日本企業との違いです。

日本の企業は女性にきびしいが、男性側にはゆるゆるですから。

私は企業に勤めたことがないので、企業勤めの良い所も悪い所も知らないというのがホントのところです。40歳になってからようやく自分のお城という会社を持てたが、世の中の浮き沈みに翻弄される毎日です。

だから、氷点を読んでも、ゆるい世界だなーっていうのが実感ですね。好いた嫌ったで一喜一憂できるのは、優雅な生活だからだろう。氷点は家族、好き嫌い、私小説なのだろう。

今のコロナウイルスのように、無策というのが許されている日本の政界のほうがはるかに危険です。今年に入って、この無策でどれだけ社会財産・経済が失われたか、、、途方もない位でしょう。それに比べたら「氷点」の書かれている内容、社会の大きさは小さい。小説は現実の1/1000000の大きさだ。


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