企業の内定式が行われる季節になりました。
テレビで、とある企業が新入社員の教育に使っている本です、と紹介していたのが、これ。
京セラの創業者、稲盛和夫さんの本です。
稲盛さんは昭和7年、鹿児島県生まれ。
まだ、途中ですが、面白い!
「私は、若い時に多くの挫折を経験しました。」と始まります。
中学(旧姓中学でしょう)の受験に失敗、その後結核にかかり死線をさまよい、再度の中学受験にも失敗。
医学部を受験するも、失敗。鹿児島大学の工学部に入学して、猛勉強に励みましたが、大手企業への就活もことごとくうまくいかなかった。
やむなく先生の紹介で京都の小さなガイシ製造会社に入ったが、これがいまにも潰れそうな会社で初任給も遅配されたそうです。
そんな人生を大きく塗り替えることができたのが、たった一つ、「ただ一生懸命働くことでした」と。
「働く」ということは、試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに「万病に効く薬」なのだということを是非理解していただきたいと。
西洋の人々にとって、「働く」というのは、「苦役」でしかない。
エデンの園で暮らしていたアダムとイブは、働きもせず、ただ毎日楽しく暮らしていたが、神様に背いたため働かなくてはならなくなった。
だから、西洋の考え方では、なるべく早く引退して、後は悠々自適に楽に過ごすのが良いとされる。
でも、日本人の働き方は、「道を拓く、極める」という意味もある。
一足飛びにお金を儲ける方法を見つけるということを考えて、日本人は働いてきたのではないですよね。
コツコツと、自分のやるべきことをやってるうちに、その道の極め人になっていた。というのが日本人、かな。
以前、民進党の蓮舫さんが「1番じゃなきゃ、ダメなんですか?2番じゃいけないんですか?」
と言ってましたが、1番だとか、2番だとか考えて働いていないと思いますよ、日本人は。
ただ、ただ、自分の置かれた位置で最高のことをやろうとしているうちに、いつの間にか1番になっていた。
稲盛さんも、京都の会社でセラミックの研究をしている時に、朝から晩まで、来る日も来る日もセラミックを焼いて、失敗を繰り返しているうちにある日、ふと方法が浮かんだ。
「これは、もう神様が自分のことを憐れに思って、思いつかさせてくださったとしか思えない。だから、皆さんも、神様にそう思われるくらい、一生懸命に働きなさい」
足揉みに来られる方のお話を聞いていると、
気にいらない人の言うことは、聞いてあげない、とか、自分はやりたくないから、できるけどしない、などまるで
仕事を私物化しているような人の話を聞きますが、これはもはや「働く」と言うことを放棄している状態。
「今、自分が立っている場所で、できることを全部やったら、次の扉が開きます」と昔、言われたことがあります。一生懸命、働いていたら、いつか全部やり遂げて次のステージに立っていた、ということやね。
稲盛さんが言うように、「働く」ということに過酷な運命を克服し、人生を明るく希望あふれるものにしていく素晴らしい力が秘められているのなら、ステージが変わるごとに人は、成長して進んでいくのですね。
私が今やっている足揉みも、数年前とは違ってきています。
同じことを毎日やっているのですが、揉んでいる方々の変化が私を成長させています。
日々、発見することもあり、ご年配の方から学ぶことも多いです。
「働く」ということに一生懸命取り組めば、また新しい扉の向こうに行けるのですね。
不平不満を言いながら、今のままの場所に居続けるより、ずーっと楽しいじゃないですか。
テレビで、とある企業が新入社員の教育に使っている本です、と紹介していたのが、これ。
京セラの創業者、稲盛和夫さんの本です。
稲盛さんは昭和7年、鹿児島県生まれ。
まだ、途中ですが、面白い!
「私は、若い時に多くの挫折を経験しました。」と始まります。
中学(旧姓中学でしょう)の受験に失敗、その後結核にかかり死線をさまよい、再度の中学受験にも失敗。
医学部を受験するも、失敗。鹿児島大学の工学部に入学して、猛勉強に励みましたが、大手企業への就活もことごとくうまくいかなかった。
やむなく先生の紹介で京都の小さなガイシ製造会社に入ったが、これがいまにも潰れそうな会社で初任給も遅配されたそうです。
そんな人生を大きく塗り替えることができたのが、たった一つ、「ただ一生懸命働くことでした」と。
「働く」ということは、試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに「万病に効く薬」なのだということを是非理解していただきたいと。
西洋の人々にとって、「働く」というのは、「苦役」でしかない。
エデンの園で暮らしていたアダムとイブは、働きもせず、ただ毎日楽しく暮らしていたが、神様に背いたため働かなくてはならなくなった。
だから、西洋の考え方では、なるべく早く引退して、後は悠々自適に楽に過ごすのが良いとされる。
でも、日本人の働き方は、「道を拓く、極める」という意味もある。
一足飛びにお金を儲ける方法を見つけるということを考えて、日本人は働いてきたのではないですよね。
コツコツと、自分のやるべきことをやってるうちに、その道の極め人になっていた。というのが日本人、かな。
以前、民進党の蓮舫さんが「1番じゃなきゃ、ダメなんですか?2番じゃいけないんですか?」
と言ってましたが、1番だとか、2番だとか考えて働いていないと思いますよ、日本人は。
ただ、ただ、自分の置かれた位置で最高のことをやろうとしているうちに、いつの間にか1番になっていた。
稲盛さんも、京都の会社でセラミックの研究をしている時に、朝から晩まで、来る日も来る日もセラミックを焼いて、失敗を繰り返しているうちにある日、ふと方法が浮かんだ。
「これは、もう神様が自分のことを憐れに思って、思いつかさせてくださったとしか思えない。だから、皆さんも、神様にそう思われるくらい、一生懸命に働きなさい」
足揉みに来られる方のお話を聞いていると、
気にいらない人の言うことは、聞いてあげない、とか、自分はやりたくないから、できるけどしない、などまるで
仕事を私物化しているような人の話を聞きますが、これはもはや「働く」と言うことを放棄している状態。
「今、自分が立っている場所で、できることを全部やったら、次の扉が開きます」と昔、言われたことがあります。一生懸命、働いていたら、いつか全部やり遂げて次のステージに立っていた、ということやね。
稲盛さんが言うように、「働く」ということに過酷な運命を克服し、人生を明るく希望あふれるものにしていく素晴らしい力が秘められているのなら、ステージが変わるごとに人は、成長して進んでいくのですね。
私が今やっている足揉みも、数年前とは違ってきています。
同じことを毎日やっているのですが、揉んでいる方々の変化が私を成長させています。
日々、発見することもあり、ご年配の方から学ぶことも多いです。
「働く」ということに一生懸命取り組めば、また新しい扉の向こうに行けるのですね。
不平不満を言いながら、今のままの場所に居続けるより、ずーっと楽しいじゃないですか。
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