お手伝いとしてなあ・・ゴスペルライブ
リハーサルにぎりぎり駆け込んだ。始まっていたが、すぐ「舞台監督」氏に引き合わされ、マイクの移動を仰せつかった。クワイヤー(まあ、全体合唱みたいなもんとご理解下さい)が最初と最後にあって4グループ、都合5回の場面転換での移動が仕事である。立ち位置確認でステージのマイク位置にテープを張ったのが頼りだ。パフォーマンスシート(あかんべ山ではレイアウト表)が渡されマイク位置が記載されていたが、実際と違いがあり、立ち位置確認での位置を書き込み頭に叩き込んだ(いや、つもりだった)。さてリハーサル。「つもり」を頼りに移動・・・突然大先生が「やっぱりここにしよう!」「いや、もう少しななめがいいかな?」「先生、まってー」など言ったかどうか?移動された位置にテープをはがして、張りなおしている自分があった。
リハでは各クワイヤー(この場合ピアノやオルガンの演奏者に対し合唱隊をさす)の高揚が見て取れた。リハでの「入れ込みすぎ」は結構禁物だ。ピークが本番前になってしまうこともある。大勢で歌う場合、知らず知らず声を張り上げてしまい、本番に喉がもたないなども心配である。今回の場合演奏がドラム・Eギター・Eベース・それにバイオリンとKEYなど加わり、音の全体のボリュームがある場合、この張り上げはさらにあぶない。
他人事ながら心配であった。
さて、リハは通しだ。マイクをセットし次のグループまでが弁当のチャンスである。アバウト達とロビーに向かい、弁当をもらった。「ハンバーグ弁当」である。お茶とケーキ付きである。このハンバーグは旨かった。アバウトなどは「うめえ・うめえ」を連発していた。
ただ、ケーキはなあ?ワンカップがいいな。もっともアバウトとフラットはケーキも「うめえ・うめえ」とがっついていた(僕のも食っていた)。元来あさましいやつらであった。
袖から眺めるとこの様になる。
リハは結構粛々と進んでいった。リハのあいだ中「ハウリング」が消えないのも気になった。このまま行ったらやばいかも?などと思っていた。しかしこれはリハ終了後、音響氏が1本づつマイクをチェックしこの「ハウリング」を上手に解決して、杞憂に終わった。多分「プロ」の方とお見受けしたが、さすがであった。(つまらなそうな、或いは怖そうな、はたまた、不満そうな顔つきで行っていたのが残念)
多分、ほとんど目立ったトラブル無し。の影に、どこぞでは幾多の「ピンチ!!」を乗り越える努力があったのかも知れないが、裏方の場面では実に上手くいっていたと拝察する。1つ苦言を呈すれば、切り替えでの指示が(或いは誰にもらうか)ちょっと不明確だったと思う。①アナウンスのキュー②休憩後のベルへのキューなど不明確であった。実際ベル氏などは僕のところへ「だしていいんですか?」などとお見えになった。時間に責任を持つ部門・「進行係り」などあって、計画に対しすべてのグループのかかった時間を記載し、常に時点の±を把握する。そしてここが休憩を計画に対し、押すか引くかそのままか判断し、ベルのキューを出す権限を持たせる、など必要と思った。
袖でコンサートを聴いた。抜ける音ではなく、返しのしかも漏れる音を聴くこととなったが、それなりに音楽を楽しんだ。この位置では不思議に「客の入り」など気になり、そっと客席を覗く自分が、おもしろかった。各クワイヤーは本番ではやや緊張気味、ソロなど声も上ずっている場面もあった。演奏も部分破綻があった。まあ、緊張するなが無理か?
写真は出番を待つ次のグループ。しかし「女性だらけ」で晴れやかですな。
コンサート終了。挨拶などすませ、帰路についた。マフェリアの「ダウンバイザ・リバーサイド」が頭の中を流れる。そういえばこの歌はマフェリアが日本で今の「天皇」のとーちゃんの前(御前と言うんだっけ?)で歌った歌だ。「武器を川のほとりに捨てよう」と歌われるこの歌をリクエストしたという。(自分の胸に手を当てて、あの方は内容を分かってリクエストしたのだろうか?)安心して歌が歌える時代が続いている。憲法9条をごまかして、モラトリアムしたこの国民に戦場を用意する企みが始まっている。国際貢献というオブラートに包みながらだ。僕はいいが、僕の子供たちはこのまま進めば危ない。妄想続くまま、家に着いた。帰って、ジェシー・ディクソンシンガーズの「ジーザス・イズ・ジ・アンサー」を聴いた。コンサートがレコードに針を落とさせた。コンサートに行って、その印象・余韻をもう少し味わいたくて、レコードに針を落とすときは、いいコンサートの時が多い。(まれに口直し、いや耳見直しのときもあるが)。
リハーサルにぎりぎり駆け込んだ。始まっていたが、すぐ「舞台監督」氏に引き合わされ、マイクの移動を仰せつかった。クワイヤー(まあ、全体合唱みたいなもんとご理解下さい)が最初と最後にあって4グループ、都合5回の場面転換での移動が仕事である。立ち位置確認でステージのマイク位置にテープを張ったのが頼りだ。パフォーマンスシート(あかんべ山ではレイアウト表)が渡されマイク位置が記載されていたが、実際と違いがあり、立ち位置確認での位置を書き込み頭に叩き込んだ(いや、つもりだった)。さてリハーサル。「つもり」を頼りに移動・・・突然大先生が「やっぱりここにしよう!」「いや、もう少しななめがいいかな?」「先生、まってー」など言ったかどうか?移動された位置にテープをはがして、張りなおしている自分があった。
リハでは各クワイヤー(この場合ピアノやオルガンの演奏者に対し合唱隊をさす)の高揚が見て取れた。リハでの「入れ込みすぎ」は結構禁物だ。ピークが本番前になってしまうこともある。大勢で歌う場合、知らず知らず声を張り上げてしまい、本番に喉がもたないなども心配である。今回の場合演奏がドラム・Eギター・Eベース・それにバイオリンとKEYなど加わり、音の全体のボリュームがある場合、この張り上げはさらにあぶない。
他人事ながら心配であった。
さて、リハは通しだ。マイクをセットし次のグループまでが弁当のチャンスである。アバウト達とロビーに向かい、弁当をもらった。「ハンバーグ弁当」である。お茶とケーキ付きである。このハンバーグは旨かった。アバウトなどは「うめえ・うめえ」を連発していた。
ただ、ケーキはなあ?ワンカップがいいな。もっともアバウトとフラットはケーキも「うめえ・うめえ」とがっついていた(僕のも食っていた)。元来あさましいやつらであった。
袖から眺めるとこの様になる。
リハは結構粛々と進んでいった。リハのあいだ中「ハウリング」が消えないのも気になった。このまま行ったらやばいかも?などと思っていた。しかしこれはリハ終了後、音響氏が1本づつマイクをチェックしこの「ハウリング」を上手に解決して、杞憂に終わった。多分「プロ」の方とお見受けしたが、さすがであった。(つまらなそうな、或いは怖そうな、はたまた、不満そうな顔つきで行っていたのが残念)
多分、ほとんど目立ったトラブル無し。の影に、どこぞでは幾多の「ピンチ!!」を乗り越える努力があったのかも知れないが、裏方の場面では実に上手くいっていたと拝察する。1つ苦言を呈すれば、切り替えでの指示が(或いは誰にもらうか)ちょっと不明確だったと思う。①アナウンスのキュー②休憩後のベルへのキューなど不明確であった。実際ベル氏などは僕のところへ「だしていいんですか?」などとお見えになった。時間に責任を持つ部門・「進行係り」などあって、計画に対しすべてのグループのかかった時間を記載し、常に時点の±を把握する。そしてここが休憩を計画に対し、押すか引くかそのままか判断し、ベルのキューを出す権限を持たせる、など必要と思った。
袖でコンサートを聴いた。抜ける音ではなく、返しのしかも漏れる音を聴くこととなったが、それなりに音楽を楽しんだ。この位置では不思議に「客の入り」など気になり、そっと客席を覗く自分が、おもしろかった。各クワイヤーは本番ではやや緊張気味、ソロなど声も上ずっている場面もあった。演奏も部分破綻があった。まあ、緊張するなが無理か?
写真は出番を待つ次のグループ。しかし「女性だらけ」で晴れやかですな。
コンサート終了。挨拶などすませ、帰路についた。マフェリアの「ダウンバイザ・リバーサイド」が頭の中を流れる。そういえばこの歌はマフェリアが日本で今の「天皇」のとーちゃんの前(御前と言うんだっけ?)で歌った歌だ。「武器を川のほとりに捨てよう」と歌われるこの歌をリクエストしたという。(自分の胸に手を当てて、あの方は内容を分かってリクエストしたのだろうか?)安心して歌が歌える時代が続いている。憲法9条をごまかして、モラトリアムしたこの国民に戦場を用意する企みが始まっている。国際貢献というオブラートに包みながらだ。僕はいいが、僕の子供たちはこのまま進めば危ない。妄想続くまま、家に着いた。帰って、ジェシー・ディクソンシンガーズの「ジーザス・イズ・ジ・アンサー」を聴いた。コンサートがレコードに針を落とさせた。コンサートに行って、その印象・余韻をもう少し味わいたくて、レコードに針を落とすときは、いいコンサートの時が多い。(まれに口直し、いや耳見直しのときもあるが)。