館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ゴスペルライブ2005ハレルヤ!第2話(完結)お手伝いさん編。

2005-12-20 06:14:12 | 音楽を思う
お手伝いとしてなあ・・ゴスペルライブ

リハーサルにぎりぎり駆け込んだ。始まっていたが、すぐ「舞台監督」氏に引き合わされ、マイクの移動を仰せつかった。クワイヤー(まあ、全体合唱みたいなもんとご理解下さい)が最初と最後にあって4グループ、都合5回の場面転換での移動が仕事である。立ち位置確認でステージのマイク位置にテープを張ったのが頼りだ。パフォーマンスシート(あかんべ山ではレイアウト表)が渡されマイク位置が記載されていたが、実際と違いがあり、立ち位置確認での位置を書き込み頭に叩き込んだ(いや、つもりだった)。さてリハーサル。「つもり」を頼りに移動・・・突然大先生が「やっぱりここにしよう!」「いや、もう少しななめがいいかな?」「先生、まってー」など言ったかどうか?移動された位置にテープをはがして、張りなおしている自分があった。

 リハでは各クワイヤー(この場合ピアノやオルガンの演奏者に対し合唱隊をさす)の高揚が見て取れた。リハでの「入れ込みすぎ」は結構禁物だ。ピークが本番前になってしまうこともある。大勢で歌う場合、知らず知らず声を張り上げてしまい、本番に喉がもたないなども心配である。今回の場合演奏がドラム・Eギター・Eベース・それにバイオリンとKEYなど加わり、音の全体のボリュームがある場合、この張り上げはさらにあぶない。
他人事ながら心配であった。

さて、リハは通しだ。マイクをセットし次のグループまでが弁当のチャンスである。アバウト達とロビーに向かい、弁当をもらった。「ハンバーグ弁当」である。お茶とケーキ付きである。このハンバーグは旨かった。アバウトなどは「うめえ・うめえ」を連発していた。
ただ、ケーキはなあ?ワンカップがいいな。もっともアバウトとフラットはケーキも「うめえ・うめえ」とがっついていた(僕のも食っていた)。元来あさましいやつらであった。
袖から眺めるとこの様になる。


リハは結構粛々と進んでいった。リハのあいだ中「ハウリング」が消えないのも気になった。このまま行ったらやばいかも?などと思っていた。しかしこれはリハ終了後、音響氏が1本づつマイクをチェックしこの「ハウリング」を上手に解決して、杞憂に終わった。多分「プロ」の方とお見受けしたが、さすがであった。(つまらなそうな、或いは怖そうな、はたまた、不満そうな顔つきで行っていたのが残念)

多分、ほとんど目立ったトラブル無し。の影に、どこぞでは幾多の「ピンチ!!」を乗り越える努力があったのかも知れないが、裏方の場面では実に上手くいっていたと拝察する。1つ苦言を呈すれば、切り替えでの指示が(或いは誰にもらうか)ちょっと不明確だったと思う。①アナウンスのキュー②休憩後のベルへのキューなど不明確であった。実際ベル氏などは僕のところへ「だしていいんですか?」などとお見えになった。時間に責任を持つ部門・「進行係り」などあって、計画に対しすべてのグループのかかった時間を記載し、常に時点の±を把握する。そしてここが休憩を計画に対し、押すか引くかそのままか判断し、ベルのキューを出す権限を持たせる、など必要と思った。

袖でコンサートを聴いた。抜ける音ではなく、返しのしかも漏れる音を聴くこととなったが、それなりに音楽を楽しんだ。この位置では不思議に「客の入り」など気になり、そっと客席を覗く自分が、おもしろかった。各クワイヤーは本番ではやや緊張気味、ソロなど声も上ずっている場面もあった。演奏も部分破綻があった。まあ、緊張するなが無理か?
写真は出番を待つ次のグループ。しかし「女性だらけ」で晴れやかですな。


コンサート終了。挨拶などすませ、帰路についた。マフェリアの「ダウンバイザ・リバーサイド」が頭の中を流れる。そういえばこの歌はマフェリアが日本で今の「天皇」のとーちゃんの前(御前と言うんだっけ?)で歌った歌だ。「武器を川のほとりに捨てよう」と歌われるこの歌をリクエストしたという。(自分の胸に手を当てて、あの方は内容を分かってリクエストしたのだろうか?)安心して歌が歌える時代が続いている。憲法9条をごまかして、モラトリアムしたこの国民に戦場を用意する企みが始まっている。国際貢献というオブラートに包みながらだ。僕はいいが、僕の子供たちはこのまま進めば危ない。妄想続くまま、家に着いた。帰って、ジェシー・ディクソンシンガーズの「ジーザス・イズ・ジ・アンサー」を聴いた。コンサートがレコードに針を落とさせた。コンサートに行って、その印象・余韻をもう少し味わいたくて、レコードに針を落とすときは、いいコンサートの時が多い。(まれに口直し、いや耳見直しのときもあるが)。
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ゴスペルライブ2005・ハレルヤ!第1話・お客編。

2005-12-19 12:44:10 | 音楽を思う
僕の住むG県の東毛地域にある4つのアマチュア「ゴスペルグループ」の合同コンサートに行ってきた。表題の?は客として純粋な(不純ではないのだが・・どうもどこぞの総理大臣のようにボキャ貧だ)参加ではなく、裏方のお手伝いとしての参加だったからである。実は昨年もPAのお手伝いで参加していたのである。今回は館林ロストのアバウトとフラットそしてフラットの友人と4人でお手伝いをした。アバウトとフラット友人はビデオ、フラットはアナウンスとオ サムの手伝い、オ サムはマイク運びが仕事だった。


客としてなあ・・ゴスペルライブ

実はゴスペルは好きなのである。アイドルは「マフェリア・ジャクソン」だ。1958年のニューポートJAZZフェスの記録映画「真夏の夜のJAZZ」のマフェリア辺りで、ノックアウトされて以来である。最近はもっぱらオールドタイムやフォーク三昧であるが、こちらでも「キリスト様」の主題は多い。ちょっと不案内の方向けに解説。(かなりデフォルメあり)
 アメリカの音楽は知る限りでは「キリスト教」を抜きにはその歌詞など、解読できないものが多々ある。それは肌の色を問わずである。このあたり、葬式の時或いは困ったとき以外お世話にならない、僕のような日本人には信じられない程である。その神への「賛美歌」で白人の形式での歌が「セイクレッド・ソング」であり、黒人(上手な表記が見つからず・・アフロアメリカンでも変だしなあ)の賛美歌がゴスペルなのである(当然同じ曲も歌われる。良く知られた「スイングロー・スイートチャリオット」や「アメージング・グレース」など双方良く聴くが奏法はかなり違う)。歌唱力秀でたマフェリアが仲間のミュージシャンからブルースもやらないかと誘われ「ブルースは悲しみの曲よ、私は神への賛美を歌い続けるの」と言った話は結構有名。
さて、本題。tacumi@grace(太田?)say☆shine(太田)キャラメルソウル(館林)soul joy(邑楽町)の4グループがGospelCommunity東毛という横の集まりを作って臨んだコンサートである。今回は各グループ共に楽器の演奏陣もかなりのてだれ、或いは「プロ」をお願いしたと思われるが、充実した演奏だった。以下感想を列挙。(昨年と比べつつ)
① まず、練習をしっかりしたのが見て取れる。
② ソリストも合唱部分もあぶない部分が少ない(音的に破綻が少ない)。聴いていた安心できる。(心地よく音楽を感じながら、ウトウトすることも出来ます)
③ なにより「この人たちゴスペルが或いは歌うことが好きなんだろうな」と思わせてくれます。
④ まあ、即興的に出るんでしょうが、振りなども結構大胆になってきました。(まだ恥ずかしそうに振っている方もありましたが)もともと黒人の振りはランダムで1人はやってるのに、あいつ全くやってない状態なのですが、この勝手さがある意味開放感を見る人に与えている気がします。やるなら、恥をすててやるべし!!後先考えず、いや深慮でしたか?「大ホール」を借りちゃう勇気があれば、できるだろう?
⑤ ノリの部分で原語である、英語で歌うというのは、実に良くわかる。それでもあえて、1曲くらいは日本語を選択して聞かせるってのも、お客さんへの配慮かもしれない。結構曲の伝わる深度が深くなる気がするが?どうだろう?(そんな試みをしているゴスペルグループもあるらしい)


当日は無料だった。アマチュアとはいえ、長く続けようと思ったら、資金は必要だ。都度自分達の家計から出さず、資金をためていくことは大切だ。いくらにするかは論議ありとしても、十分お金の取れるコンサートであったと思う。
 同じ地元にゴスペルのグループが頑張っているのはうれしい。ロックあり和太鼓ありフォークありそしてゴスペルあり。若いストリートミュージシャンをT市でも時々見かけるが、「官」などに頼らず、自由に自分達の歌う場を自分達で作って、文化は豊かになると思う。
自分達で作るその行為は「責任をしっかり自覚」でき、聴いてくれる方へ、好きで聴いて欲しくて歌うそして、聴きたくて、このグループを感じたくて聴くという「同じ視座」に立って向き合えると思う。「お呼ばれ」もありだが、べつな煩わしさも覚悟しなければならない。音楽が疲れた体と精神を揺さぶり、別な世界へいざない「元気」や「絡まった心の結び目を解いてくれること」もある。そんなことをたとえ数人にでも、出来たとすれば、歌者冥利ではないかい?
 お疲れ様でした。4グループの皆さん!「練習以上に本番では歌えない!」を高く掲げて、さあ「公民館へ」練習だ!(客は勝手に語ります)。


*写真は看板・リハーサル模様(客席から)。
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あかんべ山・顔合わせ会があった。

2005-12-17 06:43:17 | あかんべ山ログ
コンサートの前1度だけスタッフと出演者が一同に会する集まり「顔合わせ会」が11日に行われた。事情で不参加の2つのグループ以外はすべて集まった。集まるだけで、連帯感が生まれるから不思議である。委員会から経過報告・会計の報告そして、前日リハーサルの順番が決まる。当日の直前リハも大方目を通して解散した。結構活発な論議も交わされたが、各グループの近況など聞くべきだったと反省した。①あらためて「トリ」を何処が取るか?②新しい参加グループをどの様に取り込むか?等今後の論点も見えた。トリ問題は結構難しい。ワイルドには申し訳ない気もするが、実力・お客さんのニーズは確かにある。それにしてもここのリーダーはシャイだ!デシャバラナイ!学ばねば・・・・
②の問題は大きい。だだ、今までのグループは1年間しっかり実体を作りながら残り続けてほしい。そして出たいと言う「新しいグループ」は出したいし、そうした新しい風を入れながら、あかんべ山が常に現状にあぐらをかかないことは大切だと思っている。3時間のコンサート・皆がしっかりして、飽きさせないステージを目指す以外に無いかな?
*写真は委員長とレギュラーの座を確実にしたさのっこ・たかこ氏。
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我が心の「ランブリング ジャック・エリオット」

2005-12-16 06:48:59 | お勧めCD/LPなど
このジャンルに不案内な方へ少し説明。
アメリカンフォークの父と呼ばれる・ウディー ガスリーの音楽の継承者であり、伝承者でもある人がこのジャック エリオットである。ウディーはその軸足が常に「民衆」の側にあり、プロテストするフォークの原点といっていい。「THIS LAND]などはアメリカ第2の国歌といわれている。ジャックは「ウディーよりもウディーを上手く歌う人」と呼ばれている。このDVDのコピーの以下の表記を記載して、不案内の方向け解説を終える。
 after Woody Guthrie
and before Bob Dylan
came Ramblin' Jack Elliott
ちっとも似てないの声を無視して「僕のギターの奏法はジャックに実に多くの影響を受けている」(余談だが確かにディランも奏法・歌い方などジャックの影響は見て取れる。ギターはジャックとは比べ物にならないほどへただけど)。時にバンジョーやギターなどを従えるが、D-28を抱え、ギター1本でステージに立つ姿は、今もあこがれである。
そのジャックの自伝的映像集がこのDVDである。彼の音楽のルーツ・影響を受けたミュージシャンの映像・関係者のインタビューを交えながら、120分あまりがあっという間に過ぎていった。もちろん彼のインタビューや演奏シーンも映っている。たまらない人にはたまらないDVDだ!高田わたる氏は見て他界なさったろうか?
ジャックのシーンはもちろんだが、動く「メイベルとカーターシスターズ」「ジェシーフラー(やっぱりサンフランシスコベイブルースを歌っていた)」「オデッタ」「デロールアダムス」「クラレンスアシュレイ(私に人生と・・の作者だ)」「ノーマンブレイク」
「ジュニーキャッシュ」ピートシガーや太ったアーロガスリーなども出演。正月にゆっくり見ようと思っている。
忘れもしない1974年1月25日僕は「読売ホール」でジャックを待っていた。前から10列くらいの中央、ジャックはやがてステージに立ち、「サンフランシスコベイブルース」を歌い始める。ちょっとまばらな客席をみて「僕はこんなに沢山の前で歌ったことはない」などジョークをとばしながら、「もっと前に移りなよ」などと話しかけた。皆が前へ殺到する。僕は最前列中央にすべりこんだ。公演も半ばジャックは歌いながら、客席に下りてきた。僕は手を差し伸べると、ジャックは握手で応えてくれた。「どうもありがとう」「Ha!ドモアリガト」の声は今も覚えている。握られた馬鹿でかい手のひらの感触。あのあと1週間僕は手を洗わなかった。

さてDVD入手は困難を極めると思う。てっとりばやいのは「ディスクユニオン」に電話するべし!新宿本館5階「ルーツアンドトラディッショナル館」の若林氏にアクセスするといい。03-3352-2723  ds10@diskunion.co.jp
付け加えるが、僕は決してヂスクユニオンから宣伝料はもらっていない。
PS・多分在庫は無い。取り寄せてもらえると思う。
コメント (2)
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ジャッジメント・短編7話・そして僕はいま大きな「クロスロード」に立っている。

2005-12-14 20:09:37 | 生活雑感
以下長い独り言が続く。オ サムの与太記事である。訪れた皆さんに冒頭から謝る。
時間が無い方は御閲覧なさりませんよう、お願いいたします。

第一話。(働きたいのか?)
今僕は「ニート」について考えている。
極めて素朴な疑問を、大企業の末端で働く彼女にぶつけてみる。
「週に3回、まあ2時間の残業って大変かね?」
「それさあ、サービス残業?」
「いや、賃金は払われるよ」
「じゃあ、寝言だね」「払われるならやりたいってのが、今時だから」
「将来の不安もあるし、今のうち稼いでおきたいさ」

第2話。(ニート)
突然(これは突然しかないか?)宝くじで3000万円。似たようなもんで、親の遺産が入る。年収500万・まあ極めて贅沢せず生活をして300万。そうすると10年分の突然の事件ではある。ニート・・・・・・。今僕はニートを考えている。
人間、或いは人類、或いはホモサピエンスにとって「労働」とは何か?この哲学は難しい。ある思考をめぐらす。
① 文明の発達(行過ぎた開発などの要素は省く)その結果としての「豊かさ」の享受を考えてみる。すでに僕らは「誰彼の労働」のお世話になって、確実に「享受」の恩恵を受けている。電気・水・あなたの好きな「旅行」の交通機関・道路。他者の労働、先代の人類の労働の恩恵無しに、今の生活は成り立たない。
② 植物界或いは菌類の「共生」「寄生」について。毛細根にその根或いは菌糸をからめ栄養を採りやすくする代わりに、養分をもらう。「キャベツにはこべ」「松にマツタケ」「落葉松にハナイグチ」これは共生。土の中で羽ばたきを待つせみにとんでもない菌糸がからみつき本体を殺してキノコを出す「冬虫夏草」。弱った木に「ナラタケやヒラタケ」その菌糸はあっという間に木を枯らす。これは「寄生」。
自分の「生活の柄」がその哲学に基づいて、「素にして貧にあらず」必要な多くを、自分の技でそろえ、揃えられない物わずかを、労働の対価を使って(お金のことです)他者の労働の「現象形態」(商品のことです)を手に入れる姿は、結構崇高と思うが、そのような「哲学」を持ち合わせず、「自分には自分の生き方がある」などといいながら、しっかり他者に寄生する姿はみぐるしい。言い訳はするが、しっかり「寄生」していることを気が付かない隣人の存在。ありそうでないかい?


第3話。(指揮・命令系の存在。その必要性の有無)
「会社」という組織がある。ホモサピエンスの多くがそこに所属して生きている。従業員50名余りの会社がる。設定が具体的のほうが、親近感が増す。
① 極めて普通な業務上の指示を上司が出す。出す方の権限・出された方の遵守義務。この存在や如何に?
② 上司の「えこひいき」「人の好みでの態度の違い」・・・積年の不満が「ささやかな反抗」となって「明日、他部門に応援に行ってくれないかな」の返事に「行ってもいいけど、疲れて翌日休むかもしれませんよ」などと応える。
けっこうありそうな日常にうんざりする。この辺りは、「どっちもどっち」的な要素が加わるのでややっこしいが、間違った者同士の論議は正しい結論は出ない。
どうして、面と向かって、人間として対等に「人間の尊厳」を天秤にかけながら向き合えないのだろう?皮肉や尊厳を傷つけるような物言いで「生む」ものは多分無い。「希望」を空に挙げる語り口・無償な姿での語り口、僕も問われているが、あなたも問われている。その姿勢に上司も部下も無い。
「或る決定権」は確実に組織の或る部分に属する。「子供に言い含めるような」やり方でその決定を伝える姿は結構滑稽だと思う。決定された事項の結果責任は「決定者」が負う自覚ぐらいはあるだろう?だから「指示」出来るってもんだ!

第4話。(ひととしてなあ?)
ある任意な組織が存在する(好きで。あるいはその姿に楽しさや、意義を感じてやっている。よって、対価は求めない)。その理想を実現する様々な取り組みで「いいことばかり」は無かったし、わずらわしさも味わった。しかし「やっている事、或いは理想」の素敵さはある。もちろん、抜けるも自由・続けるも自由である。
「一緒に釜の飯を食う」類である。少し窮屈と感じて、或いは「生き様を天秤(今自分のやりたい事)」に乗せて、重さを量って「離れる」或いは「一時的離脱」(中心からお手伝いの位置への転換)を行う。任意組織には当然その「自由」はある。しかし、苦楽をともにした人間関係がそこに無いか?支えあった関係から、1つが欠落する時「その欠如を埋める」営みが残された者へ課題として残る(そんなに難しい事は言っていない。3人で分担していたものが2人になったら、量は増える類とデフォルメしても良い)。そこへの配慮は実は結構大切と思う。説明責任をしっかり果たして、自分のことを分かってもらって、関係の再構築をする。多分、そうすれば「新しい、もっと深まった人間関係」を作れると思う。そんな「補い合い」をしてきたはずの隣人にしっかり裏切られると、ダメージは大きいと思う。この場合「去る」側に明らかに「説明責任」が存在する。責任を果たさない事態は山ほど味わったけどね!
その場合でも、確実に「残された者」のほうが、人間的に成長するから不思議だが・・・・

第5話。(現代上司論)
1つの懸案があり、それを目の前にすると、そこに「否応なしに挿入される」事態にうまくバランスを取れない事はある。
目前の仕事・しかし「突然」が舞い込む。1つどころか、「聖徳太子」状態でだ!理性が勝負だ!①重要度で序列をつける。②所用時間で序列をつける。③有り余ったら「他人に頼む」・・・・しかし彼は「枝葉末節」のやや末節・・彼のすでに立てていた、スケジュールを優先する。結局「誰かが」尻拭いする。以下シナリオ。
困って「上司」に相談する。その上司は「突然」が嫌いで、「いま忙しいから後にして」などと、「自分マター」で仕事を続ける。信頼の瓦解の現場である。部下の「手に負えない困難」に立ち向かうから、上司が出来るのだ。
 生産現場では、結構1日の分量は量りやすい。明日は分かっている。誰かが休んだり・機械のトラブルなどなければ「読める」。そして「計画」をこなせば100点なのである。常に他者との交渉や、先々の計画に携わる仕事はそうは行かない。管理の仕事などは、不具合が予測できない時系列で仕事していると、言っていい。「そのためにあんたが存在して」「結構高い給料をもらっている」と言う訳である。仕事のモードが乱高下する。極論では「何もない日が存在したり、24時間で処理できない日」が存在する。

第6話。(尻拭い)
彼らは、得意先から仕事を請け負ってきた。或いは「それなりの返事をしてきた」と想像できる。しかし「いざ具体化」の時に、例の末節に終始し「モラトリアム」している。まあいつもだが・・・
結局「調整をする」。気が付かない間にこの「ばからしさ」に付き合うことから来る「疲れ」が積層する。あんたの仕事くらいはあんたがやってよ、である。
材料を調達するにも、労働力を確保するにも、常に「人との」交渉が含まれる。或いは交渉そのものが、内容となる。昔・性能のいい機械に向かって「こいつは暑い寒いを言わず黙々と働いてくれる」と語った人がいたが、笑えない。

第7話。(クロスロード)
「自分のやりたいことは、やったほうがいいよ」
「結局1度しか生きられないし、死ねないから」
「人間関係に疲れた?」
「だって、好きで調整役やってるんじゃないの、結構?」
確実に「他人によって生かされてる自分」は認識する。いろいろな人にお世話になっている。その距離感はしかし難しい。1ヶ月の間に、次から次へ「解かなければならない、結び目」がやってきて、きっと僕は疲れていると思う。真剣に「今の仕事」にけりをつけなければと思っている。「非自立な大人」「無神経な隣人」に付き合って、この先「良心或いはホモサピエンスとしての最良の部分まで」傷ついて、いいはずは無い。





  
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