館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ヤマトンチュウ南へ・F本観光で行く沖縄・その1。

2007-11-21 08:56:28 | 旅は続く


毎回お世話になっている、F本観光で行く「沖縄」は僕にとって、3回目の旅である。初めての、衝撃的場所から、妙に懐かしい場所になってるようで、不思議である。

以下・初日の沖縄日記だけで、かなり長い。書きとどめなければならないことばかりだった。



観光も、日常から離れた遊びも、醍醐味だが、「沖縄の歴史や文化を知りたい」は、大きなテーマだ。

観光立県を目指す沖縄は、インフラ整備で、どこかしこが掘られ、ホテルが建てられている。
年間観光客が600万、それを1000万にする目標があり、ホテルも足らないと、建設が進められているようである。

道路建設で見つかった「琉球王朝」時代の遺跡(墓の跡)が発掘の最中だった。
まあ、基地をあずかる見返りに、建設の予算は沢山あると言うことか・・・




普天間基地・僕にとっては「沖縄国際大学」に落ちた「ヘリ」のニュースの記憶が生々しい。ご覧のように、密集する市街に隣りあわせで、存在していた。
大戦中の激戦の地でもあったらしい。



車を走らせて、程なく、整備された道の両側が「基地」となった。
走っても走っても、基地である。
有名な「嘉手納基地」である。



展望台からの嘉手納は、基地の始まりと終わりが「見渡せない」程の、すさまじい広さである。
北谷(チャタン)・嘉手納(カデナ)両町と沖縄市にまたがる広さなのだ。




1枚目の写真下の金網のフェンスから基地である。
そして、そこにある「農地」はコンクリートの高い塀との狭間にある。
「黙認耕作地」である。
元々、原野そして「農地」を接収して基地が作られた。奪われた農民が、あまり使われていない場所を、アメリカ軍の許可の元に耕作しているらしい・・
まさに、飴とムチなのかも知れない。
地代(返還後の地代はかなり良いらしい・・)をもらいつつ、耕作か?
しばし、広さに圧倒されて眺めた。
盛んにF-18が飛び立って行った。



読谷村(ヨミタンソン)に友人の「娘さん」が「陶芸の修行」で働いている。
26年前・あかんべ山コンサートが始まり、乳飲み子だった彼女も、あかんべ山で育ち、音楽を愛した。全国を相棒の「チエ」ちゃんと「歌の旅」をして回っていたが、今はこの職業を選んで3年か?
友人の娘であるが、一緒に音楽を作った、仲間でもある。
再会・・・をしに来たのだ。



人間国宝「金城次郎」氏一門の工房が、彼女の職場である。



懐かしい再会を果たして、しばし、消息を確かめ合う。
その後、普段見られない「登り窯」を見せてもらった。



鮮やかな「赤絵」の生活雑器で、酒が呑みたいと購入した。
工房の「おじい」は優しかった。コーヒーを入れてもらって、黒糖を食べた。
名残惜しかったが、仕事の邪魔をしてはと・・次へ向かった。



すでに12時ははるかに回っている。辺りをつけておいた「漁港」近くの「海産物レストラン」に向かった。
オリオンの生は旨かった。
シャコ貝の刺身も最高だった。




で、これには参った!
「田芋(ターンム)とスーチカーの塩炒め」「クブシミのゲソのバター炒め」
絶品!まだ、旅の途中・「泡盛」に行けないのが残念だった。
ちなみに、ビールは酒じゃないのよ・・麦スカッシュね。



どこにでも、「ブーゲンビレア」。




読谷村はアメリカ軍の、沖縄本土上陸の出発の地である。
残波岬を目印に、その南に雨のような砲弾を撃ち込み、上陸を果たす。
地上戦で追い詰められた住民は、このチビチリガマで「集団自決」を行う。
非難した140名・自決者83名・その内6割は18歳以下の子供であった。



圧倒する・迫る・押し寄せる空気がある。静かに手を合わせた。



その「残波岬」に行った。




紺碧の東シナ海が広がり、美しかった。
岩場では、地元に人が、ロープなどで身を結わえながら、釣りをしていた。
アタリはあるが、なかなか魚は上がってこなかった。

旅1日目は終盤・・那覇への帰路についた。



Oちゃんの希望で途中泡盛の蔵に寄った。



珍しい、地下貯蔵だ。その上が、見学や試飲の場所だ。
この、ベーベーの開けてくれた、泡盛のプールに飛び込みたかった。



ホテルで一息つき、シャワーやまったりの時間を過ごし、街に繰り出した。
土産の買い物を済ませ、宅急便で送った。

郷土料理「あんつく」で、食事となった。
「あんつく」は浜辺などに良く生えている「アダン」の気根(これがおびただしく伸びているのだ)で編んだ籠だ。通気性が良く、弁当など運ぶのに最適らしい。
店の名前の通り、僕らの弁当の時間が始まった。



昼に頭に詰まってしまった、沖縄の歴史と垣間見た現在から開放の瞬間でもあった。皆、ほっとして楽しそうである。



空腹に「泡盛」はきついので、「沖縄そば」・ミミガー・ナーベラーンブシーである。ここのへちま(ナーベラー)は濃い目の味付けで旨い。

僕は、昼間の疲れ・寝不足・肩こりで食欲が無く、厳しかった。
で、皆に別れを告げ、ホテルでマッサージにした。
皆とは、11時「与世山さんの店」で落ち合うとなった。
その後、彼らは2軒回って、1日で4軒のはしごだから、恐れ入った。

ホテルでマッサージは60歳超の「おばさん」だった。

おばさんはほぼ1時間、沢山の話をしながら、揉み解してくれた。

その沖縄の話しは、深く・そして「昼間の基地の沖縄」を考える、1つの広がりを与えてくれたのだ。
話しの要約は以下である。

1・戦争が終わって、日本はすぐ「よその国」に私たちを預けたでしょ。
2・アメリカのおかげで、生活ができたのよ。
3・犯罪も起きるし、飛行機も落ちるけど、人が集まり、飛行場があればどこも同じよ(奇しくも、セスナが岐阜に落ちたばかりだった)。
4・建設なども盛んだけど、みな本土の大きな会社が元で受けて、その下で働いているの。
5・基地が無くなったら、本土から大きなのが乗り込んで、またそこに使われるだけ。
6・地元の企業で大きいけれど、オリオンだって名護の広い土地を使いきれないよ。
7・基地に出て行ってもらいたいなんて人は、少人数、皆それで暮らしてるの。

であった。



基地はいらない!と僕は今も思っている。
でも、返還後の県民の暮らしへの「豊かな」ビジョンが示せないで、説得力も何も無いと分かった。

マッサージで頭は混乱したが、体は楽になった。

僕の最大の沖縄・・日本の奇跡に近いJAZZシンガー「与世山 澄子」さんに会う時間が来た。

11時にステージと、事前に聞いていて、「インターリュード」に向かった。



与世山さんは、楽譜を整理していた。



シーバスのロックを頼んだ。店には、彼女の沢山のステージ模様の写真が飾られていた。



程なく、皆と合流。2杯目は、シーバスのハイボール。4軒目のOちゃんは、すぐに夢の中に入っていった。



ピアニストのソロが2曲続き、与世山さんがステージに上がった。



昨年の、スタンダードやポップと違い、ブルースが大半を占めた。

今夜にふさわしい・・と思った。

体を突き抜け、あるがままにね、と身も心も包む歌が響いた。

また、彼女に会えて、奇跡と思えた。

12月21日には、心斎橋「そごう劇場」でリサイタルがある。
ちょっと、遠くて行けないな。大阪は沖縄より、僕には遠い。

ちょっと、インフォメーションだけしておきます。

12月21日・「そごう劇場」・PM6:30開演。
大塚善章(P)中山良一(B)上場正俊(Ds)
前売り・4000円

そごう劇場・06-6281-3111

ホテルに帰って、すぐベッドに滑り込んだ。
あっという間に、朝だった。
こうして、僕の沖縄の1日が、終わった。

コメント (16)    この記事についてブログを書く
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16 コメント

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沖縄 (LE)
2007-11-21 09:21:55
そうだねぇ、基地はなくして欲しいだろうと思うのは我々の考えであって、あまりにも戦後、基地を中心とした経済ができちゃったから、いまさらなくなったら後どうする、ってところはあるかもしれないね。とても観光だけでは生きていけないかもしれないしね。

沖縄ってあの素晴らしい自然と優しい人々がいるから、余計色々と考えさせられちゃいますよね!

特に読谷はね!
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基地に (mamaさん)
2007-11-21 10:00:00
依存しないと暮らしていけないのは聞いていた。悲しい現実。これといった産業が育ってないから苦渋の選択なんだよね?はたから見てわいわい言うのは簡単だけど、実際そこで暮らす人の気持ちを考えると、おこがましい気もする。当事者にならないと分からない事なんだろうなぁ。
返信する
確かに考えさせられる (RESANDO)
2007-11-21 12:46:10
たった、一日か二日で
これだけ盛りだくさんで、かつ纏まった記事が書ける。
という事は……
「当事者にしかわからない事情が色々ある」
と思いました。

実は向こうで書いてたんじゃないの?
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LEさま (オ サム)
2007-11-21 17:24:22
現地に行ったら、なるべく多くの、現地の方と会話、大事でした。

でも、良い人多いね。

自然はすごい。

また、年が明けたら行きます。
ね!F本さん。
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mamaさん (オ サム)
2007-11-21 17:25:26
まさに、その、課題を戴きました。

今回は、有意義なたびでした。
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RESANDOさま (オ サム)
2007-11-21 17:26:48
さすがに、飲むのが忙しく、書くまではね~

でも、タクシーに乗りながら、メモしまくりました。

写真も有効な、記録でした。
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オ寒さん (ダッフィー)
2007-11-21 19:12:53
いつもながら、微に入り細に入りの沖縄記事、感心いたします

それに比べると、私のブログはお恥ずかしい限り(苦笑)、酒ばっか(再苦笑)・・・
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本当の話 (○○○○)
2007-11-22 04:38:10
沖縄本島の砂浜は、何処も赤土やゴミで汚れ放題ですが、日本人が入れない基地の中の砂浜は、真っ白でそりゃあ、きれいなもんです。返還されたら三年と持たないでしょう。むしろ自然環境を考えたら、基地に賛成ですね。
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ダッフィー さん (オ サム)
2007-11-22 07:22:06
いやいや、あの注がれた「様々なオリオンのジョッキ」!

いかに沢山・いたる所で・飲んだか、見事な記録です。
泡盛シリーズはないの?
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OOOOさま (オ サム)
2007-11-22 07:27:53
再会・嬉しかったです。
僕と同じで、少し肥えましたね~
元気な証拠よ!

なるほど・・職業柄そんなとこ、行けるのね?

そんな考え方もあるか?

観光県を目指すと言うから、自然と暮し・諸刃の刃ですね。

今度は、もう少し早くの時間に会えたら、一緒に飲めますね。
あの時間、下痢で、ちょっと大変だったのです。
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