館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2024・おばぁスナック組の沖縄・その3「街中ぶらり」。

2024-07-02 04:25:08 | 旅は続く


名護の名木。「ひんぷんガジュマル」・・推定樹齢300年という国指定天然記念物のガジュマルの木。高さ19mの大木は、隣に立つ「三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ)」の形がヒンプン(屋敷の門と母屋の間に立てるついたて)に似ていることからそう呼ばれるようになる。覚えにくい碑については、説明が長くなるのではしょる。





徳田球一の生まれ故郷名護には、こんな碑も存在する。







那覇にある「てんぷら坂」。
1946年から51年の戦後カオスの沖縄。生きてゆけるだけの生活物資が配給されたわけでなく、人々は米軍キャンプからありとあらゆるものを盗み(盗品を戦果と称した)、砲弾・薬莢など拾い集め、それらが与那国を起点に台湾へ、台湾から沖縄に無いものが持ち込まれと・・・沖縄密貿易が盛んな時代があった。人々は「景気(ケーキ)時代と呼んだ。その戦果のモービルオイルで揚げたてんぷらがは食料不足の時代ごちそうだったという。今も、一軒だけ店がある。さすがにモービルオイルではない。







俺の憩いの場。彼らを連れてゆくのは初めて。露店のコーヒー屋「ひばり屋」。コーヒーにこだわるT県出身の佐知子さんのコーヒーは本当に美味しい。
真夏の島で、歩いた僕らは、アイスカフェオレが沁みた。





観たかった映画がかかっていた。観た!監督の挨拶付きだった。沖縄県に住む具志堅隆松さん(65)は自身を「ガマを掘る人」という意味で「ガマフヤー」と呼ぶ。30年以上にわたり遺骨収集ボランティアとして、家族の元へ返す取り組みを続けている。南部荒崎の遺骨がまだまだ混じる土を、辺野古の埋め立てに使うことに、強烈な抗議活動を続けている。そんな中身が、映画になっていた。組織を頼らず、彼が1人立ち向かう姿はに共感。



ずいぶんと、観光客が戻り、コロナで閉鎖されていた中国人目当てのドラッグストアも、また開いていたが、あのけん騒はなはだしい、中国人観光客はそれほどでもなく、日曜の歩行者天国は、歩きやすかった。



最終日は、奥様への買い物ツアー!



俺の御用達、乾物屋の「松本商店」。今回も鰹節・切り昆布・刻みキクラゲなど大量購入(10月いっぱいもたせなければならないのだ)。
初めて、泡盛の購入をしなかったな・・・



最終日、冷房の利いた楽園カフェで一息。

終日天気に恵まれ上等!

雨男ミネさんも、晴れ男ミッキーに勝てずだった。
コメント (7)
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