館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

豪華版SAグルメ100回記念!珍道中の長野道上り「梓川」・上信越道上り「甘楽SA」。

2020-12-17 04:30:33 | SAグルメ



与太記事が100回を迎えた。

梓川SAからの、常念岳の頂上は、雲がかかっていた。



こういうのが、とてもよく似合うお二人との珍道中の話だ。




長野に入ると、立ち食い系の蕎麦も絶品になる。
県境、横川SAはまず絶品、俺が認める3本の指に入る旨さだ。
そして、佐久・・・ここは、味が落ちた・てんぷらも小さくなった。

やがて、梓川・・・・麺のコシ・味の絡み良し・そして、汁の甘辛が絶品。
3本の指蕎麦なのだ!てんぷらが、個性を際立出せれば、チャンプのなれるかも?

そういえば、ここではせいごうさんは肉野菜炒め・・ミネさんは、俺と同じ蕎麦だったが、せいごうさんの定食のご飯も食べていた・・・




などと、昼飯を食いながら、長野県阿智村にある、日本で唯一の「満蒙開拓平和記念館」にやってきた。
残念ながら、館内は写真撮影不可。



突出!!まさに突出して「長野県」は満蒙開拓に送り込まれた人数が多い。比例して「悲惨」の数も多いだろう・・・
記念館奥の坂道を登る・・





自身も教師として満州に行き、苦難の逃避行から日本に帰る。
帰国後、中国残留日本人孤児の肉親捜しに挺身し、200人以上の孤児たちと肉親たちとの再会を実現させた人物であり、「中国残留孤児の父」と呼ばれる、山本慈昭さんのお寺に向かう。彼のその生涯を描いた「望郷の鐘」という映画を見た方も多いだろう。

記念館・・・まぁ、長野の方々が設立に尽力だから、やむ負えないが、長野がほとんどの展示含む館の資料・ビデオになっているわけだが、満蒙開拓は全国から送り込まれている。体験者、開拓一世達は、もはや生きている人も少ない現実だが、ここにしか、満蒙開拓を表現し伝える場所は無い。そこに、散在するまえに、全国から集められないだろうか、などと、力にもなれない部外者が、そんなことを勝手に語ることを許してほしいと祈りつつ、記しておく。



珍道中は、夜には宴を繰り広げる方々の渦の中に居た。

そして、帰路・・・・

昼飯は、上信越道上り「甘楽SA」であった。



わしゃ、無難に「カツカレー」。



このお方・・せいごうちゃんは、110キロを超える巨体を「炭水化物ダイエット」で20キロ以上もダイエットしたお方である。今、85キロの壁の前で、やや立ち往生である。
ここでは、から揚げ定食・・・・しかし、ご飯は食べない。



そのご飯とから揚げ1個は・・・ミネさんに渡る・・・・ミネさんも、ダイエットに取り組んで、何とか70キロ台に戻したいようだが、今80キロの壁の前で、何カ月も足踏み状態である。

まさに、セイゴウちゃんの「ミネさん肥育計画」なのであった・・・

ご飯がセイゴウちゃんから来るのでラーメンにした・・・と言っていた。壁はますます高くなって行くのだった・・・・




ここのエントランスの柱はすんばらしい!

コロナ下でなければ「頬刷り」なのだが・・今回はしなかった。

柱にはめ込まれた「大理石の板」には、本物の、ツノガイ類やら、アンモナイト類が,これでもか状態で入っているのだった。古生代オルドビス紀辺りか?
4億8000万年・・・・・・・前。
欲しい!!タガネと金づちで!!!!!!!!!!

こうして、我々は、学習を重ねながら、珍道中を行ったのであった。

16日の2m圏内接触者。

濃厚接触・女房・・・・・・・・・・1名。
会社(立ち話)・吉・永・大・小・・4名。
すき家ベーベー・・・・・・・・・・1名。

コメント
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