小田氏治(うじはる)・戦国最弱9度落城しても死なない男【常陸の不死鳥】・・・などと、最近話題の戦国武将が居た。
その居城であった「小田城」は茨城県つくば市にある。
1935年には国の史跡指定を受け、2009年から7年かけて、つくば市によって発掘調査をもとに、本丸跡とその周辺が復元整備されている。
まだ、若い、復元史跡だ。
南北朝時代、1339年、南朝方の北畠親房が招かれ、小田城にて「神皇正統記」を執筆したのは有名。
このように小田城が南朝側=現在の天皇の先祖に協力した「勤皇」の象徴ということで、恐らく天皇の為にと、軍事力拡大する軍部の国策的意図によって、昭和11年(1936年)に、小田城は国指定史跡に指定されたと、この早い時期での指定は見るべきだろう。(ここらは、当然パンフなどには記載はない)
21世紀になって予算が付いたか?案内所もあり、ちょっとした資料館になっていて、写真のような豪華なパンフが無料だ。よだれが出そうな、「つくば市遺跡地図」なども無料で、うれしかったぜ!
小田氏は鎌倉から戦国時代まで400年、常陸(ほぼ茨城のすべてか?)を治めた一族だ。
築城時期は不明ながら、鎌倉時代後半には、存在が確認されているようである。
その小田氏・・14代政治から15代氏治の時代が(1531年生まれ)全盛だったようだ。
古き中世の城は、館である。その平城は、堀をめぐらし、土塁こそ築かれているが、あまり高くなく、防御能力はかなり低かったと思う。
優雅な風景が想像できるが、戦の匂いのする山城とはどうも一線を画すな。
氏治・・・9度落城しながら、取り返すなどと、歴女・・歴史漫画の世界では愛されるキャラのようだが、小競り合いを数えて9回?確かな資料では2度は奪還・1度は開城・4度目の「手這坂合戦」後には本拠地小田城は取り戻せなくなって、土浦城などに居城したようである。
菅谷政貞(すげのや まささだ、永正15年(1518年) - 文禄元年(1592年)などの、優れた部下の存在・そして農民たちに「しょうがねぇ殿様だなぁ・・だが、あの人が領主がいいなぁ・・」などと、慕われたのが、何度かの奪還やら、その後も武将として生きながらえたゆえんのようだ。
広大な縄張りの一部、本丸周辺のみの復元だ。だが、高台から見渡せば、周辺のしろの跡の遺構である段差など見て取れる。
ライブ前、時間があったえ立ち寄ったが、ここは弁当でも作って、4・5時間は周辺を散策するに値する場所だ。
来年は、弁当だぜ!!