歴史的にも沖縄は1つではない。いわゆる本島と八重山諸島の葛藤は今も、心の奥底で火照り続けている。
宮古も石垣も、1500年代に琉球王朝の侵略を受け、属国となった島々だ。
様々な制約を受けるが、その最たるものは「人頭税」による収奪だった。その過酷さは壮絶だったようだ。これは収入や土地に関係なく、1人辺りの納める税金は変わらないというもので、収入がない年などは支払うことが困難になるというものであった。
江戸での年貢が、5公5民・・悪徳領主が6公4民なんぞにすると、一揆が起きなん。
この人頭税、平均貢租率が8公2民と言われるほどの重税で、この制度は廃藩置県後も旧慣温存策により存続したが、1903年(明治36年)やっと廃止、日本本土と同様の地租に切り替えられた。そんな記念碑が八重山のあちこちにある。
第二次世界大戦時、八重山諸島においては米軍の上陸こそ無かったものの、空襲や艦砲射撃による攻撃を受けた。その中で、一部地域で住民の疎開が行われ、しかもマラリアの発生する地域に移住させられたために、多くの人がマラリアに罹患し、多くの死者を出した。これが戦争マラリアと呼ばれる。
宮古島では、日本軍による飛行場建設のために強制移住。沖縄本島では、1945年5月下旬に日本軍第32軍が司令部のあった首里を離れ本島南部方面に敗走したため、大本営は指揮能力が失われたと判断、八重山軍を第32軍の上級部隊である台湾所在の第10方面軍の直轄下に移した。第10方面軍は沖縄本島地方の戦闘が終結に近いと見て、次に八重山が攻撃を受ける可能性が高いとの判断から、官民の移動が必要と考えマラリアの発生地域への強制移住・・などなどであった。
戦闘での死亡をはるかに超えて、マラリアで亡くなった方が多いのが八重山地方だ。特に石垣・西表が発生地域で、そこに移住させられたわけだ。
八重山列島での犠牲者数は、八重山民政府衛生部発行の資料「1945年戦争における八重山群島のマラリアについて」(沖縄県史所収)では全人口31,671人に対して3,674人とされていたが、竹富町による1995年の調査では3,825人とされる。7月23日引き揚げが許されたが、9月一杯まで犠牲者は続いた。
写真の八重山平和祈念館は石垣にある。すさまじい戦争の爪痕が記録展示されているが、このマラリアについての展示は圧巻だ。
ちなみに、道路を挟んで反対側に「具志堅用高記念館」もあるのだが・・・
マラリアについては、波照間が悲惨を極めた。波照間住民のマラリア罹患率は99.7%、死亡率は30.09%との記録がある。つまりほぼ全員が罹患し、その三分の一弱が死亡したのである。
移住させられた波照間の校長が、帰還を許されたとき、西表の南風見田にあった石に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻み込んだ。これが今も残る写真の忘勿石(わするないし)である。
こうした軍の横暴は、石垣でも西表でも波照間でも、偽名を使い侵入した、中野スパイ学校の工作員達の仕業である。
さて、簡便にならない駄文が続いてしまった・・・
話はぐっと変わる。空港には歓迎のアーチなどかかるが、那覇なら「めんそーれ」だが、八重山の石垣では「おーりとおり」でようこそなのだ。
石垣では有名な「トニーそば」、ヤギ汁「ひーじゃー汁」が食える。高齢だったがまだ健在らしい・・・あのハチマキじいさんがトニー!赤木圭一郎命の爺さんで、店にも外観にもトニー!!
話は西表に変わる。
オフシーズンなら、こうしたコテージが結構安い。
海と亜熱帯雨林しかないですから・・・・日がな泳ぐか、こうしたネイチャーツアーがおすすめ。カヌーで行って、ガイド付きの亜熱帯雨林の散策が面白いでよ。
カンムリワシが飛んでいたり・・・
木登りトカゲが居たり・・・
タイワンサソリモドキに出会えるのだ。
タカサゴシロアリの巣もあるでよ。
イリオモテヤマネコには出会えなかった(夜行性だし)が糞は見られた。
このサキシマスオウの木などすごい迫力。板根(バンコン)が素敵。
普通に野良ヤギが居ます。
さて、今度は「竹富島」に飛びます。
集落のほぼすべてと言ってよい道路は、サンゴの白砂が敷き詰められ、毎日住民の手で掃き清められます。
景観保護に、一番力を入れている島かもしれません。この景観保護のため、最近は「入域料」300円の徴収が始まりました。
いいと思うぜ。
拝み・祈る場・・御嶽(うたき)が多いのも特徴。小さな島に拝所は86カ所あり、その内、御嶽と呼ばれるものは28カ所ってんだから、犬も歩けばうたきに当たるのです。
♪サァ 安里屋(あさどや)ぬ クヤマによ サー ユイユイ あん美(ちゅ)らさうん 生(ま)りばしよ マタハリヌ チンダラカヌシャマヨ♪
安里やユンタに歌われた、「クマヤ」という美女?の墓もあります。あまり観光客は行かない海辺で、ボォーと生きてると見逃します。
沖縄、特に離島では子どもたちがとっても人なつこく、心が豊かになります。
さて・・この小さな船で、波照間島にいきませう!揺れますよ~~わし、後5分で、コマセを撒くところでした。
沖縄と言えば「黒糖」です。サトウキビ(ウージ)は台風の多い島では、育ちながら、下の方は地を這うように曲がり、そこから立ち上がります。
石垣や本島のような大規模の畑では、機械で刈り取ります。
ですが、その地を這うように曲がった根元付近の一番太い30センチほどは機械で刈れず捨て置かれます。
小さな島では、バッグパッカーなどがアルバイトで集まられ、1本ずつ鎌で手刈りされます。一番おいしい部分も刈られ、黒糖になります。
市場などでも、こうした黒糖は一ランク値段が高いですが、間違いなく美味しいです。
波照間産黒糖は、県内でもブランドです。
そして、島で買えば200円程度(一袋)・・それが石垣に行くと250円・・本島では300円以上・・・空港売店ではもっと高くなります。
おもに、輸送費が乗るのでしょうか?
のろし台ですなぁ・・・あまり歴史的遺産は残されてないかな?波照間は。
島は当然ですがコンビニは有りません。ジェネラルストアもありません。集落の住民が共同で出資・運営する「共同売店」が午前と午後に数時間あくのです。
島の民宿は、食事を提供するには免許など、厄介なものが介在するので、食事を提供しない民宿が多いです。
僕の泊まった民宿は、おばぁが豆腐やさんをやっていて、おじいは漁師なので、夕飯には個人で用意した食い物の他に、出来立ての豆腐がご自由にとなっていて、海が時化なければてんこ盛りで、魚の刺身が出ます。朝は売店で消費期限が過ぎたパンとマルちゃん赤いキツネでした。
日本最南端の海は絶壁で、吸い込まれそうな碧(あお)でした。
波止場の八重山そばは、沖縄で食べた一番美味いそばでしたが、今は残念ながら今は、閉店しているようです。
島唐辛子を古酒に漬け込んだ調味料・・コーレーグースが沖縄では食堂には必ずあります。
ちなみに、昔は買っていたのですが、今は、島唐辛子を栽培して、自分で作っています。
戦争と隣り合わせの島は、一番憲法9条を大事にしているかもしれません。
情けな僕は、島に行くと、必ず反省を試みます。
続く・・・・のかぁ?