昔はおしゃれな街だったが・・・今の六本木は下卑た街になったなぁ・・
と・・・ほどなくお目当てのライブハウスに到着。
時々、無性にJAZZを聴きたくなる。今日は、原田俊太郎一座を聴きにやってきた。
ハーフ&ハーフでのどを潤し・・・ボリュームたっぷりのピザで小腹を落ち着かせる。
やがて、演奏が始まるのだった・・・
嶌田 憲二 しまだ けんじ (Bass)
京都ANミュージックスクール卒業後,1993年奨学金を得てボストン・バークリー 音楽院に入学。在学中、ジェーリー・バガンジー(sax)、ジョー・ハント(ds) ピーター・アスキン(ds)らと共演。 96年には、John Neves Memorial Schlarship をバークリー音楽院から受賞。
嶌田さんには、俊太郎ライブを館林でやった時、来ていただいたので、会うのが楽しみだった。
館林では、堅実なウオーキングが印象に残っているが、このステージでは、ワイルドに、縦横無尽にベースが響いて、参ってしまった。
今回のライブでは、嶌田さんが俺の頭の中の70%ぐらいをしめてしまって、最高だったぜ!
紅野 智彦 (こうの としひこ)・・1971年7月23日 東京生まれ 獅子座 O型
中学時代、ブラスバンド部でトランペットを演奏する。その頃、父親の持っていたビル・エバンスのファーストアルバム「New Jazz Conception」を聴いて、ジャズピアノに興味を持ち始める。
高校時代はバレーボール部に所属。そのかたわらジャズのCDを買いあさる日々を送り、ますますジャズにのめりこんでいく。
その後、大学入学と同時に独学でピアノを始める。自分の大学にはジャズ研が無かったため、自宅近くにあった大学のジャズ研のスタジオに忍び込み、一人で練習、という暗い青春時代を送る。
2000年、中村誠一(ts)バンドで本格的に演奏活動を開始し、その後、小林陽一(ds)&グッドフェローズに加入する。他に、大坂昌彦(ds)、太田 剣(as)、大森 明(as)、小川高生(as)、高瀬龍一(tp)、多田誠司(as)、山田 穣(as)等のセッションに参加するなど、精力的に活動中。
などと、ググったら自己紹介があった。
僕は彼を聴くのは初めてである。この自己紹介を読めば「お茶目」な方?と思いきや・・・・
ピアノはリリカルで、抑揚の効いたものだった。バラードに力を発揮の方かもしれない・・・
べーべーと一緒に聴くのにGOODなピアノだった。
原川 誠司 (Seiji Harakawa)
熊本市出身。
15歳の時saxを始め、大学卒業後に演奏活動を開始。アフロブルーやおくらなど、地元のジャズクラブでライブ活動をする。2005年に渡米、ニューヨークに移る。
以後、Benny Powell(Tb), Bernard Purdie(Dr), Jackie Williams(Dr), Jimmy ormworth(Dr), James Zoller(Tp), Fukushi Tainaka(Dr), Mark Gross(As), Pat Bianchi(Org) らと共演、もしくはセッションを経験する。
またIridium, Kitano Hotel, Garage, Cleopatra’s Needle 等のジャズクラブに出演。
2010年秋に帰国し活動拠点を東京に移す。2011年2月に小林陽一&Japanese Jazz Messengersのクインテット結成35周年ライブに出演、同年10月は横濱ジャズプロムナードに岡崎好朗スペシャルクインテットで出演。
このサックス氏も僕は初めて聞くのだが・・やはりググるとこのような紹介のあるかただ。
テクニシャンであった。音のルーツをたどれば、レスターヤングか?
さて、おいちゃん!原田俊太郎は相変わらず、見事にバンドを鼓舞し、美しいシンバルレガートを奏でていた。
多分、正月に呑んだのが最後なのだが、フェースブックとか、電話とか、アクセスがあるので、しばらくぶりに会った気がしない!
結構お客さんで埋まって・・・わしゃ、2SETの1曲目を聴いて(チックコリアのバド・パウエル)お上りのお決まりのホテル近くでの「呑み」に向かった。
そういえば、久々の再開おさしんも撮った・・・
およそ、安い中華屋か、この焼き鳥屋なのだが・・・・
中華は満席で、ここはカウンターが空いていたので、こちら・・・・
ゲソわさと焼き鳥があれば、天下無双!
この焼き鳥についてきた「柚子胡椒」が美味いのなんのって・・・舐めました!
こうして、久々のお上りは、千鳥足で終わったのだった・・・・
翌朝、ホテル周辺を散歩。
京橋図書館はいい面構えだ。
こんな店があったのね。
また、来年かな?
俊太郎JAZZ!!!!!