沖縄は、水の確保が大変だった・・・飲み水・・そして用水も。
今は、さすがに、ダムなどもしっかりと出来て、飲み水、用水を含め心配は無いのだが、それでも離島はまだ、節水の意識はしっかりしていて、雨水の上手な利用などなされている。
沖縄を水から見学してみると、人間と真水なんて、大それた考察も面白いのだった。
連載第四回は、そんな与太記事なのだ。
伊江島・・村指定の民族文化財の「ミンカザントゥ」・・・・雨水を天然石を利用して溜めておいた施設。
飲み水に・・・そして、時には農業の用水に使ったようだ。
あんちょこでなく、風雪に耐えるその部材と造りで、水への渇望が感じられるわな。
絶景と、自然の造形で、伊江島の観光資源の1つになっている湧き水地帯。
沖縄では水の湧くところはかなりの場所が観光名勝になっている。
そして、井戸は「水の神」の宿る神聖な場所として、いまだに拝礼の場所でもある。
ここは東シナ海。絶景・・・絶壁なのだ。崖はほぼ90度のような絶壁で、眺めは美しい・・・・この海辺には、真水が湧いているようだ。
眼下の施設は、貴重な資源で、今も使われているのかもしれない・・・・降りられるようだが、今回はパス。次回は降りるに違いない。
さて、やってきたのは伊江島から戻って沖縄本島。
沖縄県糸満市米須・・・南部にやってきた。
この写真の道路を挟むこんもりとした場所・・・・
沖縄貝塚時代後期前半とあるから、本土の古墳時代後期あたりだろうか?まあ、500年頃?
貝塚の跡を見に・・・といっても、看板と地形のみ・・・だが。
純粋にこの貝塚の立地環境など見たかっただけだが、もはや僕のありがたい相棒のような運転手S氏が、側にある沖縄ならではの「ダム」の所在を教えてくれた。
これで、この貝塚の立地が、物の見事に氷解したのだった。
「命水・・ヌチグスイ」!沖縄では水は命の水のように大事にされている。(ちなみにスコットランドでは、命の水と言えば、ウシュクベ・・ゲール語を訳せば命の水・・・ウイスキーだわさ。)
本土の石灰岩と違い、沖縄の「琉球石灰岩」は多孔質で雨水を通してしまう。河川があまり無いのもこうした地質だからだ。
岩盤を通ってしまう水は、地下の不透水層(島尻層)までくると、それ以上しみこめないので、層に沿って流れ、地下の水脈になる。鍾乳洞とその中の地下水脈を想像するとよい。
その横への流れが地表に出た場所で、湧き水・井戸となって地表にわきでるのであった。
最初の伊江島の湧き水(ワジー)がそれだ。
そこで、地下の不透水層まで止水堰を作り、地下のダムを作った施設がこれである。止水と海水の浸入を両面でくいとめたわけである。
1979年宮古島の「皆福地ダム」がかんがい用水のための世界最初の地下ダムだ。
この糸満のダムもこのダムなのだ。
ダム全景。
ダム周辺からはまだまだ、湧き水が貝塚の下を通って海に湧き出している。
この水は海のヘリなのだが、飲んでみたら本当に真水だった!
貝塚の時代、海の幸があり、バックヤードは森が茂り、そして豊富な湧き水がある・・・この立地、まさにだな!
はるか太古から、この水を使い続けているんだねぇ・・・・ここは、今回の旅の、印象深い場所であった。
さて、糸満の市街地にやってきた。前回運転手S氏が案内してくれた「山巓毛 (さんてぃえんもう)」・・ハーリーの合図の旗が振られる場所。
戦時下には、国旗掲揚台及び防空監視哨台があった場所だ。
ところが、その後前回旅の後、ここは歴史上大事な場所と知ることになる・・・
「14~15世紀の三山(さんざん)時代に、南山(なんざん)最後の王の他魯毎(たるみい)が、中山王(ちゅうざんおう)尚巴志(しょう・はし)の攻撃を受け、妻子ともに自害した場所と分かる。展望台の南斜面には、いくつかの門中の墓と共に、他魯毎(たるみい)の墓があると知り、再訪となった。
1400年頃琉球は3つの勢力が群雄支配して、まだ統一されていない。北は今帰仁を居城とする「はんあんち」が握っている。
中山・・は浦添・首里を中心に第一尚氏が握り、南山のここにはタルミイが支配していたのだった。
タルミィの墓から程なく・・彼の支配地域「大里」に嘉手志川(カデシガー)がある。南山の百姓達に恵みをもたらし、経済の源を生む貴重な泉だった。
統一した王朝の正史には、「誉れ高い尚巴志は物欲の深いタルミィに尚巴志は美しい金屏風を持っていた。タルミィが欲しがっていたこの金屏風とこの泉の交換を持ちかけ、交換する。カデシガーを失った大里の百姓は困り、尚巴志は、みずからに従うものにだけ泉の使用を許した。」こうして民心は離れ、1429年南山は滅びたとある。
いかに、タルミィとて、泉の価値は分かっていたろう。金屏風との交換話は眉唾だんべさ。
まあ、時の支配者の書く歴史は嘘八百が多いが、国の滅びに、こんこんと湧く良質の水があげられる沖縄の水であった。
しかしまぁ・・琉球王国の外交文書の記録集「歴代宝案」には、明に1430年、金屏風など贈った記録があるから、金屏風はあったらしいねぇ。
泉は、今も、こんこんと湧き上がり、子供達の絶好の遊び場であった。
豊かな水の惑星・地球・・・・最近は放射能が垂れ流され、ますます汚れ続けている。
♪海を汚すなよ 水に流すなよ 私は恥ずかしい♪・・・・笠木透。
今は、さすがに、ダムなどもしっかりと出来て、飲み水、用水を含め心配は無いのだが、それでも離島はまだ、節水の意識はしっかりしていて、雨水の上手な利用などなされている。
沖縄を水から見学してみると、人間と真水なんて、大それた考察も面白いのだった。
連載第四回は、そんな与太記事なのだ。
伊江島・・村指定の民族文化財の「ミンカザントゥ」・・・・雨水を天然石を利用して溜めておいた施設。
飲み水に・・・そして、時には農業の用水に使ったようだ。
あんちょこでなく、風雪に耐えるその部材と造りで、水への渇望が感じられるわな。
絶景と、自然の造形で、伊江島の観光資源の1つになっている湧き水地帯。
沖縄では水の湧くところはかなりの場所が観光名勝になっている。
そして、井戸は「水の神」の宿る神聖な場所として、いまだに拝礼の場所でもある。
ここは東シナ海。絶景・・・絶壁なのだ。崖はほぼ90度のような絶壁で、眺めは美しい・・・・この海辺には、真水が湧いているようだ。
眼下の施設は、貴重な資源で、今も使われているのかもしれない・・・・降りられるようだが、今回はパス。次回は降りるに違いない。
さて、やってきたのは伊江島から戻って沖縄本島。
沖縄県糸満市米須・・・南部にやってきた。
この写真の道路を挟むこんもりとした場所・・・・
沖縄貝塚時代後期前半とあるから、本土の古墳時代後期あたりだろうか?まあ、500年頃?
貝塚の跡を見に・・・といっても、看板と地形のみ・・・だが。
純粋にこの貝塚の立地環境など見たかっただけだが、もはや僕のありがたい相棒のような運転手S氏が、側にある沖縄ならではの「ダム」の所在を教えてくれた。
これで、この貝塚の立地が、物の見事に氷解したのだった。
「命水・・ヌチグスイ」!沖縄では水は命の水のように大事にされている。(ちなみにスコットランドでは、命の水と言えば、ウシュクベ・・ゲール語を訳せば命の水・・・ウイスキーだわさ。)
本土の石灰岩と違い、沖縄の「琉球石灰岩」は多孔質で雨水を通してしまう。河川があまり無いのもこうした地質だからだ。
岩盤を通ってしまう水は、地下の不透水層(島尻層)までくると、それ以上しみこめないので、層に沿って流れ、地下の水脈になる。鍾乳洞とその中の地下水脈を想像するとよい。
その横への流れが地表に出た場所で、湧き水・井戸となって地表にわきでるのであった。
最初の伊江島の湧き水(ワジー)がそれだ。
そこで、地下の不透水層まで止水堰を作り、地下のダムを作った施設がこれである。止水と海水の浸入を両面でくいとめたわけである。
1979年宮古島の「皆福地ダム」がかんがい用水のための世界最初の地下ダムだ。
この糸満のダムもこのダムなのだ。
ダム全景。
ダム周辺からはまだまだ、湧き水が貝塚の下を通って海に湧き出している。
この水は海のヘリなのだが、飲んでみたら本当に真水だった!
貝塚の時代、海の幸があり、バックヤードは森が茂り、そして豊富な湧き水がある・・・この立地、まさにだな!
はるか太古から、この水を使い続けているんだねぇ・・・・ここは、今回の旅の、印象深い場所であった。
さて、糸満の市街地にやってきた。前回運転手S氏が案内してくれた「山巓毛 (さんてぃえんもう)」・・ハーリーの合図の旗が振られる場所。
戦時下には、国旗掲揚台及び防空監視哨台があった場所だ。
ところが、その後前回旅の後、ここは歴史上大事な場所と知ることになる・・・
「14~15世紀の三山(さんざん)時代に、南山(なんざん)最後の王の他魯毎(たるみい)が、中山王(ちゅうざんおう)尚巴志(しょう・はし)の攻撃を受け、妻子ともに自害した場所と分かる。展望台の南斜面には、いくつかの門中の墓と共に、他魯毎(たるみい)の墓があると知り、再訪となった。
1400年頃琉球は3つの勢力が群雄支配して、まだ統一されていない。北は今帰仁を居城とする「はんあんち」が握っている。
中山・・は浦添・首里を中心に第一尚氏が握り、南山のここにはタルミイが支配していたのだった。
タルミィの墓から程なく・・彼の支配地域「大里」に嘉手志川(カデシガー)がある。南山の百姓達に恵みをもたらし、経済の源を生む貴重な泉だった。
統一した王朝の正史には、「誉れ高い尚巴志は物欲の深いタルミィに尚巴志は美しい金屏風を持っていた。タルミィが欲しがっていたこの金屏風とこの泉の交換を持ちかけ、交換する。カデシガーを失った大里の百姓は困り、尚巴志は、みずからに従うものにだけ泉の使用を許した。」こうして民心は離れ、1429年南山は滅びたとある。
いかに、タルミィとて、泉の価値は分かっていたろう。金屏風との交換話は眉唾だんべさ。
まあ、時の支配者の書く歴史は嘘八百が多いが、国の滅びに、こんこんと湧く良質の水があげられる沖縄の水であった。
しかしまぁ・・琉球王国の外交文書の記録集「歴代宝案」には、明に1430年、金屏風など贈った記録があるから、金屏風はあったらしいねぇ。
泉は、今も、こんこんと湧き上がり、子供達の絶好の遊び場であった。
豊かな水の惑星・地球・・・・最近は放射能が垂れ流され、ますます汚れ続けている。
♪海を汚すなよ 水に流すなよ 私は恥ずかしい♪・・・・笠木透。