空弁の今のところ一番好きなのは、崎陽軒の「しゅうまい弁当」・・・など出発ロビーで食べつつ。
女満別空港ついた。
北海道にやってきた。
ずばり!旅の目的は①放射能を気にせず思う存分渓流の釣りを楽しむ。②血のつながらない弟ということになっているO氏と北海道での再会・夜の豪遊。③僕のライフワーク的な「日本人はどこからやってきて、日本人になったか?」その歴史を探訪するだ。
と、初日は午後3時着だったので、③の目的地、網走にやってきた。北の漁港を見るのは初めてだった。
オホーツク文化最大の遺跡・・「モヨロ貝塚」にやってきた。
本州で古墳時代が始まったころ、北海道ではアイヌ文化の交流以前に、こつ然と現れ、オホーツク海域を結ぶ貿易圏の興隆・その担い手となった人々の痕跡が確かめられる場所だ。流氷とともにやってきて、流氷とともに消えた・・などと形容される民族が存在し、暮らしを営んだ場所に立った。
本州の土器とは姿を明らかに異にし、薄く、ち密でおしゃれな文様だった。
わしゃ、1つほしいぞな・・・
縄文・弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸・・・僕らは教科書でそのように日本人の歴史を学んできた。
その時代区分が、如何にうすっぺらで、多様性やら、本来の日本の姿を反映していないか・・・いまさらながら、沖縄や東北・北海道の埋もれた土の中から見出された文化の証を見ると思う。いまだに僕の教科書のような歴史観で日本人の歴史を教えるとすれば、そのテキストは「化石年代のテキスト」だぜ!
北海道は、旧石器の時代を過ぎ、縄文の時代がその担い手たちによって作られる・・・その文化は「続縄文」を経て、アイヌの文化となり、明治以降の本土からの侵略で蹂躙されてゆくわけだ(少しおおざっぱに言えば、明治までずっと古代のような生活スタイル・文化が続いたわけだ)。その続縄文からアイヌへの間に、ここの担い手の民族の隆盛があったんだな。
こうした文化の移行は、民族が征服されるという姿ではなく、緩やかな混血や、風土にあった暮らし・その技の力で行われたのだろうと、想像できる。
明治維新、日本列島の南北にあって、弥生時代以来、二千数百年のあいだ独特の文化を生み育ててきた社会は、中央権力の支配下に完全におかれる。本州島の「夜明け」は、北海道と南島文化のたそがれとなった。・・・・田中琢・1987年・日本列島の中の異国・集英社より・・
五角形の大きな竪穴住居に圧倒。多人数のチームによる海の狩りが、想像できる。
食べた残滓のゴミ捨て場・・・貝塚もそのまま見れる。
写真はOKなのもGOOD!
発掘した跡地を巡るように散策の道があり・・・(アシグロタケなども生えていて)
住居跡の発掘穴など整備・・・・ここまで掘って、遺跡が出たのか・・・とか、広さとか、いい感じの見せ方であった。
貝塚館は、2013年5月に改築・・・その立派さは、国から結構な予算をひぱったのがわかる。
建てるお金は出る・・・問題は、維持費は自治体にかなりの負担になって今後続く・・のはどの施設も同じ。
道内の人たち・・そして観光客も、ぜひ1度は見ておくべき場所だと、俺は思うね。
網走から北見を目指す我らの前に、美しい虹が現れた。
明日からの釣りを祝福する・・・そんな予感とともに、イケちゃんと北海道海坊主、O氏の町北見を目指したのだった。