土曜は音楽だが・・・・
自前で、しかも、妙に長い・・・・
言いたい事を簡便に書ける方が、うらやましい限り。
まあ、フォークに興味にある方は是非。
G県高崎・・今や県庁所在地より、盛っているらしい高崎まで、ロストべーべー2人をつれてやってきた。
映画を観るためだ。
その映画はこんな歌から始まった・・・・GO!クリック!
あのオールドタイムミュージックを21世紀再度ブレイクさせた「OH!ブラザー」のコーエン兄弟の監督・脚本・プロデュース作品なので、上映をまちにまっていたのだった。
ちなみに、発売されてすぐサントラを購入して、音楽の素晴らしさをすでに堪能していたので、興味にさらにプレミアがついていた。
ミュージシャンとして、成功を夢見、内面からあふれる音楽を歌っていたシンガーが、当時流行の兆しのあったフォークのライブハウスでひたすら歌う。
寝る所さえなく、知り合いのアパートを転転とする日々。今日の宿を求めて、友人が歌うライブハウス「ガスライト」に今日も行く。
まだ、無名のやはり彼のようなフォークシンガーたちがステージに立っている。
兵役中で売れていないトム・パクストンが歌い、やはり売れていないPPMになる2人がトムと一緒に「500マイル」を歌う・・そんなシーンが良かったぜい。(実際でもトムたちは食うに困って、PPMのポールと共同生活してたあたりがこのシーンを作らせたんだろうな・このシーンの2年後「ランブリングボーイ」がブレイクしトムはやっと食えるようになるのだった)
お金には困る・・お金のために声のかかった、コマーシャルな仕事のもついてみるが、自分の信念を曲げることはできず、街をさまよう・・
それでも、結局彼は信念を曲げず、あふれ出る歌を歌い続ける・・・やがて、そんな彼に影響され歌い始める若者が続き・・新しい時代がすぐそこまでやってきているのだった・・・主人公の見つめるガスライトのステージに、彼を敬愛し影響を受けた若きボブ・ディランが歌うステージが、エンディングを用意して、「新しい時代」・・そんなことを感じさせて、映画は終わるのだった。
こう書いても、なんのこっちゃ?に違いない。
この時代の背景や、モダン・フォークの生まれる時・・を、ある程度理解していないと、この映画は骨までしゃぶれないと、僕は思ったな。
連れて行ったベーベーも、帰りの車で、各シーンや、音楽の背景など話したら「聞いてから見たかった!」と、感想をもらしていたぞな・・・
彼女たちは今、サントラを聴いているらしいぜ。
この映画の背景はわくわくするのだった。
この映画は1960年のニューヨーク・・グリニッジ・ビレッジが舞台だ。
どんな時代だったろう?
いまだ、黒人に基本的人権たる「公民権」が無い。そして、55年、1人の黒人少女ローザ・パークスは、満員のバスで運転手に「白人に席をあけろ」と言われ、それを拒否する。そして、逮捕される。抗議の行動が呼びかけられ、多くの人々がバスを使わずひたすら、何日も歩き続けた。この運動はバス会社の破たんの危機になり、裁判でモンゴメリーの人種隔離政策の違憲判決となってゆくのだった。いわゆる「モンゴメリーバスボイコット」だ。
そうしたムーブメントはやがて、オールアメリカの有色人種の「公民権」の確立の運動となる。あのマーティン・ルーサー・キング氏の呼びかけで始まった63年の「ワシントン大行進」は20万人以上の大行進となって、64年の「公民権法」の確立と結実するのだった。
そして、アメリカは65年の、ベトナム戦争への本格的参戦・・北爆・・と、泥沼に入ってゆく。
公民権を勝ち取った力は「ベトナム反戦」へとまた、続くのだった。
この運動の中には常に歌があった・・・それは、父や母が歌ってきたフォーク(民謡)であったり、そこからメロディーを借りて、その場にあった新しい詩を付けた生まれたてのフォークだったりだ。その新しいフォークが生まれたてのある場面を切り取って、この映画は作られた。
((なんだか、見てきたように書くのだが、ちょっとマニアックなので、フォークに興味の無い方は、以下流されたい。))
いわゆる伝承音楽の紐帯をおびた「トラディッショナル・フォーク」・・・それらを、モダン・フォーク・・たとえばディランやPPM,バエズらに代表されるような若きフォークシンガーへの橋渡しをするのは、P・シーガーやウイバーズ、ウッディ達だ。
そして、58年ころから盛んになるフェスティバルや「コーヒーハウス」「ガスライト」のようなフォークライブハウスが、推進役を担う。
フェスで言えば、58年バークレイフォークフェス・・61年にはシカゴフォークフェス・・・この映画のシーンの前年59年から始まる歴史的イベント「ニューポートフォークフェスティバル」がこのフェスブームの頂にそびえる。
そのニューポートフォークフェス・・・その59から60年の出演者・・P/シーガー・オスカーブランド・イワンマッコール・ペギーシーガー・バエズ・ジーンリッチ・JJナイルス・パットクランシー・JLフッカー・アランニルス・エリックワインズバーグ・ジミードリフトウッド・ニューロストシティランブラーズ・シスコヒューストン・エドマッカーディー・オデッタ・フラット&スックラッグス・・・などなどが浮かぶ。
61年62年はフェスで公園が荒れるとの住民の抗議で中止になるが、フェスの主催者側は、「営利の廃止・・文化としてのフォークフェス」を前面に訴え、見識があり、民衆の信頼のあついP/シーガーやエリック・ダーリングなど7人のフォーク歌手による運営委員などの組織を整え、63年に理解を得て復活するのであった。もはや、フォークが再燃し、新しい(モダンな・・)姿で広がりを見せ、やがて世界中を巻き込む勢いなのだった。63年・・MJハート・ルーフトップイシンガーズ・イアンとシルビア・バエズ・ディラン・ジャッキーワシントン・ジュディコリンズPシーガー・まあ、数えたらきりがないかねぇ・・この中に、この映画のモデル、ディブ バン ロンクももちろん出演してたねぇ・・・。
生まれようとする新しいフォークは、民衆の・・名もなき人々の権力からの解放をどこかにしっかり据えて、批判精神を持って生まれたのだ。
だからこそ、当然のように「反戦」でもあったのだった。
モダンフォークは、甘ったるい感傷など、玉石入り混じってはいたが、こうした公民権や反戦の民衆のデモクラシーが支え、支持し、また、訴えの武器にした音楽なのだった。
ここいらが、あかちょうちんや、Yたくろうなんぞの、形だけまねた、我が国のエセフォークやニューミュージックとの大きな違いかねぇ・・・
長々と書いちまったぜ!
自前で、しかも、妙に長い・・・・
言いたい事を簡便に書ける方が、うらやましい限り。
まあ、フォークに興味にある方は是非。
G県高崎・・今や県庁所在地より、盛っているらしい高崎まで、ロストべーべー2人をつれてやってきた。
映画を観るためだ。
その映画はこんな歌から始まった・・・・GO!クリック!
あのオールドタイムミュージックを21世紀再度ブレイクさせた「OH!ブラザー」のコーエン兄弟の監督・脚本・プロデュース作品なので、上映をまちにまっていたのだった。
ちなみに、発売されてすぐサントラを購入して、音楽の素晴らしさをすでに堪能していたので、興味にさらにプレミアがついていた。
ミュージシャンとして、成功を夢見、内面からあふれる音楽を歌っていたシンガーが、当時流行の兆しのあったフォークのライブハウスでひたすら歌う。
寝る所さえなく、知り合いのアパートを転転とする日々。今日の宿を求めて、友人が歌うライブハウス「ガスライト」に今日も行く。
まだ、無名のやはり彼のようなフォークシンガーたちがステージに立っている。
兵役中で売れていないトム・パクストンが歌い、やはり売れていないPPMになる2人がトムと一緒に「500マイル」を歌う・・そんなシーンが良かったぜい。(実際でもトムたちは食うに困って、PPMのポールと共同生活してたあたりがこのシーンを作らせたんだろうな・このシーンの2年後「ランブリングボーイ」がブレイクしトムはやっと食えるようになるのだった)
お金には困る・・お金のために声のかかった、コマーシャルな仕事のもついてみるが、自分の信念を曲げることはできず、街をさまよう・・
それでも、結局彼は信念を曲げず、あふれ出る歌を歌い続ける・・・やがて、そんな彼に影響され歌い始める若者が続き・・新しい時代がすぐそこまでやってきているのだった・・・主人公の見つめるガスライトのステージに、彼を敬愛し影響を受けた若きボブ・ディランが歌うステージが、エンディングを用意して、「新しい時代」・・そんなことを感じさせて、映画は終わるのだった。
こう書いても、なんのこっちゃ?に違いない。
この時代の背景や、モダン・フォークの生まれる時・・を、ある程度理解していないと、この映画は骨までしゃぶれないと、僕は思ったな。
連れて行ったベーベーも、帰りの車で、各シーンや、音楽の背景など話したら「聞いてから見たかった!」と、感想をもらしていたぞな・・・
彼女たちは今、サントラを聴いているらしいぜ。
この映画の背景はわくわくするのだった。
この映画は1960年のニューヨーク・・グリニッジ・ビレッジが舞台だ。
どんな時代だったろう?
いまだ、黒人に基本的人権たる「公民権」が無い。そして、55年、1人の黒人少女ローザ・パークスは、満員のバスで運転手に「白人に席をあけろ」と言われ、それを拒否する。そして、逮捕される。抗議の行動が呼びかけられ、多くの人々がバスを使わずひたすら、何日も歩き続けた。この運動はバス会社の破たんの危機になり、裁判でモンゴメリーの人種隔離政策の違憲判決となってゆくのだった。いわゆる「モンゴメリーバスボイコット」だ。
そうしたムーブメントはやがて、オールアメリカの有色人種の「公民権」の確立の運動となる。あのマーティン・ルーサー・キング氏の呼びかけで始まった63年の「ワシントン大行進」は20万人以上の大行進となって、64年の「公民権法」の確立と結実するのだった。
そして、アメリカは65年の、ベトナム戦争への本格的参戦・・北爆・・と、泥沼に入ってゆく。
公民権を勝ち取った力は「ベトナム反戦」へとまた、続くのだった。
この運動の中には常に歌があった・・・それは、父や母が歌ってきたフォーク(民謡)であったり、そこからメロディーを借りて、その場にあった新しい詩を付けた生まれたてのフォークだったりだ。その新しいフォークが生まれたてのある場面を切り取って、この映画は作られた。
((なんだか、見てきたように書くのだが、ちょっとマニアックなので、フォークに興味の無い方は、以下流されたい。))
いわゆる伝承音楽の紐帯をおびた「トラディッショナル・フォーク」・・・それらを、モダン・フォーク・・たとえばディランやPPM,バエズらに代表されるような若きフォークシンガーへの橋渡しをするのは、P・シーガーやウイバーズ、ウッディ達だ。
そして、58年ころから盛んになるフェスティバルや「コーヒーハウス」「ガスライト」のようなフォークライブハウスが、推進役を担う。
フェスで言えば、58年バークレイフォークフェス・・61年にはシカゴフォークフェス・・・この映画のシーンの前年59年から始まる歴史的イベント「ニューポートフォークフェスティバル」がこのフェスブームの頂にそびえる。
そのニューポートフォークフェス・・・その59から60年の出演者・・P/シーガー・オスカーブランド・イワンマッコール・ペギーシーガー・バエズ・ジーンリッチ・JJナイルス・パットクランシー・JLフッカー・アランニルス・エリックワインズバーグ・ジミードリフトウッド・ニューロストシティランブラーズ・シスコヒューストン・エドマッカーディー・オデッタ・フラット&スックラッグス・・・などなどが浮かぶ。
61年62年はフェスで公園が荒れるとの住民の抗議で中止になるが、フェスの主催者側は、「営利の廃止・・文化としてのフォークフェス」を前面に訴え、見識があり、民衆の信頼のあついP/シーガーやエリック・ダーリングなど7人のフォーク歌手による運営委員などの組織を整え、63年に理解を得て復活するのであった。もはや、フォークが再燃し、新しい(モダンな・・)姿で広がりを見せ、やがて世界中を巻き込む勢いなのだった。63年・・MJハート・ルーフトップイシンガーズ・イアンとシルビア・バエズ・ディラン・ジャッキーワシントン・ジュディコリンズPシーガー・まあ、数えたらきりがないかねぇ・・この中に、この映画のモデル、ディブ バン ロンクももちろん出演してたねぇ・・・。
生まれようとする新しいフォークは、民衆の・・名もなき人々の権力からの解放をどこかにしっかり据えて、批判精神を持って生まれたのだ。
だからこそ、当然のように「反戦」でもあったのだった。
モダンフォークは、甘ったるい感傷など、玉石入り混じってはいたが、こうした公民権や反戦の民衆のデモクラシーが支え、支持し、また、訴えの武器にした音楽なのだった。
ここいらが、あかちょうちんや、Yたくろうなんぞの、形だけまねた、我が国のエセフォークやニューミュージックとの大きな違いかねぇ・・・
長々と書いちまったぜ!