この辺り、月に1度「旗当番」が回ってくる。
子供の通学路に立って「登校の安全・と通学指導」をPTAが行うのである。
昨今の事情(飽和的車社会・子供への殺人や傷害事件の頻発)をうんぬんされると、対案提出できず、ではある、が、どこか「わだかまり」は消えない。
「親がこぞって、こんなことしないと、子供は道路も歩いていけないのか?」
「これで、たくましく、生きていくスキルが子供達につくのか?」
「ゆっくり、自分のペースで、自分の道を歩む、時間が、子供達に保障されてるのか?」
長女から始まって、苦節14年目が終わった。
終業式当時に当たるあたり、運があるのかあ?
妻の出勤時間と僕の出社時間が天秤にのり、「貴方が朝食作るなら、あたしがやるよ」
の発言で、僕が14年なのだ。
この間。何人相棒の「よその奥様」が変ったことか・・・
遠くに、最後の1人・子供が見える・・・
が、彼は真っ直ぐ歩かず、止まったりまた歩いたり・・・やがて、後ろなんか振り向く
「お前が渡れば、僕は今日の御勤めが終了する」
「おーい!遊んでないで、さっさとこいよ!」「こらっ!」
「たのむよーはやくー」と、毎回の・・・・・・彼である。
デジャブ・・・この彼・・・昔々の僕ではなかったか?
勉強はつまんない!さんすうなんかだいきらい!
この小川のざりがに(このあたり・えびがに)のほうが、興味がありだ!
桑の実はうまいでー・・・
「ちからしば」のはえた、通学路は旗を持つPTAの姿はなく、すでにPTAはもんぺを履いて、畠の中だった。
(オ サム)