殿は今夜もご乱心

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隣のドロドロ

2017年10月07日 22時20分49秒 | みりこんばばの時事
いつもお越しくださって、ありがとうございます。

私の実家の隣人が在日一家だったのは

今年3月31日から4月にかけてアップした

『この期に乗じて・思い出』の5話でお話ししました。

《まるぞう備忘録》という有名ブロガーさんのおかげで

一時的に訪問者数が増えた僥倖に乗じ、急いで私の体験を書き残したものです。


今回も、私のつたない記事を紹介してくださったモモさんと

モモさんのコメントを承認してくださったまるぞうさんの懐の深さ

そしてお越しくださった方々に感謝しています。

ありがとうございました。

再びの僥倖に乗じ、急いで書き残したいことがあるので

ごらんいただければありがたく存じます。



『隣のドロドロ』

私が生まれる少し前、祖父母と両親は

とある田舎町の駅前で事業を始めた。

そこへいきなり「パチンコ屋がやりたいから土地を半分譲れ」

彼らはそう言ってきた。


嫌だと言っても通用しない。

朝鮮民族のあくなき欲望と執拗、そして残忍性を

祖父は戦中戦後のありさまを実際に見て、知っていた。

言うことを聞かなければ、一家皆殺しになるくらいの危機感を持って

ちょうどいいというのが祖父の認識であり

また、それくらいの注意が確かに必要であった。


そんなに嫌なら、うちがどこかへ行けばいいようなもんだが

そうすれば彼らの思うツボ‥パチンコ屋が倍の大きさになるだけだ。

そしてうちの仕事の性質上、移転は不可能だった。

当時は国の認可が必要な業種で、そのための軽からぬ責任が関係していたからだ。

「嫌な人が来たから、商売をたたんで引っ越します」

というわけにいかなかった。


こうして隣同士になって17年が経った頃、隣のおばさんが自宅で急死した。

遺族は当惑するほかなく、近所の者もまた、異国の一家が迎えた突然の不幸に困惑した。

そこで手を差し伸べたのが、うちの祖父。

家が一番近いので仕方がないのだった。


隣のおじさんが言うには、朝鮮系のお寺だか教会だかは遠く

装束や小道具の類いも手に入らないため、日本式でやりたいということだった。

そこで祖父は、お寺と葬儀屋を紹介し

翌年には遺骨を埋葬したいと言うので墓地と墓石屋も紹介した。


それからさらに20年が過ぎ、今度は隣のおじさんが亡くなった。

ここで問題発生。

隣の長男が、父親に付けられた戒名(かいみょう)にケチをつけたのだ。


おばさんが亡くなった時、うちが世話になっているお寺を紹介したので

おじさんの戒名もそのお寺が付けた。

この宗派は戒名に流行りすたりがあるようで

古来、男性なら『◯◯院・釋◯◯居士』

女性なら『◯◯院・釋◯◯大姉」だったが

しばらく前から、末尾の居士や大姉が省略されるようになった。

うちも25年前に他界した祖父までは居士が付いているけど

12年前に他界した父には付いてない。


末端の省略は、ちょうどおじさんが亡くなる前に始まったようで

お寺さんは本願寺の意向だと懸命に説明した。

そう聞けば日本人は黙って従うか、話し合って納得する。

しかし隣の長男は、要するに外国人なので理解できなかった。

「母親の戒名より短い!朝鮮人じゃ思うてバカにしやがって!」

漢字が得意でない彼は、戒名に表された故人の人柄を偲ぶといった

日本人の感性は持ち合わせず、ひたすら合計の文字数に怒り狂った。

祖父はすでに他界していたので、父がお寺さんに頼んで

居士の二文字を足して位牌を書き直してもらい、葬儀は行われた。


これで騒ぎはおさまったか。

おさまらなかった。

「書き換えたということは、やっぱり朝鮮人をバカにしとったな!」

隣の長男はますます怒り狂い、母親が亡くなった際にお寺を紹介したうちを

逆恨みの対象にした。


かの民族は、そういう思考回路である。

もしもお寺さんが書き換えを拒否したとしても、やっぱり

「バカにしている!」と言い出すのは、もはやお約束。

どっちにしても、恨まれるのは同じ。

日本では「お世話になりました」と言うはずの場面が

あちらでは「こらしめてもいい」ということになるのだ。


親身に世話をしても、甲斐が無いどころの騒ぎではない。

彼らは常に激昂できるネタを探し、差別につなげて

逆恨みに持ち込むのがライフワーク。

日本式の道徳観が通用しない民族なのだ。


その頃、隣の長男は中年期になっており

隣国の遺伝的疾病「火病(ファビョン)」を発症するお年頃であった。

手のつけられないヒステリー症状である。

この症状も手伝って、父は執拗に絡まれ続けた。


ヒステリーを起こしたいなら他人に迷惑をかけず

家で発散すればいいと誰でも思うだろう。

けれども隣には、成人した男の子が2人いる。

家庭でやれば、返り討ちに遭うのは明白。

そこはしっかり計算している。

父は死ぬその日の朝まで、何年にも渡って彼にいじめられ続けた。


何でこんなことをお話ししたかというと

父の死を引きずって嫌韓を気取っているからではない。

自ら近づいてつけ入る機会を狙い、彼らなりの理由を見つけたら最後

自身の残忍を正当化して暴れる民族性への注意喚起である。

死者の戒名をネタにするなんぞ、誰が考えつこうか。

この意外性を頭に入れておいていただきたいからだ。


たまたま隣の一家がそういう人たちだったわけではないことは

近年、ますますつまびらかになってきた隣国の行状を思い浮かべれば

おわかりいただけると思う。

二つの国に分断されているが、根っこは同じである。


うちの隣にはトトロじゃなくて、ドロドロがいた話をした。

在日特権に守られて増殖の一途を辿る彼らが

現在、あるいは未来、皆さんの近所や職場に現れないと断言できようか。

できないと思う。

《続く》
コメント
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