東日本大震災から今日で半年が経過した。
この朝の新聞1面のトップニュースが、
鉢呂経産相辞任 死のまち・放射能発言引責
…である。
発足したばかりの野田内閣でまたこの不始末。
半年という節目の時に「まだこんなことを…」と思うと情けない。
復興復興と叫びながら、いったい政治家たちは何をしているのだろうか。
「死のまち」発言が報じられたときの新聞記事を読むと、
鉢呂経産相は、原発事故現場の周辺町村には人っ子一人いない、
まさに死のまちというかたちだった…と言ったそうである。
その前後の発言をみると、
事故現場のきびしい状況を経済産業省の原点ととらえ、
そこから出発すべきだと感じた…というのが、問題発言の前の言葉だった。
その後には、野田首相の「福島の再生なくして日本の元気な再生はない」
という方針を改めて示し、これを柱に内閣としてやっていく…と話した。
これらの会見内容を全体として捉えてみると、
「死のまち」の「死」という言葉以外は、どこにも問題はない。
最初にこのニュースを知ってすぐ、僕は4ヶ月前のことを思い出した。
自分が5月に宮城県の名取市を歩いた時、見渡す限り瓦礫の中で、
それこそ視界に人っ子一人いなかった光景を目にしながら、
ふと「これはまさにゴーストタウンだ」と思ったのである。
やっぱり実態を見ると、そういう言葉が浮かんでくるのだ。
「死のまち」は、一般の人でもつい口に出しそうな言葉である。
それほどひどい状況だという、ひとつの表現でもあるだろう。
しかし、言う人間の「立場」というものがある。
一日も早くまちに戻りたいと願う被災者の人々がどう思われるか…
言うまでもなく、経済産業省は原子力行政を所管するところである。
そこの大臣がそんな発言をするのが、きわめて異常で無神経なのだ。
それでも僕は、ひとつの言葉だけ捉えられてすぐ辞任というのでは、
今後、当たり障りのない言葉しか発さない大臣ばかりになるのでは…
という懸念もあり、即辞任というのはどうか…? と、思っていた。
が、そんな気持ちも、そこまでだった。
次に明らかになった彼のアホな言動には、あきれ返るしかない。
福島から防災服のまま議員宿舎に帰って来た彼が、新聞記者に、
「放射能をつけちゃうぞ」と服の袖をなすりつける仕草をしたというのだ。
先の「死のまち」の失言は、言葉の使い方のミスであったとしても、
この「放射能をつけちゃうぞ」は、明らかに悪ふざけである。
心の中で被災地を差別し、バカにしているのではないか。
そう思われても仕方のない、およそ信じられない言動だ。
これを見た子どもたちが、福島県の子どもがそばに来ると、
「放射能をつけられるぞ~」と言って逃げるような、
そんないじめまで誘発してしまいそうな悪ふざけを、
復興の担い手となる大臣がやってどうするのか…?
さすがにこれには弁解の余地はないと本人も思ったのだろう。
結局、辞任せざるを得なかった。当然である。
鉢呂氏は「入閣適齢期」で、野田氏を支持したことと合わせ、
能力とは関係なく経産相にしてもらった、という話であるが、
能力がどうのとかいう以前の、人間としての問題であろう。
政府は被災地との信頼関係を築くどころか、
信頼の失墜ばかり繰り返しているのである。
民主党政権は、いったい、いつになったら懲りるのか。
先般、ベルギーのサッカー場で、ゴールキーパーの川島に、
「フクシマ~」と野次を飛ばした相手チームサポーターらがいた。
ベルギーのサッカー協会はこの事態を重く受け止め、
野次を飛ばしたサポーターらに罰金と謝罪を命令したという。
遠く離れたベルギーでも、それだけ日本の災害に配慮をしてくれているのだ。
それなのに…
当の日本国では原子力行政を担当する大臣がこんなことをしている。
そのうち、世界中の笑いものになるだろう。