「こしゅう」といえば松島アキラが歌った「湖愁」を思い出す人は、
今の日本人の中でいったい何人ぐらいいるのだろうか…
な~んてことを書くだけで世代がわかろうというものだ。
悲しい恋の なきがらは~ そっと流そう 泣かないで~ ♪
50年前にヒットした歌だけど、出だしの歌詞がすらすら出てくる。
昔の歌というものは、よ~く覚えているものだ。
で、なぜ松島アキラの「湖愁」が出てきたかといえば、
この夏に読んだもので最も強い衝撃を受けた作品が、
渡辺淳一の「孤舟」という小説だったからだ。
知らない人はないほど有名になった小説だ。
どちらも「こしゅう」という題であり、
どちらも団塊世代が大いに共鳴する…
…ということからの、こじつけである(あはは~)。
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では、本題に入ります(なんか、堅苦しい論文のようですけど)。
長年勤めた仕事を定年退職して、やがて2年半が経とうとしている。
そんな僕と全く同じ年齢の団塊世代の男性が、「孤舟」の主人公である。
すでに読まれた人も多いだろうと思うけれど、
定年退職して自由の身になった男性がこの本を読むと、
身につまされるというか、ただならぬ胸騒ぎを覚えるはずである。
小説の主人公は、かつて広告会社の要職についていた。
そしてその会社を定年退職して1年半経ったころから物語が始まる。
定年になっても、日常的にはあれこれとやることがあり、
その中から暇を見つけて、いままでやれなかったことをやる…
彼はそう思い込んでいた。だが、いざ定年になってみると、
朝目覚めたときから眠るまで、すべて予定のない空き時間ばかり。
暇を見つけるどころか、すべてが暇で空いていることに愕然とする。
朝、目が覚めると、
「まだ眠っていていいのだ」
「今日はどこへ行こうかな」
などと思いをめぐらしながら、むっくり起き上がる。
なんとなくテレビをつけて、なんとなく見る。
デパートをぶらついたり、図書館へ行ったりするが、刺激がない。
妻に頼まれて、犬を散歩に連れて行くことが、唯一の定まった日課だ。
読みながら、僕はふと、サラリーマン川柳の
定年後 犬もいやがる 五度目の散歩
という文句を思い出し、声を出して笑った。
お正月に来る年賀状の数も少なくなった。
「減ったわね」という妻の言葉に、聞こえないフリをする。
仕事を辞めたといっても、プライドはそう簡単には消えない。
妻は、友達と食事だとか何だとか言って、せっせと出かける。
夫はそのたびに「どこへ行くのだ。何時に帰るのだ」
と、妻に言う。
「いい加減にしてよ。いちいち聞かないでください」
と、妻がキレる。
以前、妻が「今日は何時ごろお帰りですか?」と夫に尋ねても、
いい加減な返事をするか、あるいは無言のままで出勤して行き、
会社のつき合いやら接待で、毎日のように帰宅が遅くなっても、
妻と会話を交わすこともなく、風呂に入って寝ていただけだった。
それが、今は妻に「どこへ行く? 何時に帰る?」としつこく訊く。
「自分勝手な人だわ」妻は、しみじみそう思う。
夫が一日中家にいるようになると、妻の方も大変である。
友達から電話がかかってきて、長話をしたら、そのあと、
夫が「長い電話だったな。何を話していたんだ」と干渉する。
「いろいろあるのよ」と妻はうんざりする。
一日中監視されているようで、居心地が悪い。
しかも夫のために、三食作らねばならない。
自由気ままに出て行くことも出来なくなってきた。
主人在宅ストレス症候群…という言葉がある。
夫が家にいることにより、妻が精神的、肉体的にバランスを崩して、
不安定になる疾患のことを言うそうだ。
この小説でも、主人公の妻は、そんなことで体調を崩したりする。
「旅行でもしようか…?」と夫が言っても、
「あなたと旅行しても、私が疲れるだけです」と妻は断る。
「そんな旅行のことよりも…」と、妻は続ける。
「あなたも働いていないのですから、ときには食事を作ったり、
洗濯物を取り込むことくらい、手伝ってほしいのです」
夫は、「家事無能力者」というやつである。
思わず彼はムッとして、
「それは、俺に対するさしずか」
「そうじゃなく、頼んでいるんです」
「だったら、頼み方ってものがあるだろう」
あぁ…
ためいきの出るような夫婦のやりとりが、これでもかと続く。
僕自身はと言えば、料理、洗濯、ゴミ出しなどの家事をしているし、
孫のモミィを幼稚園へ送り迎えし、エレクトーン教室にもつき合っている。
それにほぼ毎日、スポーツクラブへ泳ぎに出て行っているので、
1日中家にいるということは、めったにない。
図書館の自習室へ行き、英検に備えて英語の勉強をすることも多い。
だから、定年退職しても、「孤舟」の主人公のようなことはない。
妻にしても、今はモミィの「子育て」に精一杯の毎日である。
僕たち夫婦が口論するようなこともない。
おまけにこの男性は、現役時代は会社のエライさんだったので、
接待の名目で、社費で銀座のクラブなどへ行って遊んでいる。
それが、年金生活になると、もちろん出来ようはずがない。
その落差が、主人公をより寂しい思いにさせるのである。
僕など、公務員だったから、接待で飲みに行くなんてあり得なかった。
そんな高級クラブで飲んだこともない。いつも居酒屋である。
だから、今も飲みに行く場所は同じだから、何の落差もない。
…と、小説の主人公と僕はかなり違う生活だけれども、
それでも、やはり身につまされるのはなぜだろうか…?
他人事とは思えない強い吸引力を、この小説は持っている。
これはもう、笑うしかない、というシーンやセリフが満載されている。
この本を読みながら、僕はどれだけ声をあげて笑っただろうか。
どれもこれも「そうそう、わかる、わかる」という笑いなのだ。
夫の言い分もわかるし、妻の言い分もわかる。
わかり過ぎて、笑ってしまうのである。
それでも、読後、人生観が少し変わったと言えるほど衝撃を受けた。
「孤舟」については、これくらいでは語りつくせない。
今日はこれで終わりますが、まだまだ続きを書きたいと思います。